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2024年8月19日月曜日

戸塚ヨットスクール校長について

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最近戸塚ヨットスクール校長が新しくYouTubeを開設したことについて、管理人の個人的な私見を述べておく。まあこのブログ全体に言えることであるが内容はあくまで管理人の個人的なお気持ちとか感想であって別にそれが正しいと言い切るものではない(そもそも私は完璧とは程遠い存在である)。ただ、私個人も一児の父ということもあり、自分自身の考え方をここではっきり言語化したいと思ったのであった。


戸塚校長について、私個人の所見は以下:

1. 教育そのものを履き違えている

2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

3. 自分を過大評価している


一つづつ深掘りしていこう

1. 教育そのものを履き違えている

まず根本的に、教育そのものについての基礎的な理解がない。

かろうじてカテゴライズするとすれば戦前の軍隊的なスパルタ教育(ゆえに体罰あり)に該当するであろう。もともと人並み以下の「どうしようもない」やつらを更生させるためには、暴力をもってまず秩序を作るということで、刑務所や強制収容所のような価値観であり、そこには秩序はあるが愛情がない。(あれば自殺はしない)

そもそも、「なぜ叱るのか」「なぜ罰を与えるのか」についての決定的な勘違いが、戸塚校長にはある。

あなたは親が子供を叱るのがなぜか、簡潔に言語化できるだろうか。

叱るのは、叱られる側の「死」および「不利益」の回避

を目的としている。

例えば1歳児がキッチンブリーチを楽しげに開封しようとしていたら大声で叱る、それはそれを弄べば最悪「死ぬ」からである。

これ以外に「叱る」という行為の目的はない。

だから

- 叱ることが過剰に多かったり、

- マイクロマネジメントになったり、

- あれもダメ、これもダメ、な拘束的なマネジメントだったり(子供の人格や自己決定を尊重しない)

- ヤクザのような怒鳴り方を子供に対してしたり、

- 子供の自尊心や尊厳を踏み躙るような怒り方や言動をしたり、

- 「慢性的に」罰を与えたり、

はすべて教育としてはすでに「間違っている」。

叱るという行為は、非常に短時間に、可能なかぎり間違ったことを行った瞬間に、相手の死や不利益を回避するために行うという意味で非常に「感情消費を伴う」「愛の」行為なのである。

俺はお前を放置しないぞ、俺はお前に死んでほしくないぞ、俺はお前に不利益を被ってほしくないぞ、というコミュニケーションが「叱る」なのである。

だから、威圧的に、キレるように、不快感を露わにするように子供に接するのは、そもそも「終わっている」。まず、その姿勢が「間違っている」ということを理解してほしい。

だから教育の結果「自殺」するなんて、ありえない。教育者がこれを招いたならばもう教育者の資格はない。中世なら腹を切って、現代ならば一生かけて親御さんに償うべきである。

戸塚校長は、もう教育者としては「終わっている」。

支離滅裂な誰も益しない倒錯したイデオロギーに陶酔する前に、まず自分が犯罪を犯した者だということを謙虚に理解するべきだと思う。


2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

話す内容も、知的な成長をやめた老人にありがちな、自分が若い頃に齧った価値観を延々と壊れた機械のようにループしているのみである。

女性蔑視的な価値観も到底現代に相入れるものではない。

話す内容に熱量はあるが、知的な聡明さを感じない。

「先生」とよばれる立場を長く経験しただめな教員にありがちな、ただ一方通行的に自分のドグマを垂れ流し、自分自身を反芻しながら歳をとった人、という印象である。これはもちろん子供にとってよい影響を与えない。得るものがない。

3. 自分を過大評価している

彼のような、上から力で押さえつけていうことをきかせよう・・・という発想は子供の人格を尊重していない。

「脳のCPUを可能な限り節約し使用しない」という怠慢的な意味でのよくある「保守」的価値観であり、子供の成長にとって足枷となりうる。

また、ご自身への不名誉な刑事罰によってご自身も半ば社会的には「終わった」のであり、彼そのものの思想やイデオロギーを社会に普及させるほどに彼自身に人徳や魅力はない(高齢すぎるのもきつい)

とくに、親からあずかった大事な子供を何人も殺したという時点で教育者としてはもう「死んでいる」のであり、

ヨットスクールという「閉鎖された」社会で、弱い子供相手に暴力を振るっているというのが正確な実像ではないかと思われる。

まとめ

戸塚校長のYouTube開設について、まず彼の教育そのものについての履き違えや無理解、本人そのものの教育者としての能力の問題、自分自身の間違った自己評価などについてここでは述べた。ただ、これはあくまでも管理人個人の感想や意見なので、悪しからず。


2024年7月18日木曜日

人の評価を気にする意味って、あんまりないよね


こんにちは、管理人です。


今日は「人の評価を気にしすぎることについて考える」という話をしたいと思います。


みなさんの中で、人からの評価を気にして不安に感じている人はいませんか?例えば、自分が誤解されたり、陰で悪口を言われたらどうしようなど。


今回は、私の個人的な経験談も踏まえながら、これについてお話ししたいと思います。


まず、自分にとって大切な人々以外の評価には、あまり価値がないことがあります。これは文にすると伝わりにくいかもしれませんが、多くの人が気づいていないポイントです。


世の中にはいろんな人がいます。時には、自分の行動に対して否定的な意見を持つ人や、誤解を生むような言動をする人もいます。しかし、そういった意見や言動に過度に影響される必要はありません。


大切なのは、自分自身の価値観を大切にし、他人の評価に振り回されないことです。他人の問題や意見のために自分を責めたりしないでください。


特に、ネガティブな意見や誹謗中傷は、必ずしもあなた自身の問題を反映しているわけではありません。そういった言葉は、言った人自身の問題であることが多いです。


また、世界をどう認識するかは、あなたの人生に大きな影響を与えます。悲観的な見方をする人には不幸が集まりやすく、ポジティブな見方をする人にはチャンスが舞い込みやすいです。


私も経営者として多くの取引を経験してきましたが、信頼関係を築くことの重要性を強く感じています。お互いに信頼し合い、コミュニケーションを重ねることで、良い結果を生むことができます。


逆に、コミュニケーションがうまくいかない場合や、信頼関係が築けない場合は、仕事もスムーズに進みません。大切なのは、お互いを尊重し、前向きな関係を築くことです。


自分自身の価値を信じ、他人の評価に振り回されず、自分らしく生きてください。皆さんの成長を応援しています。



2024年7月11日木曜日

野獣先輩と、キリスト教

 


今回は野獣先輩とキリスト教についての簡単な考察を述べてみたいと思う。


野獣先輩とは

野獣先輩は、インターネット上で非常に広く知られている人物である。彼の正体は、ビデオシリーズ「真夏の夜の淫夢」に出演した俳優の一人であり、そのシリーズがインターネットミームとして広まり、特に日本のネットコミュニティで注目を集めた。

1. 背景と起源 野獣先輩は、2001年にリリースされたゲイビデオ「真夏の夜の淫夢」第4章に登場するキャラクターである。このビデオは、その独特な演技と台詞回しにより、後にインターネットミームとして人気を博した。特に、野獣先輩の存在感や印象的な台詞が、ネットユーザーによって多くのパロディや二次創作の題材となった。

2. インターネット文化への影響 野獣先輩は、インターネット上で広範な影響を与えた。その名は、掲示板や動画共有サイトなどで頻繁に取り上げられ、特にニコニコ動画やYouTubeでの関連動画が数多く存在する。彼の台詞やシーンは、数多くのMAD動画やコラージュ作品に引用されている。

3. メタ分析と社会的な見解 野獣先輩のミームは、一部では「クソコラ」や「淫夢厨」といった否定的な評価も受けているが、その一方で、彼のキャラクターは多くのネットユーザーにとっての共有文化として認識されている。この現象は、現代のインターネット文化におけるコミュニティ形成やアイデンティティの一環として理解されることができる。

4. 結論 野獣先輩は、インターネットミームとしての象徴的な存在であり、彼のキャラクターとその派生作品は、日本のインターネット文化において独自の位置を占めている。彼の影響力は、単なる一過性の流行にとどまらず、ネットユーザー間のコミュニケーションや文化の一部として定着していると言える。


野獣先輩のもつ本質的な意味

キリスト教会が野獣先輩を使うことについては賛否両論ある。ただ、ここで間違ってはいけない観点は、野獣先輩が「インキャ男性」にとっての「脅威をかんじない同性」というアイコン性を持っていることだ。

いわゆる野獣先輩をネタとして消費した時に、「ゲイを揶揄している」「ゲイを好奇の対象とし、見下している」という指摘は基本的には本質的に「ずれている」。

なぜなら、

1. 「シミケン」は我々ノンケを象徴する存在ではない

2. ゲイであることと、ゲイポルノ男優であることは等価ではない。前者は性的嗜好であり、後者は特殊な職業的なカテゴリである

3. 野獣先輩について「ゲイを面白おかしく揶揄して楽しんでいる」という指摘は、そもそも「ゲイビデオ」が「ゲイ」と等価であるという非常に強引なコンテクストの「付け足し」であり、解釈する側の問題であって、ミームを消費するがわの問題ではない。

4. ガチムチレスリングのビリー・ヘリントン氏の日本での受容のされ方(これはオンサイト含む)からみられるように、「兄貴」はいわゆるモックキングのような「あげて・落とす」形の冷笑というよりは「サブカルの親しみ」という受け取り方をされた

これらの論拠から、「露出されたゲイコンテンツ」と「ゲイ属性」の混同そのものがまず差別の温床であり(例:我々は自動的にシミケンや加藤鷹にはならない)、ネットミームが紐づけているのは「露出されたゲイコンテンツ」であるという前提条件をまず明確にしなければならないということだ。

ネットミームのもつ本質的な意味

そして、野獣先輩は、たとえばハセカラやwojakなど、サブカル・アングラのネットコンテンツである。「ネットのおもちゃ」という言葉は揶揄的に乱用されるきらいがあるが、「おもちゃ」とは壊して遊ぶものではなく、ガンダムやプラモのように組み立て、独創的に発展させていくものである。

ゆえに、野獣先輩もMADが生まれ、音楽コンテンツが生まれ、また海を渡った。

これを「ネットいじめ」というふうな一元的な解釈をすることは危険が伴う。

むろん、ハセカラのような文字通り「ネットいじめ」に端を発したコンテンツもあるが、重要なのは

1. 強烈なキャラクター

2. ストーリー

3. 文化の発展

という3つの軸から、たとえばハセカラは3DMADや周辺にアングラの文化が育まれていった。

野獣先輩もこの流れの一つであり、まずそれは「キャラクター」「ストーリー」「文化性」という3つの軸から巨大化していった一つのコンテンツなのである。

若者のもつ「闇」を浄化するProxy

そして、野獣先輩をふくめ、特に心理的な抑圧下にある若い青少年、インキャたちが彼らの抑圧された感情をおとしこむ逃げ口はどこか?
それは若い女の子なら、自傷行為であり、リストカットなのだ。
これが、若い青少年の場合、ネットミーム、つまりこれが「ホモガキ」と呼称される淫夢厨の正体である。ハセカラもそうである。後者はモックキング的な側面が強いが、わかるのは、彼らは暗闇の中で救済を求めている。

そこまで日本の教会は読めますか?ということだ。当教会が日本の教会の「お行儀の良さ」に問題意識を持っているのも、そのお行儀の良さが、善意や道徳によって若者を押し潰していると感じるからだ。

道徳や高潔さをご立派に語る大先生なんかより、教会に来る障害者につきそって食事介助をやりとおす信者の方が1億倍価値がある。

この倒置構造というか滑稽さという問題を、わたしの観測範囲では教会で見てきた気がする。(手を汚さない道徳的にご立派なクリスチャン大先生問題)

日本の教会で、教会のお兄さんが「はは、きみのシャツはだけてるね。それでいいのかな」などといったネチネチした・イヤミな指摘をするのであれば、律法にはじまり律法で終わる、エホバの証人とレベルの大差のない教会になってしまう。それは目的と手段を履き違えている。クリスチャンが魅力的でない。

彼らが野獣先輩で笑っているときに感じているものは「脅威をかんじない同性」という、非常にレアでありながら彼らが失っているであろう関係性である。

それは、クラスで迫害してくる陽キャや大人たちではない。自分たちを縛り、自分たちをジャッジする大人でもない。

それは、自分が見下すことのできるアイコンでありながら、「自分自身」を「野獣先輩」に投影しているのだ。

政治よりも野獣

わたしは日本の教会が政治を全面に押し出すのは、シンプルに間違っていると思っている。

これは私見であってそうでない人をダメというわけではないが、この「党派性」を要求するような人間関係というのは、健全ではない。

若い人に伝えるべきメッセージは今の与党がだめだとか野党がだめだとか消費税がどうだとかあの不祥事がけしからんということではない。

野獣先輩や真夏の世の淫夢は、そういう意味できわめて「中立的neutral」であり、反芻できる面白さがありながら、たとえば若い子たちのもつ「鬱屈した感情」「負の感情」をそこにダンプできるような何かそのような求心性があるのだ。

それを、白ヘルをかぶることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

日章旗をたたえることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

そんなの別のドメインでやれよ、

それ教会じゃなくてもできるよね

と個人的には思ったりするのである。

みなさんご存知、オウム真理教と同じカテゴリの宗教である旧統一教会も、まず

「日本人を許せない」「俺たちが上、日本人が下」

という政治イデオロギーを聖書よりも上に置いたことが1つの特徴として挙げられる。

これは逆も同じだ。特定の集団を蔑んだり敵視したり、自分たちだけがすばらしい、みたいな思想を聖書の上におく、または自分たちの政治思想やイデオロギーを正当化する手段として聖書を使う、

それは、カルトを育む危険があるんだ。

だからダメなんだ。

教会は聖書を学ぶ場所だ。

誰かを憎んだり、排除したり、裁く場所じゃ、ねえんだ。

むろん批判したいというよりも、まず本当に若い人にキリスト教を布教したいなら「優先度」、まちがえちゃだめだよね、と。

その優先度とは、

若い人一人一人の現実的な、即物的な、また内面的な問題なんじゃないか、と。

まずそこをきちんと押さえてなかったら、教会としては何もしていないのと等しい。

やるべきことの優先順位をシンプルに、間違っている。

まあそんなかんじで。

思ってることを書き殴ってみた

岸田文雄氏が「まず選挙に勝たなければ土俵にすら立てない」という言葉を残した(と記憶しているけれど)、

われわれクリスチャンも、「まず面白いと思ってもらえなければ土俵にすら立てない」ということをしっかり覚えた方が良い

身内で殴り合ってる場合ではない

教会で政治を語るなら、野獣先輩を語った方が1億倍ましってこと。

以上!(教会の外なら全然OKよ!)


※なお、新聞はそもそも政治など時事を伝えるための媒体なので、ここでは除外する。あくまで教会が政治に染まるのは個人的に違うよね、と思う


2024年7月9日火曜日

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う。

きみたち特に若い世代の子たちに言いたい。

わしは40年近く生きてきたんで、40年のセーブポイントで、どういう景色をみているか、少しだけシェアしたい。

私は、父親のことが心底嫌いです。

父親は牧師でしたが、わしに日常的に心理的な虐待を行っていました。

また、老後は特にいわゆる陰謀論や人種差別などに傾倒し、この泥沼のような状態は今でも続いています。

家庭が地獄である

父親が尊敬できるって、幸せなことなんです。たとえたまには喧嘩があっても、最後は尊敬できる目標みたいな親父ならそれは素敵なことだ。

でも、そういう家庭ばかりではありません。自分のこと、自分の感情にしか関心のない父親もいます。そして、いつもそういった、幼稚で卑屈な父親や、平気で子供を半笑いで侮辱したり恫喝するような親もいます。

1人じゃない

そして、おそらく僕なんかはあくまでも数多くの一例で、親を許せない子はたくさんいると思っています。僕も本当に酷い目にあいました。そしてそのときの憎悪というのは今でも根強く残っています。

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名前を侮辱されたこと。

親として叱るのでなく、ガキとして怒りをぶつけられたこと。

低くみられ、軽く扱われたこと。

一方的に価値観を押しつけられ続けたこと。

自分を理解してくれなかったこと。

自分が裁かれたこと。

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でも結局子供にとって親は選べません。家庭に居場所がなくなってしまったら、もうトー横に行くしかない。でも、それって悲しすぎるんじゃないかと思う。

だから神を信じる必要があるんだ

正直、ずっと父を憎んで生きてきました。

今も、憎しみから自由になれていません。

荒唐無稽で、ただ人を蔑んだり傷つけるような発信を繰り返す父にまったく共感できません。

排外的で、偏見だらけな父親にもうんざりしています。

でも、いつも煽ってくる父親に対して、最後は許さなければいけない。

本当に、クソの掃き溜めのような発信を繰り返す父親でも、最後は許さなければならない。

毒親でも、最後は許さなければならない。

でも、これは重要なことだと思う。

多くの人は、許せない。

人を、許せない。

それが、最後には殺人にまで発展してしまうケースがある。

煽られたから、ついやり返してしまった。

挑発されたから、手が出てしまった。

あいつにずっと恨みを持っていて、ついに刃物を使ってしまった。

そういう事件。

そういう、人の罪。

神を信じなければ、最後は地獄です。

最強の人、という言葉がありますが
最強の人の行き着く先は刑務所であり、死であり、地獄です。

相手の命を最後に奪ったら、自分の人生は終わりです。

大切な人も守れない。

だから歯を食いしばる必要がある。

そのためには神が必要だ。

これは議論する余地のないことだ。

キリスト教は、武道の型です

そして、こういう「許せない」というシーンは、たくさんでてきます。

自分の知り合い、友人、上司、部下、道でたまたますれ違った人、酒場でたまたま隣だった人、運転中隣を走っていた人。

なにかが起きて、なにかのボタンのかけ違いで、

自分は相手を傷つけるかもしれない。

それが極端な犯罪でなくても、相手に攻撃的な言葉をなげかけて傷つけてしまうかもしれない。

相手を貶めようと、悪評を流すかもしれない。

そして、そういう悪は、最後自分の身を滅ぼすんだ。

そういうとき、聖書を知っていれば、強い。

聖書には「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という言葉がある。

キリストの教えを知っていれば、普通の人がストレスフルな、苦痛な経験をしたときも、「ものごとの理解の解像度が変わる」「世界が変わる」

だから聖書を読まなくてはいけません。

だから聖書を読むんです。

純粋にキリスト教を信じていたら、

私たちはお互いに愛し合えるはずだ。

純粋にキリスト教を信じていたら、

より苦しくて絶望的ななかでも、きみは他の人よりずっと強くなれるはずだ。

なぜなら神が一緒にいるから。

キリスト教は、武道の型です。

2024年7月8日月曜日

【考察】「イエス」か、「イエス様」か?

以前、すきえんてぃあ氏が以下のような投稿をされていて、「ほぅ」となった。







すきえんてぃあ氏はキリスト教徒ではない方なので、信者でない人の目線がみれるというのは非常におもしろい。なぜ「イエス様」に違和感を感じるのか?

100%すきさんの意図やコンテクストを汲めているのかは一旦置いておいて

この「イエス様」問題を、わしの観点からもう少し解剖していこうとおもいまふ


イエス様そのものはまあ、ふつうに使われている

はじめに言っておくと、わしのようなキリスト教家庭で育った身からすると、まあ「イエス様」と呼ぶことそのものはまあ当たり前だよね、となる。おそらく信者のほぼ100%このイエス様を日常的に使用しているからである(わしの体感としてはね)。まあ、神なので。


一方で、「イエス様」という呼称は、「身内ノリの」呼び方

いっぽう、すきさんの感じる「違和感」というのは本質を穿っているところがあって、これは既存の教会そのもののもつ「閉鎖性」「身内ノリ」をある意味で体現している。その身内ノリが「滲み出てしまっている」、それが「イエス様」という言葉に詰まっているような気もするのだ。なのでわしとしては「Oh! Good Question」的な発見があったことも事実だ。

キリスト教徒は往々にして、キリスト教徒同士でしか使わない用語・世界観・前提条件で会話する。それが信徒同士の会話やミサならともかく、これをたとえば「未信者を想定した」世の中全般への発信でもおなじインターフェースで発信をする。

よく考えてみてほしい。日本語圏、という縛りだけで考えても、たとえば会社とかで自分の上司や社長を取引先で「上司さん」「上司課長」などと呼ぶのはやはり非常識(と伝統的な社会通念では思われている)のであって、取引先には「上司は今席を外しておりますが〜」というのが常である。

それが教会という閉鎖空間の一歩外をでたときに、忘れ去られている。


伝道でだいじなのは、未信者をしること

まあ「未信者」という単語を使って「おまえこれから信じるんだからな」みたいな価値観の押し付けはしたくないんじゃが、この言葉がまあ便利なんであえて「未信者」という単語で一括りにさせてもらうと、やはり未信者の人に神を伝えるのにだいじなのは未信者のきもちを理解し、未信者の需要を理解し、未信者に「次もまたこの人に会いたい」と思ってもらえることなのではなかろうか。

その際、いわゆるカルト的な擬態(人生の意味を考える会〜)は結局世俗を装ってカルトに引き摺り込む蟻地獄であり長年社会問題化しているのだが、ただし彼らのような「悪」から学ぶこともあるはずだ。

それは、伝統的な、本当に人々を益することを意図したフツーの教会が、もっと「世俗にコミット」することだ。

ASMRキリスト教会の淫夢コンテンツなんかは、いわゆる宗教アスペ(つまりカルト)をフィルタリングするための「お札」みたいな役割も果たしており、そういう形で徹底的にエンタメとして機能する、未信者の人が「おもしろい」「時間を消費するメリットがある」と思ってくれるということが肝要だ。

そのためには、キリスト新聞の松谷さんにも伝えたことだが、教会が蛸壺化し、蛸壺から老人ホームになるみたいな最悪の事態は避けなければならない。

カルトをのさばらせてはならない。既存の教会がもっと元気にならなければならない。

信徒を大事にしないといけない。

まあそんなことを思った今日この頃でした!

2024年7月7日日曜日

数字を取るには・・・


だらだらとエコノミストを読んでおった(わしは紙のエコノミストが好き)

https://www.economist.com/asia/2024/06/27/meet-the-incels-and-anti-feminists-of-asia

そこで目に入ったのが「アジアのアンチ・フェミニストとチー牛」というタイトルで、

韓国と日本の事例をあげて、韓国男性のNEET率はこの24年で8%から21%に増加し、一方で韓国女性のNEET率は44%から21%へと減少した、といったことや、日本女性の未婚率が60%以上にのぼる・・・といったことなどがあげられていた。

2022年の調査では、42%の20代の日本男性が異性経験がなく、30代においては17%が童貞だ・・・ということらしい。

ここから何が読み解けるのか?

おそらく、ワイが思うに

1. 日本・韓国はわりと世界的に(イスラムほどでないにせよ)儒教的父権主義の社会が長く続いた。

2. これは、男がいばり、男側のコミュニケーションコストが極端に低い世界であった(つまりコミュニケーションコストはほぼ全部女性持ち)

3. いっぽう、ここ数十年で日本韓国の女性の教育水準や生産性などが飛躍的にあがり、男性を(マクロで見て)凌駕した。

4. 1. 2. で既存の父権的な社会の枠組みの前提で育ってきた男性は、社会の変化についていけていない(3.)

5. ゆえに、そういった中で社会で負けている、割を食っている現実から逃避するために、女性を叩く(とくにツイフェミ界隈)傾向が強くなった


まあ上記だとちょっと意地悪な言い方にはなるが、ただ日韓共通の傾向として、「女性の社会進出によってより社会に居場所がなくなってしまった弱者男性が、よりネットの世界で溜飲を下げるようになった」ということができるかもしれない。


つまり?

つまりこれはSNSの世界ではビジネスチャンスである。SNSというのは「正確な情報」がより拡散されるのではなく、「より注意を引く」ものが拡散される。

Xでの砂鉄氏、ひまそらあかね氏などの投稿をみているとやはり

「女性に敵愾心をもっている弱者男性層」に刺さる発信

をしている。特に砂鉄氏にいたっては発信の真実性の観点からいうとほぼ根拠のない(baseless)荒唐無稽な主張がかなり多く、ただそれはあくまでもファクトとしてであって、

彼がどうしてあそこまで支持されているかというと

「弱者男性の心の琴線に触れる」

「弱者男性の怒りを代弁する」

「弱者男性の社会への鬱憤を晴らす、溜飲を下げる」

発信の宝庫だからではないか・・・と思われる。


ASMRキリスト教会として

ここまで弱者男性と一括りにしてしまったが、わたしはこの弱者男性を本当に、心の底から応援している。

ただ、「女はくそだ」「これだから女は」みたいな恨み節を唱え、(男尊女卑コンテンツや発信など)それを消費しても、彼らの人生はまったくよくならない。

ASMRキリスト教会は、こいつら弱者男性を、


モテる男にしたい


これが、我々の重要なミッションと思っていい。

「女は能力がなんとかかんとかでぇ〜、天才とかいなくて凡庸でぇ〜ヒステリィで〜」

とかぶつぶつ言っていても格好悪いだけでぜんぜん人生楽しくないだろ。


俺はお前らインキャを、「今の」


「この令和の」


時代の女からみて「魅力のある」男にしたい。


これが、うちらのミッションです。


モテないアスペ男同士で傷を舐め合うのではなく、(わしもアスペやったからな)


そこから、一歩ずつ進化していくんじゃ。


その答えが、「聖書」なんじゃ。


ちゅうわけで、これからも弱者男性諸君の心を「癒し」、また弱者男性諸君が女性にモテるようにがんばります。


つまり聖書ASMRにはちゃ〜んとご利益があるってことや。


以上やで!

2024年6月21日金曜日

とろふぃ〜ゆ、について思うこと


先日もASMRキリスト教会の主日礼拝を行っていた。

初期は小春日よりさんに対応してもらっていて、彼女もなかなか圧倒的クオリティであった。
特にバイノーラル系や演技の幅など、小春日さんの強さは計り知れない。

ただ、少々社内の複数関係者などの事情(主に単価面で現時点で弊社の経済体力が追いつかない)あり、とろふぃ〜ゆさんがメインパーソナリティとなった(今後弊社事業がスケールしていけば小春日さんへの再度打診は普通にありうる)

小春日さんの魅力は今後の記事にゆずるとして、今回はとろふぃ〜ゆ氏についての現時点での所感を簡単に述べたい。


簡潔にまとめると以下

1. 声の独特のしっとり・ねっとり感
2. 発信力
3. アイドルとしての可能性
4. 自分で考える力・自分の言葉をもっている
5. Grit(やり切るちから・やる気)


今後のASMRを運営していくうえにおいて、やはり聖書朗読ONLYを貫く・・・というのは(まあ聖書の分量に限界もあるし)今後事業をスケールしていくうえで最適解ではない。

それゆえに、なにか別軸で臨機応変に案件をこなしてくれる声優さんが必要であった。とろふちんは、これにマッチした。


1. 声の独特のしっとり・ねっとり感

聖書ASMRに1つでも動画をのせている声優さんは、何かしら声に卓越した魅力を我々が感じている、ので載せている。あまりにも目に余るものについては握りつぶして、その声優さんについては1つも動画がでてこない声優さんも結構いる(もちろんその人たちを否定しているわけではなく、その人たちも今後成長活躍したり成功する可能性はあるだろう、また相性もある)

つまり彼女は選抜されたサラブレッドの1人なのである。

ただその中でも、とろふぃ〜ゆさんの声は独特の声質であり、ロリから正規のアニメ声まではばひろくカバーできる素質を兼ね備えている。つまり声のクオリティとして合格、ということが一つにはある。


2. 発信力

SNSのフォロワーが多い。フォロワーが多い人の中には純粋にチートをしていて、インプレッション数が水増ししたフォロワーに追いついていない人もちょくちょくいるが、彼女の場合は純粋に発信力や、ファン層の質が高い。


3. アイドルとしての可能性

まじすた!といったオンサイトでの歌唱イベントにも参加しており、今後の伸び代が期待できる。

4. 自分で考える力・自分の言葉をもっている

これが1番大きい。たとえば2人で朗読みたいな企画も実際にもってきてくれて、やりきってくれる。無論音質の課題があったり、失敗することもあるが、イーロンマスクも言っているが「最短で失敗をたくさん繰り返せる」力というかそういう土壌がある。

弊社としても、いろいろ無茶振りをするのは対声優さんにたいしては警戒させたりするリスクがあるのでギャンブルである。でも彼女はやってくれる。

なので、ある意味でありがた姉さんに案件をふるような安心感がある。きちんとやってくれる。(特に宗教コンテンツにおいてはこれを拒絶されるケースが一般的に多く、本当にありがたい)

また、話していて自分の言葉をもっている。

受動的でない。きちんと自分から主体的に動ける。

これは、彼女の財産というか、むしろそれが弊社からの彼女のパフォーマンスへの最大の信頼といってもいい。

よいビジネス・パートナーだ。


5. Grit(やり切るちから)

4.でほぼ述べてしまったが、彼女は途中で投げ出すことがない。
多くのフリーランスにおいて、ありがちなのが途中であきらめることである。
また、短期的なゲインに執着して、長期的なゲインを喪失することである。
iikoeでもよく感じるが、短期的にとりっぱぐれないようにどんどんふっかける声優さんや、また、1ミリも頑なに修正に応じてくれない声優さん、それは「依頼者が信頼できない有象無象」であれば最適解な対応だが、私個人はおそらくこのプロジェクトに自腹で結構莫大な資金を現時点で突っ込んでいるので、基本的に「お金は出す人」です。そういう企業です。本当にがんばって投資しているんです。

なので、誠実に対応してくれる声優さんにはばんばんお金は出したい。
なぜなら、それをこちらとしては「投資」としてみているから。(とはいえお金は有限なのと時期によっては案件を途切らすこともあるけど。。。)

彼女はブログを書いてくれたり、配信してくれたり、まあ今後もいろんな変化や新規プロジェクトが発生しますが、彼女は、やりきります。

弊社はみなさまの人生をサポートし、癒しを与え、メンタルを回復します。

そして、結果として、(やはり企業なので)しっかり儲けます。(ただし薄利多売で)

そして儲けた分は、きちんと貢献してくれた人々に還元します。


とろふちん、これからも一緒にがんばろうね!!!!!!!

よろぴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜9

2024年6月20日木曜日

なぜ所属コミュニティは複数もった方がいいのか

どうも、管理人です

今回は、なぜ所属するコミュニティは「必ず」複数持った方がいいのかについて話すぞい


単純に、所属する社会が少ないことは、危険だよ。

たとえばブラック企業を例にとってみよう。この前のビッグモーターの件なんかまさにそうだけど、その企業の社長さんやその息子が絶対的に偉くて、きみはその人の言うことに絶対服従しないといけない。

LINEで「おまえ、しね」

といわれたら

「ああ、わい、しなないといかんのか」

と思ってしまう。でもこれってアホすぎるやろって話。

もし、君がこの「イカれてる」会社の外になんのつながりもなかったら、どうだろ。

このばあい、きみはどんどん

「ああ・・・この会社をでてったらわしは生きていけない、通用しない」

「わしは何年もすごしてきたんや、いまやめたらこれまでの苦労が無駄になる」

みたいなかんじでどんどん追い詰められていくじゃろう。

だから、所属コミュニティを一元化するのは、単純に危険なんじゃよ。

これは、カルト宗教についてもいえる。

カルト宗教の信者がそこから抜け出れないのは、


1. コミュニティや人間関係が人質になっている

2. そのコミュニティに依存している

3. 外部との情報アクセスが遮断されている

4. バランスのよい考え方ができず、組織の教えが絶対になっている

5. 特定の人間を絶対視している

6. 組織を出るコストが高い(家族が人質・命の危険・社会的制裁)


みたいな特徴があるぞ。これは暗記してな。

これを防ぐためには、まずこういった組織にそもそも入らないこともそうじゃが、コミュニティに対しての適度な距離感、「束縛の雰囲気」への敏感な嗅覚、いつもバランスのとれたインプットをおこなう必要があるぞい。


近年問題になっているフェイクニュースも、これに近いぞい。陰謀論とかは、もうそれが一つの宗教ビジネスの新しいかたちになっているといっていい。


欲を言えば、新聞はきちんと読む習慣をつけたほうがええよ。新聞はある程度情報の質やバランスが担保されていて(政治なら政治家、経済なら企業家、社会問題なら当事者、海外問題なら海外にじっさいに駐在してその場所の当事者、医療なら専門家・・・みたいに組織的に足をつかって情報をとってくる、ノウハウが確立されている、社会的信頼や実績がある)、利害関係の異なる新聞を複数読み比べる習慣があると、世界の「解像度」があがるぞい。世界の解像度があがるってことは、正しい判断と、正しい行動ができるってこと、だぞい。


ものごとを、複数の観点から見るちからは、必須だよ

さっき述べたように、ものごとを複数の観点からみるってことは、これは人としてなくてはならない能力だよ。

もともとはカント大先生が純粋理性批判で確立した手法なんだ。(わいの記憶だと、ちょいうろ覚えだけど・・・)

英語だとPros and Consじゃな。

1つのトピックについて、最低でも相対する二つの視点でみる必要がある。

たとえば、

例題1「この家、土浦の神立にあって6畳で1億、今買わないともう他の人が買っちゃいますよ」

って迫られたとするじゃん?

Pros

土浦の神立の6畳の家は、1億で、今買わないともう他の人が買う、と営業が行っている


Cons

- 土浦の不動産相場は、6畳でいくらか

- その中でも神立の不動産相場は、6畳でいくらか

- 1億は統計的に、相場として妥当か。また、その根拠は。

- 今買わないと他の人が買ってしまう、というのは買わせるためのブラフではないか。本当に今買う必要があるのか。

- 他に選択肢はないのか


といった形にブレイクダウンしていくぞ。

もう一個、思考実験してみよ?


例題2

「SNS上で、以下のような投稿が投下されました。」

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2024年5月20日 日本経⚪︎新聞報道








ベトナム国籍の男、グエン・タン容疑者(50・写真左)は2024年4月中旬ごろ、

当時6歳だった鈴木かのこちゃん(写真右)を殺害した罪に問われている。

動機として、「日本が嫌いだった」といった旨を述べており、

警察は余罪を調べている。


みなさん💢こんなやつをゆるしていいんでしょうか?

日本がベトナムに侵略されている!

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Pros

ベトナム人が反日で、日本人の子供に危害を加えていると聞く。

Cons

1. 1つの犯罪事例について、過度な一般化(oversimplification)を行なっていないか?(例:日本の仏教徒はみんなサリンをまく習慣があり、一部「いい仏教徒」「も」「いる」みたいな言い方も事実に即しているのか?そういった形の判断を上記例題2についても自分がしていないと言える根拠は何か?つまり、自分が外国人にもつ潜在的偏見やバイアスは一切ない、と言い切れるか?)

2. そもそも、この投稿が実際に日本経⚪︎新聞から報道としてなされたという根拠はあるか?nikkei.comに該当の記事のリンクがあるか?その詳細URLを根拠として提示できるか?

3. 最低でもよく知られている報道機関2社から同一の事実についての発表があるか?

4. この写真の出所はどこか?

  4-a: 全く別のコンテクストの写真が、虚偽の主張に使用されていないか?

  4-b: 画像や映像はAI生成ではないか?それを担保する根拠はなにか?

5. 「日本がベトナムに侵略されている」「ベトナムは反日」という根拠はどこか

  - 警視庁が発表している犯罪統計データを、まず自分の目で(また聞きやインフルエンサーの投稿したスクリーンショットではなく)確認したか(最低必須条件)

 - 日本の犯罪のうち、日本人による犯罪件数と外国人による犯罪件数の比率を、根拠を明示しながら答えよ(政府のサイトないし新聞社のリンクをかならず添付すること)

- たとえば、在日ベトナム人の総数と、そのうちの凶悪犯罪・軽犯罪の各比率を、根拠を明示しながら答えよ

- 「ベトナム人が反日」といわれる根拠について、「統計データ」「ベトナム人への聞き取り調査」などをもとに答えよ。調査元も明示すること。

- あなたはベトナム語を話したり理解できるか?(言葉を理解できない相手を、そんなによくわかることができるのか?なぜ?)

- あなたはベトナム人のコミュニティに参加したことはあるか。どの程度の年数、どういった年齢層・職種と関わったか。


ちなみに、上記写真は


モンゴル人の男性が彼の娘とポーズというフリー素材でした。

もちろん、例題でだされた文章も「フェイク」です。

これよりも、さらに巧妙な嘘情報・嘘動画が、SNSでは大量(常軌を逸した量)に流れています。

もうひとつ踏み込んで言えば、正規のニュースサイトからほぼデザイン・記事文章まるパクリした偽ニュースサイト(そして記事を一部嘘に修正する)や、生成AIも参戦しています。あなたにそれを見分けられますか?それでも頑なにオールドメディアを読む習慣をつけませんか?

これらの嘘情報は、怒りの感情、恐怖の感情、排他感情を刺激するように、できています。

あなたは、大丈夫ですか?


例題3

「ある芸能プロダクションにスカウトされた。ただ、CDの制作やその他iTunesのプロモーションなどで合計30万ほど工面する必要がある。今このチャンスを逃すと次はないので、アコムに行って「旅行代金です」といって30万借りてこい、と社長に言われた。よくわからないので、社長がアコムの前までついてきてくれた。」

Pros

- 芸能プロダクションにスカウトされた。これは唯一無二のチャンスだ。

- CDの制作やその他iTunesのプロモで、どうしても30万かかってしまうらしい

- アコムに行けば、30万借りられる。これは投資だ。

- 丁寧な社長は、わざわざアコムについてきてくれた


Cons

- その芸能プロダクションは大丈夫なのか。きちんと調べたか。

- メインのアーティストを何人かかかえていても、養分として何人も騙してお金を吸い取るようなプロダクションはないか?

- その芸能プロダクション以外に選択肢は「本当に」ないのか。よく比較検討してみたのか。

- 友人・親・その他知り合いに、相談はしてみたか(複数観点)

- CDの制作と、一枚あたりのプレス料金の相場を、調べたか。

- iTunesなど音楽プラットフォームの、インディーズの配信料金の相場はいくらか。

- そもそもこれから「アーティスト」に投資するはずの芸能プロダクションが、なぜあなたから「お金をとる」のか?

- スカウトであれば、相手からお金を1円でもとるのは詐欺ではないのか?

    - このことについて、友人・親・知り合いに相談はしたか?(複数観点)

- なぜ消費者金融から借りるのか?

- なぜアコムまでついてくるのか?


さいごに

これまでいろいろみてきましたが、こういったふうにひとつのものごとについて


「複数の観点にブレイクダウンして」

「根拠をきちんと調べ」

「複数の利害の異なる知り合いにも意見を求め(セカンド・オピニオン)」

「ある程度裏をとってから(Verify)次のステップに行く」


これが、「だまされない」ということです。

数学ができると、なおよしですが。


宗教も、マルチも、会社も、フェイクニュースも、すべてにいえます


21世紀の人類の基礎教養ですね。


よろしくどうぞ。


みなさんの人生が、豊かに守られますように。アーメン

2024年6月18日火曜日

【全国民必読】食べるって、宗教なんだ。

 


食べ物が、宗教なんだ。

どういうことかっていうと、「何を食べていいか、何を食べていけないか」を規定することが、まず人の行動を制御して、その宗教にコミットさせるための一つの大事なステップなんだよ。


各宗教の経典で、食べ物に対する禁忌について示している箇所はね、

イスラム教

イスラム教では、クルアーン(コーラン)が食べ物に対する禁忌を規定してるよ。たとえば

クルアーン 5:3

禁じられているのは、死肉、血液、豚肉、またアッラー以外の名が唱えられたもの、窒息死したもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突かれて死んだもの、野獣に食べられたもの(ただし、ちゃんと屠殺したものは別)、祭壇で供えられたもの、占いの矢で分け合うこと。これらは邪悪な行為である。今日は、不信心者があなたの宗教を失望する日である。彼らを恐れないで私を恐れなさい。今日は、あなたに宗教を完遂し、あなたへの恩恵を完遂し、イスラム教をあなたの宗教として満足させる日である。しかし、誰かが飢餓に迫られて罪を犯さない限りは、アッラーは寛大で慈悲深い。

キリスト教

キリスト教では、新約聖書と旧約聖書が食べ物に関する規定を示しているよ。

旧約聖書レビ記 11:1-8

主はモーセとアロンにこう告げられた。「イスラエルの子らに言いなさい。あなたがたが食べることのできる地上のすべての動物はこれである。すべてのひずめのある動物、すなわちそのひずめが割れている反芻動物は、あなたがたが食べることのできるものである。ただし、反芻するがひずめが割れていない動物や、ひずめが割れているが反芻しない動物は、食べてはならない。例えば、駱駝は反芻するが、ひずめが割れていないので、あなたがたにとっては汚れたものである。兎も反芻するが、ひずめが割れていないので、あなたがたにとっては汚れたものである。豚もひずめが割れているが、反芻しないので、あなたがたにとっては汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならないし、死体に触れてもならない。これらはあなたがたにとって汚れたものである。」

新約聖書使徒行伝 15:28-29

聖霊とわれわれは、次の必要なことのほかには、あなたがたに重荷を負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と血と絞め殺した物と淫行を避けることです。これらのことから身を守っていれば、それで結構です。さようなら。

仏教

仏教では、たとえばこうだよ

仏教五戒(パーリ語: pañca-sīlāni)

  1. 不殺生(殺生をしない)
  2. 不偸盗(盗みをしない)
  3. 不邪淫(不適切な性行為をしない)
  4. 不妄語(嘘をつかない)
  5. 不飲酒(酒を飲まない)

涅槃経

涅槃経の一部には、五辛(にんにく、ねぎ、らっきょう、にら、アサフェティダ)を食べてはならないという規定があるよ。これらの食材は、悪臭を発し、心を乱すとされているよ。


何が言いたいかっていうと、まず

1. 1000年単位で骨格がそこまで変わっていない宗教や教義については、一応実例としてそこまで危険ではない(と観測される)

2. とはいえ、新宗教をつくるうえで、まずはじめのステップになるのが、食べ物・健康のタブーを作るってことなんだ。


大事なことだからもう一回言うよ。


宗教をはじめたかったら、まず食べ物・健康のタブーを作ればいいんだ。


オウム真理教もそうだけど、危険な新興宗教をつくって広めるためには、ひとりひとりを「自分の都合のいいふうに動かす」必要があるんだ。自分の都合のいいふうに動かすには、どういう方法が、あるかな?


1. 物理的な拘束をおこなう(むりやり逮捕・拘束監禁したら、思い通りにできるよね)

2. 相手が自分の都合よく動くように、相手の脳のソフトウェアを書き換えるんだよ(洗脳)


1はもはや説明する必要すらないだろうけど、問題は2だね。洗脳するんだ。洗脳っていうものをもうすこし詳しくブレイクダウンすると


1. 相手に特定の教義をひたすらインプットする

2. 相手を外部のインプットから遮断する


だよ。アニメはサタン!格闘技はサタン!なんてその最たる例だね。これを上手に使うためには、たとえばキリスト教でいうと、三位一体は、邪魔なんだ。だって、たとえば自分が宗教を始める場合、


1. 新しくスクラッチで作るとみんなに怪しまれる

2. つまり、すでにある宗教のブランドを使って集客をしたい(もちろん、嘘)

3. そして集客したところでひとりひとりに自分独自の教義をインプットしたい

4. 3.のインプットを確定するために、外部の情報から遮断したい

5. 4.をより確実にするために、ひとりひとりの家族や友人などの連絡を遮断したい(孤立化)

6. 5.により、ひとりひとりを自分たちの組織に完全に依存(組織が絶対)させ、簡単に抜けられないようにしたい


こうだね。これが最近露呈した例が、旧統一教会だよ。


彼らは、キリスト教を偽装しながら、自分たちの独自教義をつかって信徒を洗脳させて、お金や、性の自己決定権などを搾取したんだ。自分たちの行為が犯罪にならないように、お金も使って与党にもきちんと影響力を行使して、最近の安倍首相事件につながるわけだね。あの宗教の神はキリストじゃなくて、文鮮明であり、韓国が神なんだ。(※もちろん韓国の教会の大多数はまともな普通の教会だけどね。管理人個人は献身的で誠実な韓国人の牧師さんは、一部存命でない人も含め多く知っています。ただ、宗教と政治を混ぜること・自分のイデオロギーを正当化する手段として聖書を使うことは、国に関わらず、赤信号だね。)


ぜんぜんキリスト教じゃないよね。


はじめの議論にもどろう!


なぜ、食べ物・健康を強調する必要があるのか。


食べ物を抑えると、自分の宗教にコミットしてもらえるからだよ。


彼らは宗教をよく研究しているから、どうやったら信者が増えるかわかっているんだね。


ワクチンは危険、と宣伝すれば、自分経由の非公式の医薬品を売り捌くことができるよ!

お米は危険、お水は危険、いろいろ宣伝すれば、自分たちの健康食品とかが売れるよね。


これも経済だよ!


まとめ

年季のかなりたった宗教(1000年単位)のばあい、まあ歴史があるぶん(他に比べて)現代社会において、そこまで極端な実害はまれだよ。(だからカトリックとかプロテスタントとか、正直どうでもいい違いだよ!)

でも現代の新宗教は、この宗教のもつ基礎的な仕組みを応用した、さまざまな方法で、みんなの時間や、お金や、チャンスや、性を搾取するふうに作られていて、ある程度有名どころは確定しているよ。

(🚨🚨🚨キリスト教であればまず三位一体を信じていないところは高確率で危険⚠️🚨🚨🚨)

加えて、近年の偽情報ビジネス(反ワクチン・主に保守系に多い政治プロパガンダ・この食品は危険!など)も、こういった食品・健康のタブーを主な手段として用いているよ。


その動画、そのSNSのタイムライン、そのDM、だいじょうぶかな?


ちょっとむずかしくなってごめんね。みんなが、健全なネットライフをすごせることを、祈ってるよ!


何か迷ったり困ったことがあったらきいてね!匿名で相談、受け付けるよ!

小説「女子高生キリスト」

 ※この話はフィクションです。


やっほぉ〜っ!私の名前はキリスト!私が生まれたとき、何を血迷ったかうちの両親はわたしに

「じゃあお前、キリストな」

って言ってこんな名前をつけたわけ。信じらんない。

それが、私の世界の始まりだったんだ。


ひばりヶ丘で電車を待つ。高校は保谷。帰りに一人で古本屋による、そう、私って一風変わってる。

変わってる1日。


変わってることが、アイデンティティ。


田中もそう、思っているかな。


「常識っていうのは鎖だから」


彼が何度も口にした言葉。あいつは青く染めた長いツインテールをいじりながら、そういうのが口癖だった。


「うちは校則が緩いから、俺たちは自分たちがどう見られるか、を自分でカスタマイズできる、選択できる。でも、偏差値の低い高校の奴らは、無理だぜ。これは俺たちの特権、アクセサリ、ロレックスと言ってもいい」


ロレックスねえ。凡庸の代名詞じゃないの・・・なんて貧乏なうちでは僻みで思っちゃうけど。


「俺たちは俺たちのアウトルックを選択する自由がある。だから、これはファッションじゃなくてイデオロギーだな。そう、イデオロギー。人と自分は違うって、人間って証明しながら動く機械的な生き物だろ」


「私は普通が良かったな」


少し窮屈さを感じた故のストレス反応。議論、疲れるよ。


16歳の乙女が、篠崎キリスト、なんてやっぱり酷いじゃん。キラキラっていうレベルじゃなくて、もう名前自体がある意味で強すぎて、私の存在が、負ける。


「私は普通がよかった」


「普通教かよ」


二度同じことを強調し繰り返した私に対しての追撃の一言。

田中と私が帰りに、世界に見せつけるようなキスをしていた時も、あいつはいつも私に毒針のような容赦ない言葉を投げかけた。


ただ、彼は孤独だったのかも知れない。自分だけがこの世界を必死に考えてるんだ、という感受性の孤立のようなもの。


感性が欠落した個人が、永遠に世界を左脳からしか把握し得ないように、

論理が破綻した個人が、永遠に世界を右脳からしか覗けないように、


「自分が全てを知っている。そして河岸をも知っている」


という彼の独りよがりな超越思考が、彼をより彼の中で高くし、確信を持たせていた。


俺は強い。俺はあいつとは違う。俺は賢い。俺は誰よりも優れている。


俺は神だ。


でもそれって若いゆえの特権だから。若いって傲慢だ。


「みんな普通普通って言って、そういう周りに合わせたコンフォート・ゾーンをファッションにするんだよな。そう、他と変わっていない方が安全だ。他と変わっていない方が制裁されない」


「でも普通がいいんだよ、私。こんな名前にするんじゃなかった」

「キリちゃんって呼ばれてるじゃん」

「それもイヤだ」


同世代と違ってあらゆる漠然とした思考に形を与える言語化の力、ということにつけては、私たちは服装自由な偏差値の高校にふさわしいものを持っていた。


その時突如、ドスのきいた乱暴な声が襲いかかった。


「っるせえなあおい」


そこに不審な、大柄の中年が徐ろに現れた。


「ガタガタうるせえよ、おい」


凍りつく時間。さっきまで複雑な処理を繰り返していた私の頭は思考停止し、空間が歪んだ。一瞬で私の脳は、矮小化された、惨めな紙屑と化した。


私たちは道沿いのベンチに座っていて、このおじさんが隣でずっと聞いていたんだ。


聞いていたと言うより、おそらくこのおじさんからすれば、自分はゆっくりくつろいでいたのに私たちの話を「聞かされていた、」それに対する反発だったのかな。


主張の強い、相手のコンピュータ・ウイルスのような言葉。それは新興宗教や政治セクトみたいに、ただ相手に反論をさせる暇もなくナンセンスな破綻した理屈を並べ立て、相手に同調を要求する。そういった、マイクロ・アグレッション、侵襲性についての生理的な、動物的な反発。


夏の蒸し暑さと、いきなり向けられた大人の本気の殺意とのコントラストが、不気味さと恐怖を引き立てた。


「おいお前よお」


言語化とか、知性とか、知識武装とか、一切が無力だった。


田中はそのままそこに張り倒され、力なくか細い「ヤァ・・・ん」と言う悲鳴をあげた。


ツイッターや動画ではエッジの効いた独白と攻撃性のみなぎった論破を繰り返していた彼が、自分よりも遥かに卑しい大人の腕力によって一撃で地に堕ちる。


そのまま彼の上におじさんが馬乗りになり、田中の口から血飛沫が上がった。


鈍い音。


鈍い音。


私は全身が震え、初めて神に祈った。


「イエス様・・・!彼を助けてください」


すると天井が真っ白になり、空に巨大で少し白味がかった志村けんの顔が


ぬぅ・・・・っと現れ


「ダッフンダあああああ!」


と叫んだ。その大声でおじさんは20mくらいはじき飛ばされた。


田中を必死で背負いながら逃げる私。


ありがとうイエス様。


ありがとう志村けん。


ありがとう田所浩二(登場していない)



※この話はフィクションです。

2024年6月12日水曜日

自己防衛おじさんの炎上について、思うこと


事の発端となったのは自己防衛おじさんでお馴染みの橋本鉄平氏が、人身事故時に非常ドアを開けてはならない、というアナウンスがあったにも関わらず開けてしまった、しかもそれをSNSで得意げに話した・・・ということにはじまる

https://x.com/tpyclub/status/1800675659506991209

管理人的にいうと、まああかんよな、我慢しようぜ

になるのだが、それよりも炎上の仕方というかリプライやQTの傾向などに妙な違和感を覚えた


「自己防衛おじさん」じゃなくて「自己中心おじさん」


まあ滝沢ガレソ氏がそのようなキャッチフレーズで紹介したというのもあるが、多くのアカウントが異口同音に、まるでコピペかインプレゾンビかのようにこの単語の入ったリプライを返していたことだ。

これの何を懸念しているかというと、彼らが「自分の言葉をもっていない」ということである

まず例え特定の個人が規則を破り、多数に迷惑を結果としてかけたとしても、まずそれはそこにいた当事者であればいざしらず、自分とは利害関係のない相手である。

無論、そういうことを許容してしまうということは結果として社会を混乱させ、結果として社会が悪くなる、という観点はわかる

ただし、画一的すぎるのである


無論今回の自己防衛おじさんの行為は実際問題、自己中心的であったと言える。

だが、だれかがすでにもう述べている言葉を、まるで土管のようにコピペしてリプライする、そしてそれによっておそらくは社会的な悪に有形力を行使したかのようなカタルシスを得る、そういった人としての「薄さ」、「中身のなさ」といったもの。(揶揄しているわけではない)


つまり自分でものを考える、思考していく、思考の中でいろいろ葛藤していく、自分の言葉をもっている、

そういった人間が比較的(特に下のレイヤーには)少なく、またそういった文化的土壌も乏しいのではないか・・・と考えたのであった。


滝沢氏がもてはやされていることからもわかるが、日本のSNS空間の現状として


「ここ掘れわんわん、ここ殴れわんわん」


というこう画一された、没個性的な、鬱屈した人間の醜悪さ、を私は感じている。


むろんマクロとしてそうなんじゃないか、というあくまでも憶測の域を出ないし、そうでない人も一部見受けられたが、やはり印象としてはそう感じる。

この「土管」のようなメンタリティがどうして危険か、というとそれは個人としての価値観とか思想体系がなく、あるのは相互監視を本質とした規律道徳、そしてその共通合意や黙契を破ったものへの「有形力の行使」を通してのカタルシス、またそれを助長するSNS、といった構造上の問題がある。

こういった人間の類型を、ここでは「土管人間」とよぶ。

ナチスドイツでアイヒマン?の分析をハンナアレントがやっていて、その「凡庸性」「自我の薄さ」「中身のなさ」といったものを列挙していて、これって日本人にも(というと実際は主語大きいんだけどね)当てはまるんじゃないか、と思ったのだ。

自我があれば、自分で考え、自分で思考し、自分で判断する、ということがあれば誰もがロボットみたいに誰かがすでに呟いたことを繰り返すことはない。

みんなが「こいつけしからん!リンチしようぜ!だってこいつはXXXXだから」という空気になったら、自分も「よし!リンチしよう、だってこいつはXXXXだから」になることはない。

これは黒板の板書をひたすら書き写す教育の産物かもしれないが。

でもそれってただの土管なんだ。それを中道って自称する人がいるんだけど。

つまり本質としては土管人間である。土管であるがゆえに強烈なアジテーションやプロパガンダというものに露出してしまうと過度の傾倒・盲信をしてイデオロギーの泥沼にハマっていく傾向がある(反ワクチン・老人のネット右翼化・全共闘・その他)。

イデオロギー的になるということのうちでも、一部の学生運動や政治セクトのような全体として「グロテスクな中身のなさ」「ゆえの、極端な党派性」というのは、それがある意味で残虐さを帯びて集団リンチやテロを引き起こした。(無論、学生運動ぜんぶが悪い、といいたいわけではない。そこまでは当方ではわからない)

この「グロテスクな中身のなさ」は、自分自身を持っていないこと、ゆえに「公的」概念を振り翳して「村の掟に背いたもの」への有形力の行使を通じて「自分を肯定し」「仲間と連帯感を強める」こと、

これが外国人差別などにも通じているような気がしている。


価値観のコアなところが抜けていると、やはりアジテーションに染まりやすいわけで、それを「自分は中道」などと錯覚しやすいわけで、


でも本当の意味での知性は、やはり


「一歩引くこと」


つまり「自分の言葉をもつこと」


「自分の価値観をもつこと」


なんじゃないかな、などと感じる今日この頃なのである


わたしが聖書ASMRを継続し、それがときたまバズった後に、

ゲームとかAV、その他でキリスト教的なパロールの類似のキャッチフレーズを使っている例を散見したが、そういった広告を打つ側の主体が、


驚くくらいに人間が「薄っぺらい」


というのをわりと深刻に感じた。彼らは「与えられた思想体系のエッセンスを学習することができない」一方で、「上澄をファッションとして劣化させて使い回す」(ゆえに、神をふざけた偶像にすげかえて、キリスト看板のモチーフは踏襲する、など)


これが、日本にキリスト教が定着しない大きな理由だと思われる


まあそんなこんなで。もちろん筆者がそういう「土管」な人たちを馬鹿にしたいとか、下げたいわけではなく、


だからそういう人こそ


「聖書」とか「神」


必要だよねって話。


ただ、村の掟があって、それを破った人間に石を投げて村八分にして、正義感を満足させるみたいな、そういう次元の、もう一つ向こうに行こうぜ。っていう。


「こいつ気に入らねー!」じゃなくて、「こいつもまた、神は愛す」に変えていこう。


聖書を本当にきちんと読むと、自分の価値観の土台が、できるんです


きちんと、読めばね。


まあそんなかんじで


最後までよんでくださってありがとうございました。まああくまでも個人のおっさんが好き勝手喋ってるだけなんで、あんまり怒んないでね!


よろぴこ(全裸)


2024年6月8日土曜日

本当にいい教会って


本当にいい教会って、個人のライフスタイルとか生活に過度に干渉しないと思うねんな

これはわしが38年みてきて、なんじゃけど。

だから「特定の行動を促す」「自分の生活様式まで干渉・管理してこようとする」クリスチャンっていうのはちょっと気をつけたほうがええな。

いや、もちろんそりゃ〜酒もタバコもやめられたほうがええよ

DLSiteで「うっふぅ〜ん・あっは〜ん・いやぁ〜んASMR」なんかを購入せんほうがよりクリスチャン偏差値は高いに決まっとる

でもそれを「強制される」「主の喜ばれないことはやめましょう、はいこれしましょう」ってこう外堀から埋めてくるタイプの教会は、わしの経験上は地雷の可能性が高い

だってそれは一人一人が「自分で判断すること」じゃん?

そういった器というか自由さがなくて「縛ってこようとする」「律法でジャッジし行動を矯正しようとしてくる」ところにエネルギーをかけるっていうのはちょっとたぶんその教会に通ってもあなたの人生はベターにはならんな。最悪カルトにすらなりうる

じゃあキリスト教偏差値が高い、理想的な、かくあるべしな生活様式がないかっていうとあるで

より清潔に生活しとったほうがいい

でも、そうでないやつで教会にいるやつへの「許容度」やな

俺たち人間の大半は「優等生君」を頂点としたピラミッドなどに魅力をかんじていない

そして、まあそういうピラミッドの最たる例がエホバや統一教会なわけですね

救済の重心が「律法」にある

だから人の行動を管理したがる

で、9割の人間が管理されて奴隷化されて、

女性信者を偉〜い人が「ぱくり」。性犯罪が発生する。カルト化した、キリスト教会で。


だから、まず「個人の自己決定権の自由」っていうのが教会には大事やと思う

まじめな聖書アスペは、ときに人に危害を加えるってこと。少なくともわしがマクロでみた感じはそうや

他人のスマホの中身なんて、ほっとけや。

そんなことよりも、教会が政治や民族イデオロギーなんかに汚染されないことの方が数倍大事や

民族イデオロギーに汚染されて、「アダム国家」と「イブ国家」ができて、日本人が搾取された。

それはキリスト教に政治を持ち込んだからや

韓国だけやない

アメリカも、教会が右傾化して、有色人種に暴力を振るったり、LGBTQの人たちを迫害した。

日本もじゃ。

日本は仏教が比較的多いからそれの極限がオウム真理教になったわけで、

やっぱり

教会は個人の救済に重点を置くべきやよ

まじめくんで、マスターベーションしちゃあかんで

ちゃんと外向かな。

外を向くってことは、世俗を理解するということじゃ

個人の自由は、大切や

カルト化した牧師のおっちゃんに性的暴力を振るわれそうになったとき、


「NO」


といって突き飛ばせること、


教会に「こいつと結婚しろ」と洗脳されて強要される(合同結婚式とか)とか、


自分の人生の「首根っこを」教会につかまれる、


自分の生殺与奪の権利を教会につかまれる、


そういうのを、全部「NO」と突き返すこと、大事じゃよ。


教会を選ぶこと。悪い教会に搾取されないこと。自分で自分を決定できること。


特に教会にいる女子たちよ、すげー大事じゃよ。

スマホの中身をちまちま検閲したり干渉する悪趣味な律法より、

こっちのほうがすげー大事だ。


以上、わしの意見でした


これからもこのトピックは繰り返し伝えていこうと思います


2024年6月7日金曜日

今後の計画:全国教会礼拝メッセージ・キュレーション計画

こんばんわ管理人です

今回お話ししたいことはですねえ、んとですねえ、

やはり日本の教会をモリモリ・・・まるまるモリモリ盛り上げたい〜なんで弊社では思ってるわけですね

そんでですね やはり礼拝メッセージを発信している教会をこう「キュレーション」したいというか、なんかこう上手にアニメ風に要約して発信する

んで、オリジナルの礼拝メッセージへのリンクものせるみたいなwinwinな企画をやりたいなあとか思いまして。はい。

いちおうキュレーションの基準は以下どす

1. 三位一体の神を信じている

2. イエスキリストと十字架のみを救いの要件として信じている

3. 礼拝説教の内容がまともである

4. 礼拝説教の内容が、自分の自己主張や偏った政治的主張、イデオロギー的なものとごっちゃになっていない

5. 礼拝説教の内容がわかりやすい

6. 礼拝説教の内容が意味不明な怪文書のようなものではない


こんなかんじで、まあかなり厳密にこちらで調査してですね、まともな礼拝説教だけをキュレーションしていきます

特に若い世代の人たちによくわかるように、アニメ風に、メスガキ風に、なんでもええんですけどサブカルを考慮した語り口でまとめたいな〜なんておもってましてね


noteなんかでもまあやっちょるわけなんですが

https://note.com/asmrchurch


ちょいこちらにヤドカリ引っ越そうかな〜とかも一瞬思ったりはしています


まあそんなこんなで


アメリカとかイギリスの教会が発信している礼拝メッセージも要約していこうとおもいます


うーん、あれやな


ETFに似とる


キリスト教会のS&P500や〜!


ドルコスト平均法で、メンタルを回復しよう


てなわけで


じゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜の❤️