※この話はフィクションです。
やっほぉ〜っ!私の名前はキリスト!私が生まれたとき、何を血迷ったかうちの両親はわたしに
「じゃあお前、キリストな」
って言ってこんな名前をつけたわけ。信じらんない。
それが、私の世界の始まりだったんだ。
ひばりヶ丘で電車を待つ。高校は保谷。帰りに一人で古本屋による、そう、私って一風変わってる。
変わってる1日。
変わってることが、アイデンティティ。
田中もそう、思っているかな。
「常識っていうのは鎖だから」
彼が何度も口にした言葉。あいつは青く染めた長いツインテールをいじりながら、そういうのが口癖だった。
「うちは校則が緩いから、俺たちは自分たちがどう見られるか、を自分でカスタマイズできる、選択できる。でも、偏差値の低い高校の奴らは、無理だぜ。これは俺たちの特権、アクセサリ、ロレックスと言ってもいい」
ロレックスねえ。凡庸の代名詞じゃないの・・・なんて貧乏なうちでは僻みで思っちゃうけど。
「俺たちは俺たちのアウトルックを選択する自由がある。だから、これはファッションじゃなくてイデオロギーだな。そう、イデオロギー。人と自分は違うって、人間って証明しながら動く機械的な生き物だろ」
「私は普通が良かったな」
少し窮屈さを感じた故のストレス反応。議論、疲れるよ。
16歳の乙女が、篠崎キリスト、なんてやっぱり酷いじゃん。キラキラっていうレベルじゃなくて、もう名前自体がある意味で強すぎて、私の存在が、負ける。
「私は普通がよかった」
「普通教かよ」
二度同じことを強調し繰り返した私に対しての追撃の一言。
田中と私が帰りに、世界に見せつけるようなキスをしていた時も、あいつはいつも私に毒針のような容赦ない言葉を投げかけた。
ただ、彼は孤独だったのかも知れない。自分だけがこの世界を必死に考えてるんだ、という感受性の孤立のようなもの。
感性が欠落した個人が、永遠に世界を左脳からしか把握し得ないように、
論理が破綻した個人が、永遠に世界を右脳からしか覗けないように、
「自分が全てを知っている。そして河岸をも知っている」
という彼の独りよがりな超越思考が、彼をより彼の中で高くし、確信を持たせていた。
俺は強い。俺はあいつとは違う。俺は賢い。俺は誰よりも優れている。
俺は神だ。
でもそれって若いゆえの特権だから。若いって傲慢だ。
「みんな普通普通って言って、そういう周りに合わせたコンフォート・ゾーンをファッションにするんだよな。そう、他と変わっていない方が安全だ。他と変わっていない方が制裁されない」
「でも普通がいいんだよ、私。こんな名前にするんじゃなかった」
「キリちゃんって呼ばれてるじゃん」
「それもイヤだ」
同世代と違ってあらゆる漠然とした思考に形を与える言語化の力、ということにつけては、私たちは服装自由な偏差値の高校にふさわしいものを持っていた。
その時突如、ドスのきいた乱暴な声が襲いかかった。
「っるせえなあおい」
そこに不審な、大柄の中年が徐ろに現れた。
「ガタガタうるせえよ、おい」
凍りつく時間。さっきまで複雑な処理を繰り返していた私の頭は思考停止し、空間が歪んだ。一瞬で私の脳は、矮小化された、惨めな紙屑と化した。
私たちは道沿いのベンチに座っていて、このおじさんが隣でずっと聞いていたんだ。
聞いていたと言うより、おそらくこのおじさんからすれば、自分はゆっくりくつろいでいたのに私たちの話を「聞かされていた、」それに対する反発だったのかな。
主張の強い、相手のコンピュータ・ウイルスのような言葉。それは新興宗教や政治セクトみたいに、ただ相手に反論をさせる暇もなくナンセンスな破綻した理屈を並べ立て、相手に同調を要求する。そういった、マイクロ・アグレッション、侵襲性についての生理的な、動物的な反発。
夏の蒸し暑さと、いきなり向けられた大人の本気の殺意とのコントラストが、不気味さと恐怖を引き立てた。
「おいお前よお」
言語化とか、知性とか、知識武装とか、一切が無力だった。
田中はそのままそこに張り倒され、力なくか細い「ヤァ・・・ん」と言う悲鳴をあげた。
ツイッターや動画ではエッジの効いた独白と攻撃性のみなぎった論破を繰り返していた彼が、自分よりも遥かに卑しい大人の腕力によって一撃で地に堕ちる。
そのまま彼の上におじさんが馬乗りになり、田中の口から血飛沫が上がった。
鈍い音。
鈍い音。
私は全身が震え、初めて神に祈った。
「イエス様・・・!彼を助けてください」
すると天井が真っ白になり、空に巨大で少し白味がかった志村けんの顔が
ぬぅ・・・・っと現れ
「ダッフンダあああああ!」
と叫んだ。その大声でおじさんは20mくらいはじき飛ばされた。
田中を必死で背負いながら逃げる私。
ありがとうイエス様。
ありがとう志村けん。
ありがとう田所浩二(登場していない)
※この話はフィクションです。
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