「多くのやつはおとなしい。特に日本人は、おとなしい。
おとなしいし、礼儀正しい。襖を開けて、三つ指ついて、丁寧にお辞儀から入る。
あの所作。
俺は50代半ばで、ある事故で片足をなくした。なくした、というかまあ事故直後はあったんだがまあ電車に飛び込んでそのまま奇跡的に助かったんだけど足だけが悲惨な壊れ方をした。
まあそういうのはいいだろう、まあ要は身寄りがいなかったんだよ。
俺が孤独なのは嫁に捨てられましたとかそういう理由というよりは、俺自身が孤独を愛していたからだ。
結婚なんて、するやつの気がしれないね。
ああいうやつらは何百万も大金かけて立派な結婚式を、あるやつは和式であるやつはキリスト教徒でもないくせに牧師の前で愛を誓うんだな、
そもそもその牧師すら本当に牧師かすら怪しい。
だから結婚はまず金から始まる。
金、金、金。
結婚すると、金をとられる。結婚するには、金がないといけない。
女は全員金の亡者。ふん、くだらねえ。
どんなにチビでも、デブでも、不細工でも、不動産でももってりゃ〜そりゃあいい女を抱ける!
俺にはわかる!」
このようにクダを巻いたホームレスの男は名前がわからず、謎につつまれていた。いつも近所の県立図書館の自習席でつっぷしてねているか、空き缶を拾うかしているハエのようなこの男は、口を開けば世間に対しての恨みつらみがでてくるのであった。
僕ですか?僕はホームレスにインタビューしてまわってるYouTuberで、まあ、はいガイ録さんほどではないですけどまあ月10万くらいは稼げています、コンスタントに。
「すると、女はくだらないんですね!」
「んだ。そもそもあいつらがもってる取り柄といったらXXXXくらいなもんだろう、そのうえ男女平等だとかなんとかかんとかいって俺らを下にみやがる。へっ、別にお前らみてーなやつこっちからお断りだっつうの」
「断られるっていうことは、需要がまだあるんですね!」
一瞬空気が凍りつくか?と構えたが、このようにあえて一瞬同調にみせかけたトーンで煽る文句を挟むことによって僕はインタビュいーを「怒らせる」ことを重要な方法論としていた。
なぜかというと多くの人が通り一遍の表面的な優等生的な回答をすることをDNAレベルで仕込まれているからだ。そして、その回答はよそよそしく、凡庸だ。
そういった体面繕いみたいな答えをきいても、それはメディアのコンテンツにはならない。
「うるせぇなああああああ!」
血相をかえて立ち上がったホームレスの男。身長は175cmくらい。チビがどうとか例に出していた割にはそこそこでかい。まあ杖ついてて片足はないんだけれど。
そして殺伐とし、いまにも殴りかかられるかといった沈黙と睨み合いがつづいた。
僕は、あえて「ヘラヘラ」していた。このヘラヘラは、相手からすべてを引き出すための格闘技の構えににている。
「うるせぇよおおおおおっ!」
男はぽろぽろと大粒の涙を流した。
確かに、社会で何かに対して攻撃的なアクションというか言動を繰り返している人間の根底にあるのはコンプレクスであることが多い。もちろん、コンプレクスという単語によって相手を低めようとかそういうサディスティックな意図ではなく、純粋に
自分がなにか「不遇な目に」あっている
といった恒常的な呪縛が、彼の心をずっと呪いにかけているようであった。
「俺がヨォ、そもそもよぉ、石田(10年前の職場の上司)が俺のこともっと丁寧に扱ってたら俺は電車なんかそもそも飛び込まなかったのよォ!あいつがいつも俺の営業成績を、俺のやった業績を横取りして、手柄を横取りしやがってよお!それで美咲(当時の新卒女子社員)に媚びやがって、俺が狙ってたのに美咲とホテルいったって飲み会で自慢して、あいつ仕事なんか全然できなかったし俺があいつの尻拭きやってたのによ、あいつだけキラキラSNSでキャリアならべて、俺が全部あいつの案件に貢献してたんだ」
ちょっと可哀想になってきた。もし彼のいっていることが本当ならば・・・だが(逆恨みでない?)
結局、彼の話を総括すると彼は地味に取引先との信頼をかため、案件を取得するスキルや知性にも長けていて優秀であった。
ただ、上司との人間関係や(彼の話をそのまま信じるならば)上司から恒常的なパワハラを受けたり、成果の横取りといったことをされ、また慕っていた女子社員との不倫をこれみよがしに見せつけられ、といったことの蓄積によって精神を病み、電車に飛び込んでしまった。
自死を考え電車に飛び込んだ彼であったが、幸か不幸か助かってしまい、また、当時彼は両親を亡くし頼れる身よりもいなかったこと、また生活保護やその他福祉サービスを受けるには自分自身のプライドがそれを許せなかったこと、などが重なり、それが彼の状況を(経済的なものも含め)より悪化させていってしまった。
「くそが・・・・」
彼のもつ女性や、社会、時事などに対する強烈なヘイトや恨み、は・・・程度の差こそあれ京アニ事件の犯人を連想した。これは彼を「犯罪者」扱いするといった程度の低い揶揄ではなく、彼自身がセーフティーネットを実質失っていた、彼自身が孤立していた、それゆえ彼は社会にたいし強烈な恨みをもっていた・・・ということである。
だとすれば、なにか「最強の男性」が現れてしまった時、それは加害者だけの問題であるか?もちろん加害者は量刑的に死に値する。ことをした。のでそのように裁かれるべきである。
だがそういったものの再発を防ぐためには、やはり「孤立」を防ぐ、を地域共同体で行うべきではないのか。
そしてその際、その「地域共同体」にイデオロギーという色というかモーターがなければ、張子の虎のように事実効果のないものではないのか。
人類のはじめは宗教だった。人類は、神を必要とし、神とともに生きてきた。
これがとくに現代になって科学と対峙せざるをえなくなる。
あるものは神を否定し、
あるものは科学を否定し、
あるものは神と科学を「不適切に」混ぜた。
不適切な混ぜ方はグロテスクな様相を呈する。
ある場合、それは連合赤軍や造反者への自己批判や凄惨なリンチの儀式、という結果に終わった。
ある場合、これはLSDなどの合成薬物を使って神を体験する、という方向に向い、最後にサリンを散布する結果に終わった。
ある場合、それは強烈な集金システムとなった。
科学によってそれが物質主義に回帰するとき、人は生きる意味をどう定義するか?
生きる意味なんてない、という開き直りに回帰するだろう。
ないしは、死という究極の終着点を忘れ、麻酔を打って今を生きるのだろう。
何のために生き、何のために死ぬのか。
この答えを科学と神の否定によって「棄却する」という選択をした前提の共同体にとって、または「ライトに」神を消費し、自分の粘土かアクセサリーとすることに特化した共同体にとって、その先にあるのは、ブラックホールである。
「生きたらいいことあるよ!」
それ以上の答えはでてこない。その奥にあるのはブランクである。
賢い、ひきこもる少年たちはこのブランクをしっている。
彼らは感性が鋭いので、これを「感じる」ことができてしまうのである。
「死にたい死にたい死にたいっ!!!!」
だから自分を終わらせたがってしまう。
一方、ネット上で、自分の処遇に起因する恨みから誰かを誹謗中傷してしまう、オンライン上の手軽な有形力行使に身を委ねドーパミン報酬を求めてしまう、その負の連鎖を断ち切るためには、
やはり彼らをきちんと救済するべきだったのである。
孤独の問題に、きちんと切り込むべきだったのである。
彼らの面倒を、みるべきだったのである。
彼らを、ひとりぼっちにするべきではなかったのである。
そこまで僕はぼんやり考えて、僕はこの臭いおじさんに1万円を手渡した。
やはり、人類は聖書を読むべきじゃ、ないのかな。