2024年8月17日土曜日

小説「路上で」


※これはフィクションです

「多くのやつはおとなしい。特に日本人は、おとなしい。

おとなしいし、礼儀正しい。襖を開けて、三つ指ついて、丁寧にお辞儀から入る。

あの所作。

俺は50代半ばで、ある事故で片足をなくした。なくした、というかまあ事故直後はあったんだがまあ電車に飛び込んでそのまま奇跡的に助かったんだけど足だけが悲惨な壊れ方をした。

まあそういうのはいいだろう、まあ要は身寄りがいなかったんだよ。

俺が孤独なのは嫁に捨てられましたとかそういう理由というよりは、俺自身が孤独を愛していたからだ。

結婚なんて、するやつの気がしれないね。

ああいうやつらは何百万も大金かけて立派な結婚式を、あるやつは和式であるやつはキリスト教徒でもないくせに牧師の前で愛を誓うんだな、

そもそもその牧師すら本当に牧師かすら怪しい。

だから結婚はまず金から始まる。

金、金、金。

結婚すると、金をとられる。結婚するには、金がないといけない。

女は全員金の亡者。ふん、くだらねえ。

どんなにチビでも、デブでも、不細工でも、不動産でももってりゃ〜そりゃあいい女を抱ける!

俺にはわかる!」

このようにクダを巻いたホームレスの男は名前がわからず、謎につつまれていた。いつも近所の県立図書館の自習席でつっぷしてねているか、空き缶を拾うかしているハエのようなこの男は、口を開けば世間に対しての恨みつらみがでてくるのであった。

僕ですか?僕はホームレスにインタビューしてまわってるYouTuberで、まあ、はいガイ録さんほどではないですけどまあ月10万くらいは稼げています、コンスタントに。

「すると、女はくだらないんですね!」

「んだ。そもそもあいつらがもってる取り柄といったらXXXXくらいなもんだろう、そのうえ男女平等だとかなんとかかんとかいって俺らを下にみやがる。へっ、別にお前らみてーなやつこっちからお断りだっつうの」

「断られるっていうことは、需要がまだあるんですね!」

一瞬空気が凍りつくか?と構えたが、このようにあえて一瞬同調にみせかけたトーンで煽る文句を挟むことによって僕はインタビュいーを「怒らせる」ことを重要な方法論としていた。

なぜかというと多くの人が通り一遍の表面的な優等生的な回答をすることをDNAレベルで仕込まれているからだ。そして、その回答はよそよそしく、凡庸だ。

そういった体面繕いみたいな答えをきいても、それはメディアのコンテンツにはならない。

「うるせぇなああああああ!」

血相をかえて立ち上がったホームレスの男。身長は175cmくらい。チビがどうとか例に出していた割にはそこそこでかい。まあ杖ついてて片足はないんだけれど。

そして殺伐とし、いまにも殴りかかられるかといった沈黙と睨み合いがつづいた。

僕は、あえて「ヘラヘラ」していた。このヘラヘラは、相手からすべてを引き出すための格闘技の構えににている。

「うるせぇよおおおおおっ!」

男はぽろぽろと大粒の涙を流した。

確かに、社会で何かに対して攻撃的なアクションというか言動を繰り返している人間の根底にあるのはコンプレクスであることが多い。もちろん、コンプレクスという単語によって相手を低めようとかそういうサディスティックな意図ではなく、純粋に

自分がなにか「不遇な目に」あっている

といった恒常的な呪縛が、彼の心をずっと呪いにかけているようであった。

「俺がヨォ、そもそもよぉ、石田(10年前の職場の上司)が俺のこともっと丁寧に扱ってたら俺は電車なんかそもそも飛び込まなかったのよォ!あいつがいつも俺の営業成績を、俺のやった業績を横取りして、手柄を横取りしやがってよお!それで美咲(当時の新卒女子社員)に媚びやがって、俺が狙ってたのに美咲とホテルいったって飲み会で自慢して、あいつ仕事なんか全然できなかったし俺があいつの尻拭きやってたのによ、あいつだけキラキラSNSでキャリアならべて、俺が全部あいつの案件に貢献してたんだ」

ちょっと可哀想になってきた。もし彼のいっていることが本当ならば・・・だが(逆恨みでない?)

結局、彼の話を総括すると彼は地味に取引先との信頼をかため、案件を取得するスキルや知性にも長けていて優秀であった。

ただ、上司との人間関係や(彼の話をそのまま信じるならば)上司から恒常的なパワハラを受けたり、成果の横取りといったことをされ、また慕っていた女子社員との不倫をこれみよがしに見せつけられ、といったことの蓄積によって精神を病み、電車に飛び込んでしまった。

自死を考え電車に飛び込んだ彼であったが、幸か不幸か助かってしまい、また、当時彼は両親を亡くし頼れる身よりもいなかったこと、また生活保護やその他福祉サービスを受けるには自分自身のプライドがそれを許せなかったこと、などが重なり、それが彼の状況を(経済的なものも含め)より悪化させていってしまった。

「くそが・・・・」

彼のもつ女性や、社会、時事などに対する強烈なヘイトや恨み、は・・・程度の差こそあれ京アニ事件の犯人を連想した。これは彼を「犯罪者」扱いするといった程度の低い揶揄ではなく、彼自身がセーフティーネットを実質失っていた、彼自身が孤立していた、それゆえ彼は社会にたいし強烈な恨みをもっていた・・・ということである。

だとすれば、なにか「最強の男性」が現れてしまった時、それは加害者だけの問題であるか?もちろん加害者は量刑的に死に値する。ことをした。のでそのように裁かれるべきである。

だがそういったものの再発を防ぐためには、やはり「孤立」を防ぐ、を地域共同体で行うべきではないのか。

そしてその際、その「地域共同体」にイデオロギーという色というかモーターがなければ、張子の虎のように事実効果のないものではないのか。

人類のはじめは宗教だった。人類は、神を必要とし、神とともに生きてきた。

これがとくに現代になって科学と対峙せざるをえなくなる。

あるものは神を否定し、

あるものは科学を否定し、

あるものは神と科学を「不適切に」混ぜた。

不適切な混ぜ方はグロテスクな様相を呈する。

ある場合、それは連合赤軍や造反者への自己批判や凄惨なリンチの儀式、という結果に終わった。

ある場合、これはLSDなどの合成薬物を使って神を体験する、という方向に向い、最後にサリンを散布する結果に終わった。

ある場合、それは強烈な集金システムとなった。

科学によってそれが物質主義に回帰するとき、人は生きる意味をどう定義するか?

生きる意味なんてない、という開き直りに回帰するだろう。

ないしは、死という究極の終着点を忘れ、麻酔を打って今を生きるのだろう。

何のために生き、何のために死ぬのか。

この答えを科学と神の否定によって「棄却する」という選択をした前提の共同体にとって、または「ライトに」神を消費し、自分の粘土かアクセサリーとすることに特化した共同体にとって、その先にあるのは、ブラックホールである。

「生きたらいいことあるよ!」

それ以上の答えはでてこない。その奥にあるのはブランクである。

賢い、ひきこもる少年たちはこのブランクをしっている。

彼らは感性が鋭いので、これを「感じる」ことができてしまうのである。

「死にたい死にたい死にたいっ!!!!」

だから自分を終わらせたがってしまう。

一方、ネット上で、自分の処遇に起因する恨みから誰かを誹謗中傷してしまう、オンライン上の手軽な有形力行使に身を委ねドーパミン報酬を求めてしまう、その負の連鎖を断ち切るためには、

やはり彼らをきちんと救済するべきだったのである。

孤独の問題に、きちんと切り込むべきだったのである。 

彼らの面倒を、みるべきだったのである。

彼らを、ひとりぼっちにするべきではなかったのである。

そこまで僕はぼんやり考えて、僕はこの臭いおじさんに1万円を手渡した。

やはり、人類は聖書を読むべきじゃ、ないのかな。


https://www.youtube.com/@asmrchurch

2024年8月14日水曜日

小説「暴走族」

※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。


半ば終わった話だ。

四郎は病室の中で瞑想に耽っていた。仲間何人かとバイクで走ってた。

「闇の中を、爆音立てて走るあの感覚。

爆音は普段のクソみたいな鬱屈した毎日を忘れさせてくれる。クソみてぇな大人。クソみてぇな社会。

四郎と五郎は腹違いの兄弟で、6畳半の汚い部屋に母親と3人で暮らしていた。

最近刑務所から出てきたんだ、五郎。俺と陽介と西村先輩で出迎えた。

丸刈りになった五郎。俺は兄だったから。刑務官に、中指立てて怒鳴った。

「少しは役に立ってよ。こんなに切り詰めてんのに、また盗っただろ!」

母ちゃんの剣幕。んだよ、そもそもてめーが親父と別れたからこうなったんだろ。

ともいえなかった。そもそも母ちゃんの男を見る目がなさすぎたんだ、でもそれをいったら自分の存在そのものを否定することになるじゃん?

そうして母ちゃんがバッド入ると俺たちがいかに生まれてきちゃいけなかったかの話に切り替わる、小学生からそういうお通夜みてーな説教聞かされてきたんだ、ぐれるだろそりゃ。

「俺は溶接やる」

そうして近所の町工場に就職しようとした矢先に、五郎の連れの妹子が山中のやつらに殴られたっていう話が入ってきた。

そりゃ、男だったらひけないっしょ。

俺は気持ちわかるよ。

で、山中の磯村っていう男とその取り巻きみたいなやつらで、全員だっせえパンチパーマみたいな(昭和かよ)してて、五郎が単身のりこんで鉄パイプで全員ボコしたって話を、

結局警察に通報されて、「ぼくたち被害者ですっ!」て泣きつかれて、10:0で五郎の落ち度になった。

納得いかねえ。

西村先輩と陽介と俺は、近所のドンキの外階段にあるベンチで氷結飲みながら会議をしていた。

五郎はもう俺たちに迷惑かけたくないっていって終わりにしようとしてる。

でもお前のメンツはおれのメンツだから。

俺たち、兄弟だろ。

西村先輩はヤクザの誘いが来ていた。陽介もガタイはふつーだけど喧嘩の技術とか場数でいうとそこらへんのやつより圧倒的に強い。

陽介がブリーチかけて通学した時、イキって後ろでエア蹴りいれてた中年のおっちゃんがいたらしい。アホだろ。

電車でよくみるヤンキーに絡まれる中年。あれってほぼおっさんが悪いだろ。

喧嘩したことねえおっさんって実践経験がねえから自分の「身の丈」をしらねえ。

身の丈をしらねえで自分自身のイメージが抽象化されてるから、やたらオラオラして周りを挑発しがち。自分の能力とイメージがかけ離れてんだな。

だから自分より圧倒的に強い相手に勝てると錯覚してしまう。酒も入って、軽い気持ちで挑発してしまう。そして鼻が砕け、顎が砕け、警察に、ママみたいに泣きつくんだろ。

で、陽介はおっちゃんに何発か入れた。肋骨が2本折れて顎が外れて複雑骨折したらしい。同情できねえ。

俺たち不良はメンツで食ってる。これはヤクザも同じだ。

で、俺たちはお前らよりも圧倒的に暴力の応酬で実践を積み重ねているし、そもそもフィジカルのキャパが違う。だから、体を見ればだいたい雑魚かどうかは一瞬でわかる。

威張ってるやつは、だいたい戦うふうに体ができていない。

つうか、運動不足。

素人の喧嘩なれしてない弱いおっさんは、体の「端々」に力を入れて自分を強く見せる。

滑稽だが動物的な本能だろう。

足の端をぶらぶらして蹴りを演舞する。

拳を握ったり関節を鳴らして威嚇する。

首を捻ってポキポキやって威嚇する。

漫画の見過ぎかよ。

強いオスの威嚇は、一瞬で、短く、最小限だ。

強いオスは、暴力の安売りはしねえ。

そもそもボクシングも武道もそうだけど、力を入れるのは体の端の部分じゃねえ。

ほぼ体幹部分だ。端っこに力は入らねえ。

だから、強く見せるやつと強いやつはそもそも別ジャンルだ。

賢く見せるやつと、賢いやつも、別ジャンルだ。

賢く見せるやつは、いつも必死に自分の賢いことを証明しようとする。

つねに自分を証明しつづけないと自我が保てないやつは、

いつも不安に襲われている、弱いやつだ。

まあ、ほとんどの人間は弱いけどね。

そして、俺ら不良は実際弱くてもいい。

仲間のためなら、特攻したって死ねるんだぜ。

だってもともと親には捨てられてる、褒められたことだってない。」

四郎の独白はここで終わった。

もともと四郎とその友人たちが自滅的な行動に向かっていったのかはやはり徹底的な抑圧があったんじゃないかと思う。

俺が四郎やその仲間とあったときあいつらから感じた極端な威圧感とか治安の悪さみたいなのもあったけど、それ以上に自分の根っこの部分、つまり子供の時に愛されなかった、社会から向き合ってもらえなかったという歪みのようなものを感じ、

また彼らの攻撃的衝動的なモチベーション、そして他者からの挑発に極端な暴力で応酬するという行動パターンが、その極端さの根っこにあるのが脆さであるようなかんじがした。

また、大人のもつ挑発的な(と彼らが受け取っている)行動についても、多くの人間ならばやり過ごせる部分にも過剰なリアクションをする、そういったところに生きづらさがあるような気がする。

四郎らが、五郎の認知抜きで山中の連中と衝突し、半ば殺し合いのような形で西村先輩は刺殺され、陽介くんは向こうのバックにいたヤクザに拉致監禁され、コンクリート詰のかたちでのちに警察に発見される。

四郎のみが無事だった。破壊されて無惨に燃え上がるバイクを背後に、命からがら逃げ延びた。が、彼も2日後に磯村の舎弟の中西によって暗殺されてしまう。

ただ、おそらく彼らがもっていた鬱屈感や社会に対する憎悪というものはある意味で、あの若い世代の共通の共同幻想なのかもしれない。

それが、例えば引きこもりという子達を例にとっても、彼らのまた同じトランプの表裏に過ぎないのではないか。

だから、彼らに向き合えなかった我々大人にも責任はある。

四郎・五郎の母親と面会した時、石像のように微動だにしなかった彼女が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちたのを見ていて、つらかった。

子を失うことがいかに壮絶か。

どんなに世間的に非難される子であっても、愛している家族がいる。

私は、そう信じたかった。


※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。