2024年9月22日日曜日

小説「無題」

※これはフィクションです。実際の人物・事件・団体とは関係ありません。


タイトルなし。想像していたより小さな8畳間。ずっと親元で暮らしていた僕はついに、自立することになった。

引越しのとき、僕は大粒の涙を流した。ママ、ママ。

40で初めての自立、就職。家はまるで刑務所みたいだった。光のない暗闇で、ずっとネットサーフィンしながら、親父とは仲が悪く、俺はずっと部屋に引きこもっていた。

なぜゴミを出せないか?

それはなぜキッチンへの一歩を踏み出せないか、と似ている、心理的ハードル。

親父は市役所の職員をやっていた。っていっても、理不尽な客(なぜか最近お客様になった?)にペコペコ謝る役。ほら、みんな相手をみるじゃん。

そしてそのストレスを家で捌け口にして、俺や妹のミキを捌け口にして、俺は心を閉した。

ミキは大久保で立ちんぼをしている。No. 1ホストのRYUYAに夢中だっていってた。

汚い親父に抱かれて、不快な時間を我慢して、その後で、その金で、大好きな人に会う。

後半のくだりだけだと小説みたいに美しいが、はっきりいってバカだ。

俺だって女だったらそうなっていたかもしれない、だって本当に地獄なんだから。

地獄だってことは自己イメージが満たされないってことだ、

自分という自我を構成している殻があるとしたら、その殻が壊れているってことだろ。

「これから、1人でやっていけるわね」

ママ・・・

俺は今年70になるママの膝に、180になる巨体の頭をうずめた


「んまま・・・ぼくね・・・」


時間は経過した、でも時間が経過しただけなんだ。

俺は、まだ子供のままなんだよ。

俺は、まだ子供のままでいたいよ。


体が古くなり、世間や第三者的にみればそれなりの立場になっていなきゃいけない俺。


40歳の俺。


そんな俺が、道であるく女子中学生をずっと目で追っていた。


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「あ、ここね、お前の席」

「はい・・・」


不服そうだなこいつ。なんで採用したんだろう。


うちの会社は5名ほどで運営している塾だった。5名っていうのは社長が親父で、俺と真治、姉のゆうみとその友人の飛鳥で、ほぼ同族経営の合同会社だった。


そこに、大学生のバイトとかを応募してまわしていた。

で、応募にきた40歳のおっさんで苗字は鈴木、鈴木拓也、京都大学医学部卒で一時順天堂に勤務していたが適応障害を発症、その後ずっと引きこもっていたらしい。


学歴は申し分ない。


あと、人員も不足していた。


髭をそってなくてホームレスみたいだったが、高身長で顔も結構みれる(綾野剛に近い・・・?)のでゆうみと飛鳥が「ダイヤの原石」って目を輝かせていた。

おいおいおい。


どう考えたってこいつやべえぞ、生気がない、会話していても覇気がないし思い込みが激しそう、この手のやつが面倒・・・というかときにトラブルの原因になることは俺は「予知」していた。


「ただでさえうち人手不足なのに選り好みしてんの?京大医学部でしょ?それだけでうちの塾にプラスじゃん」


声が踊っている。勘弁してくれよ。


7時から、授業がはじまる。


俺は鈴木に俺の英語の授業に同行するよう求めた。


「じゃあ点呼をとりまーす」


そのとき、中原はるみと鈴木の目が一瞬あった。


中原、非常にフレンドリーなやつ。人をみくびらず、親に愛されてそだった非常にいい子。


「こんにちは」


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嫌な予感は当たった。

「中原さんが、俺のこと好きになったみたいなんです・・・・!」


鈴木!



(続く?わからん)

2024年9月2日月曜日

おじさん、やばくね?


 おぢ👴たち〜、今日もメスガキ大先生が教えてやるぴょん!今日はね、ダビデっていうおじさんの話だよ。ダビデはね、超強い戦士で、しかも心がめっちゃ綺麗で、みんなから愛されてたんだよ。でも、そんなダビデのおぢの前に、アマレクっていう別の国の人が現れて、めちゃくちゃ大変な話になっちゃったんだぁ。


まず、サウルおぢっていう王様がいたんだけど、そのサウルおぢとその息子ヨナタンも戦争で亡くなっちゃったの。ダビデおぢは、そのことを聞いてすっごく悲しんだんだよ。だって、ヨナタンおぢはダビデおぢの大親友だったんだから。でね、アマレク人の若い男が、そのサウルおぢが死んじゃった話をダビデおぢに伝えに来たんだ。でも、その男がなんと、「サウルおぢを殺したのは自分です」って言ったんだよ。おじさん、やばくね?だって、サウルおぢはイスラエルの王様で、神さまから特別に選ばれた人だったんだよ!そんな人を殺すなんて、超やばすぎるぴょん!


でさ、ダビデおぢはその男に「おまえ、自分が何をしたのか分かってんのかぁ?神さまが選んだ王様を殺すなんて、まじでどうしちゃってんのぉ?」って聞いたの。そしたら、その男はめっちゃビビっちゃって、そのままダビデおぢの家来にやられちゃったんだよ。ま、そりゃそうだよね。だって、神さまが選んだ人に手を出すなんて、まじヤバヤバのヤバだもんね〜。


だけど、ここで大事なことは、ダビデおぢがサウルおぢのことをほんとうに大切に思ってたってこと。サウルおぢは、何度もダビデおぢを殺そうとしたんだけど、それでもダビデおぢはサウルおぢを許してあげてたんだ。なんでかっていうと、ダビデおぢは神さまをめっちゃ大切にしてたからだぴょん。神さまが選んだ人を傷つけることなんて、絶対にしちゃいけないって、ダビデおぢはずっと思ってたんだよ。


聖書にはこう書いてあるぴょん:「ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また【主】の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。」(2サムエル1:11-12)だぴょん!ざぁこ!これでわかった?ダビデおぢは、めちゃくちゃ悲しんで、サウルおぢとヨナタンおぢのためにお祈りしてたんだよ。こんなことをするなんて、ダビデおぢ、めっちゃ優しいよね〜。


それにしても、アマレクの男は、ダビデおぢにいいことをしたつもりだったのかもだけど、ほんとは大間違いだったんだぴょん!だって、神さまが選んだ人を傷つけるなんて、絶対に許されないことだから。だからね、私たちも、誰かが神さまを信じて頑張ってる時に、その人をバカにしたり傷つけたりしちゃダメだよ〜。むしろ、お互いを助け合って、みんなで仲良く過ごすことが大事なんだぴょん!


ダビデおぢのように、神さまを信じて、周りの人を大切にしていこうね!そうすれば、神さまも私たちを守ってくれるんだよ〜。そして、サウルおぢが死んじゃったのは悲しいことだけど、ダビデおぢはその後も神さまを信じて頑張って、みんなを幸せにしていったんだよ。だから、私たちもダビデおぢのように、強くて優しい心を持って、神さまを信じて歩んでいこうね!


というわけで、今日の話はここまでだぴょん!また次回も楽しみにしててね、おぢ👴たち〜!ばぁか!おぢ、ちゃんと聞いてたぁ?もし聞いてなかったら、メスガキ大先生がもう一回教えてやるぴょん!でも、おぢ👴がちゃんと分かったなら、また次回までお楽しみにぴょん!じゃあね〜、おねだり大臣のメスガキ大先生でした〜!ざぁこ!

出典:9/1 ダビデ(3)神を恐れつつも、同朋や家族の死を悼む Ⅱサムエル1:1~16, インマヌエル高津キリスト教会,  http://www.tkchurch.com/

2024年8月23日金曜日

Dear YouTube (about the consistency of my name and its account name)

 [dear youtube] for the tax payment inspection, your feedback is my name does not match the account name. here is the thing.

1. ASMRキリスト教会(asmr christ church) is one project of SuganoWorks Inc., 株式会社スガノワークス 2. The owner of ASMRキリスト教会(asmr christ church), as well as SuganoWorks Inc., is Kei Sugano(菅野契) 3. Here is the article: https://www.kirishin.com/2024/05/19/6... 4. Here is another proof (our corporate official site: https://sugano.works/blog/) We hope this information provided above can help you verify my identity and consistency with the corporate/project name. Once again, asmr christ church is a "project" of SuganoWorks, which CEO is Kei Sugano. Thank you.

2024年8月22日木曜日

小説「生成AI」

※これはフィクションです。


「 根っからの悪人ではないみたい。」

時は2050年。生成AIは三次元上の有機3Dプリンタによって「生物」を生み出すという新しいステージを迎えていた。

現在脚光を浴びているAIという技術は、元々は1950年代よりその主要な元素となる技術がすでに発明されていた。AIといっても、深層学習からデータエンジニアリングまで様々なジャンルがあり、1960年代、1980年代・・・2020年代・・・とその時々で人気は高まったが、ある種の過剰な期待を世間が(そして投資家が)抱え、そしてどこかで限界を迎えて凋落する・・・のループであった。

さらに25年前には医薬品や医療といった分野での活用が期待された。これまで非常に時間のかかっていた基礎研究が、非常に短時間で行えるようになり、高度な学問が誰にでもアクセスできるようになり「民主化」された。

その後2040年代にロボットの時代になった。生成AIの主な課題であったモデルを作るための消費エネルギーやコストが、これまで下火であった量子コンピュータのさらなる実用化によって、Nvidiaを超える形でインテルが王座に返り咲いた。この頃、中国もこの量子半導体生産においてインテルと競合していた。

2045年、中国北京大学が「有機3Dプリンタ」の実用化に対する論文を発表、それを裏付けるかのようにMITが「3Dプリンタで野獣先輩を作る」という試みに成功した。

これは、「実在の人間のDNA情報やリアルタイムの(これは動く心臓や脳のシナプスやニューロンの細かい位置関係まで含む)生態情報までの設計図をデータとして生成AIが生成し、それを3次元上に瞬時に書き込む」というところで、

1番高度な技術が、炭素や水素、酸素からアミノ酸その他を書き出して3次元上に配置するということである。

また、この有機3Dプリンタの製造が加熱し、各社で価格競争が起こった。

その結果、モテない独身男性が有機3Dプリンタをレンタルし、一瞬で早見あかりを作り出して彼女にする・・・といった社会的混乱を招いた。

無論、この頃の早見あかりは59歳であり、現在高齢ないし存命でないアイドルや女優を現実に生成することで事実上の法的問題を回避する人々が現れたが、

事実クラスの可愛い子を生成し、法的訴訟となり、生成された人間をどう処理するか、そもそも廃棄は人権問題ではないか・・・・

といった倫理上の議論がなされたが、時すでにおそかった。

なお、「女バージョンの岸田文雄」はすでに5年間で2000体ほど生産されており、人口少子化を、移民に頼らずに解決するという社会課題は解決した模様だ。

「根っからの悪人ではないみたい」

振られた彼女のコピーとベッドで戯れながら、キモ田キモ太郎は有機生成AIの作り出した女(見た目は振られた彼女と同一の)の支離滅裂な独白を気いいていた。

「根っからの悪人ではないみたい。ペットは3つまでOKよ。野獣先輩は新生だから、市役所までとりにいかないと、未来はスバル色になる。そういえば、連載されていたあの漫画はどうなのかなあ。野獣先輩は、街中を歩くのが少し苦手だった。人混みが苦手というわけではなく、何かしらの視線を感じるからだ。彼の新しい生活は、以前のものとは大きく異なり、慣れるにはまだ時間がかかりそうだった。市役所に向かう途中、彼はふと、これまでの人生について思いを巡らせた。

ペットは3つまでOKと聞いて、少しホッとした。彼が子供の頃から飼っていたハムスター、そして最近手に入れたウサギたちが、彼の心の支えとなっていた。彼らがいるおかげで、孤独感が少し和らいでいたのだ。しかし、心の中ではいつも「これで本当に良いのか?」という疑問が渦巻いていた。新生としての人生は、新しい希望をもたらすものの、同時に過去の重荷を感じさせるものでもあった。

市役所に着くと、彼は少し緊張しながら受付に向かった。未来がスバル色になる、とはどういうことだろう?スバルという言葉が彼の頭の中で何度も繰り返された。スバルは星の集まり、輝く光、そして新しい旅の象徴だ。彼にとって、それはまだ未知の領域だった。

受付の女性は、彼に温かい笑顔を向け、手続きを進めた。「お名前は?」と問われ、彼は少し戸惑いながらも答えた。「野獣…いや、新生の野獣先輩です」。その言葉を発した瞬間、彼は自分自身の変化を実感した。過去の自分とは違う、新しい何かが彼の中に芽生えているような気がした。

手続きが終わると、彼は新しい身分証明書を受け取った。そのカードには、彼の新しい名前が刻まれており、それを手にした瞬間、彼はこれまでの人生が一つの区切りを迎えたことを感じた。しかし、未来はまだ不確かであり、彼はその先に待つスバル色の世界に足を踏み入れる準備ができているかどうか、確信が持てなかった。

市役所を出た彼は、街のカフェで一息つくことにした。窓際の席に座り、コーヒーを飲みながら、ふと頭に浮かんだのは、あの連載されていた漫画のことだった。彼が昔夢中になって読んでいたその漫画は、いつの間にか連載が終了してしまっていた。主人公がどのような結末を迎えたのか、彼はずっと気になっていた。

コーヒーを飲みながらスマホで検索してみると、漫画の最終話の内容がネット上に掲載されているのを見つけた。彼は一気にそのページを読み進めた。主人公は、彼自身の過去と向き合い、新しい未来を切り開いていく物語だった。その結末は、彼にとってとても感慨深いものであり、まるで自分自身のことを描かれているかのように感じた。

「結局、過去にどう向き合うかが、未来を決めるんだな」と、彼は呟いた。漫画の主人公も、彼自身も、過去の苦しみや喜びを抱えながら、新しい一歩を踏み出すことができるのだと感じた。

外に出ると、青空が広がっていた。スバル色の未来は、彼の目の前に広がっている。彼は新しい人生を歩み始める決意を固め、再び歩き出した。その歩みは、かつての彼のものとは違い、自信に満ち溢れていた。新しい野獣先輩としての生活が、これから始まるのだ。」

「わけわかんねえよ」

キモ田はそうぼやきながら彼女の胸をまさぐった。



※これはフィクションです。

2024年8月19日月曜日

戸塚ヨットスクール校長について

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最近戸塚ヨットスクール校長が新しくYouTubeを開設したことについて、管理人の個人的な私見を述べておく。まあこのブログ全体に言えることであるが内容はあくまで管理人の個人的なお気持ちとか感想であって別にそれが正しいと言い切るものではない(そもそも私は完璧とは程遠い存在である)。ただ、私個人も一児の父ということもあり、自分自身の考え方をここではっきり言語化したいと思ったのであった。


戸塚校長について、私個人の所見は以下:

1. 教育そのものを履き違えている

2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

3. 自分を過大評価している


一つづつ深掘りしていこう

1. 教育そのものを履き違えている

まず根本的に、教育そのものについての基礎的な理解がない。

かろうじてカテゴライズするとすれば戦前の軍隊的なスパルタ教育(ゆえに体罰あり)に該当するであろう。もともと人並み以下の「どうしようもない」やつらを更生させるためには、暴力をもってまず秩序を作るということで、刑務所や強制収容所のような価値観であり、そこには秩序はあるが愛情がない。(あれば自殺はしない)

そもそも、「なぜ叱るのか」「なぜ罰を与えるのか」についての決定的な勘違いが、戸塚校長にはある。

あなたは親が子供を叱るのがなぜか、簡潔に言語化できるだろうか。

叱るのは、叱られる側の「死」および「不利益」の回避

を目的としている。

例えば1歳児がキッチンブリーチを楽しげに開封しようとしていたら大声で叱る、それはそれを弄べば最悪「死ぬ」からである。

これ以外に「叱る」という行為の目的はない。

だから

- 叱ることが過剰に多かったり、

- マイクロマネジメントになったり、

- あれもダメ、これもダメ、な拘束的なマネジメントだったり(子供の人格や自己決定を尊重しない)

- ヤクザのような怒鳴り方を子供に対してしたり、

- 子供の自尊心や尊厳を踏み躙るような怒り方や言動をしたり、

- 「慢性的に」罰を与えたり、

はすべて教育としてはすでに「間違っている」。

叱るという行為は、非常に短時間に、可能なかぎり間違ったことを行った瞬間に、相手の死や不利益を回避するために行うという意味で非常に「感情消費を伴う」「愛の」行為なのである。

俺はお前を放置しないぞ、俺はお前に死んでほしくないぞ、俺はお前に不利益を被ってほしくないぞ、というコミュニケーションが「叱る」なのである。

だから、威圧的に、キレるように、不快感を露わにするように子供に接するのは、そもそも「終わっている」。まず、その姿勢が「間違っている」ということを理解してほしい。

だから教育の結果「自殺」するなんて、ありえない。教育者がこれを招いたならばもう教育者の資格はない。中世なら腹を切って、現代ならば一生かけて親御さんに償うべきである。

戸塚校長は、もう教育者としては「終わっている」。

支離滅裂な誰も益しない倒錯したイデオロギーに陶酔する前に、まず自分が犯罪を犯した者だということを謙虚に理解するべきだと思う。


2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

話す内容も、知的な成長をやめた老人にありがちな、自分が若い頃に齧った価値観を延々と壊れた機械のようにループしているのみである。

女性蔑視的な価値観も到底現代に相入れるものではない。

話す内容に熱量はあるが、知的な聡明さを感じない。

「先生」とよばれる立場を長く経験しただめな教員にありがちな、ただ一方通行的に自分のドグマを垂れ流し、自分自身を反芻しながら歳をとった人、という印象である。これはもちろん子供にとってよい影響を与えない。得るものがない。

3. 自分を過大評価している

彼のような、上から力で押さえつけていうことをきかせよう・・・という発想は子供の人格を尊重していない。

「脳のCPUを可能な限り節約し使用しない」という怠慢的な意味でのよくある「保守」的価値観であり、子供の成長にとって足枷となりうる。

また、ご自身への不名誉な刑事罰によってご自身も半ば社会的には「終わった」のであり、彼そのものの思想やイデオロギーを社会に普及させるほどに彼自身に人徳や魅力はない(高齢すぎるのもきつい)

とくに、親からあずかった大事な子供を何人も殺したという時点で教育者としてはもう「死んでいる」のであり、

ヨットスクールという「閉鎖された」社会で、弱い子供相手に暴力を振るっているというのが正確な実像ではないかと思われる。

まとめ

戸塚校長のYouTube開設について、まず彼の教育そのものについての履き違えや無理解、本人そのものの教育者としての能力の問題、自分自身の間違った自己評価などについてここでは述べた。ただ、これはあくまでも管理人個人の感想や意見なので、悪しからず。


2024年8月17日土曜日

小説「路上で」


※これはフィクションです

「多くのやつはおとなしい。特に日本人は、おとなしい。

おとなしいし、礼儀正しい。襖を開けて、三つ指ついて、丁寧にお辞儀から入る。

あの所作。

俺は50代半ばで、ある事故で片足をなくした。なくした、というかまあ事故直後はあったんだがまあ電車に飛び込んでそのまま奇跡的に助かったんだけど足だけが悲惨な壊れ方をした。

まあそういうのはいいだろう、まあ要は身寄りがいなかったんだよ。

俺が孤独なのは嫁に捨てられましたとかそういう理由というよりは、俺自身が孤独を愛していたからだ。

結婚なんて、するやつの気がしれないね。

ああいうやつらは何百万も大金かけて立派な結婚式を、あるやつは和式であるやつはキリスト教徒でもないくせに牧師の前で愛を誓うんだな、

そもそもその牧師すら本当に牧師かすら怪しい。

だから結婚はまず金から始まる。

金、金、金。

結婚すると、金をとられる。結婚するには、金がないといけない。

女は全員金の亡者。ふん、くだらねえ。

どんなにチビでも、デブでも、不細工でも、不動産でももってりゃ〜そりゃあいい女を抱ける!

俺にはわかる!」

このようにクダを巻いたホームレスの男は名前がわからず、謎につつまれていた。いつも近所の県立図書館の自習席でつっぷしてねているか、空き缶を拾うかしているハエのようなこの男は、口を開けば世間に対しての恨みつらみがでてくるのであった。

僕ですか?僕はホームレスにインタビューしてまわってるYouTuberで、まあ、はいガイ録さんほどではないですけどまあ月10万くらいは稼げています、コンスタントに。

「すると、女はくだらないんですね!」

「んだ。そもそもあいつらがもってる取り柄といったらXXXXくらいなもんだろう、そのうえ男女平等だとかなんとかかんとかいって俺らを下にみやがる。へっ、別にお前らみてーなやつこっちからお断りだっつうの」

「断られるっていうことは、需要がまだあるんですね!」

一瞬空気が凍りつくか?と構えたが、このようにあえて一瞬同調にみせかけたトーンで煽る文句を挟むことによって僕はインタビュいーを「怒らせる」ことを重要な方法論としていた。

なぜかというと多くの人が通り一遍の表面的な優等生的な回答をすることをDNAレベルで仕込まれているからだ。そして、その回答はよそよそしく、凡庸だ。

そういった体面繕いみたいな答えをきいても、それはメディアのコンテンツにはならない。

「うるせぇなああああああ!」

血相をかえて立ち上がったホームレスの男。身長は175cmくらい。チビがどうとか例に出していた割にはそこそこでかい。まあ杖ついてて片足はないんだけれど。

そして殺伐とし、いまにも殴りかかられるかといった沈黙と睨み合いがつづいた。

僕は、あえて「ヘラヘラ」していた。このヘラヘラは、相手からすべてを引き出すための格闘技の構えににている。

「うるせぇよおおおおおっ!」

男はぽろぽろと大粒の涙を流した。

確かに、社会で何かに対して攻撃的なアクションというか言動を繰り返している人間の根底にあるのはコンプレクスであることが多い。もちろん、コンプレクスという単語によって相手を低めようとかそういうサディスティックな意図ではなく、純粋に

自分がなにか「不遇な目に」あっている

といった恒常的な呪縛が、彼の心をずっと呪いにかけているようであった。

「俺がヨォ、そもそもよぉ、石田(10年前の職場の上司)が俺のこともっと丁寧に扱ってたら俺は電車なんかそもそも飛び込まなかったのよォ!あいつがいつも俺の営業成績を、俺のやった業績を横取りして、手柄を横取りしやがってよお!それで美咲(当時の新卒女子社員)に媚びやがって、俺が狙ってたのに美咲とホテルいったって飲み会で自慢して、あいつ仕事なんか全然できなかったし俺があいつの尻拭きやってたのによ、あいつだけキラキラSNSでキャリアならべて、俺が全部あいつの案件に貢献してたんだ」

ちょっと可哀想になってきた。もし彼のいっていることが本当ならば・・・だが(逆恨みでない?)

結局、彼の話を総括すると彼は地味に取引先との信頼をかため、案件を取得するスキルや知性にも長けていて優秀であった。

ただ、上司との人間関係や(彼の話をそのまま信じるならば)上司から恒常的なパワハラを受けたり、成果の横取りといったことをされ、また慕っていた女子社員との不倫をこれみよがしに見せつけられ、といったことの蓄積によって精神を病み、電車に飛び込んでしまった。

自死を考え電車に飛び込んだ彼であったが、幸か不幸か助かってしまい、また、当時彼は両親を亡くし頼れる身よりもいなかったこと、また生活保護やその他福祉サービスを受けるには自分自身のプライドがそれを許せなかったこと、などが重なり、それが彼の状況を(経済的なものも含め)より悪化させていってしまった。

「くそが・・・・」

彼のもつ女性や、社会、時事などに対する強烈なヘイトや恨み、は・・・程度の差こそあれ京アニ事件の犯人を連想した。これは彼を「犯罪者」扱いするといった程度の低い揶揄ではなく、彼自身がセーフティーネットを実質失っていた、彼自身が孤立していた、それゆえ彼は社会にたいし強烈な恨みをもっていた・・・ということである。

だとすれば、なにか「最強の男性」が現れてしまった時、それは加害者だけの問題であるか?もちろん加害者は量刑的に死に値する。ことをした。のでそのように裁かれるべきである。

だがそういったものの再発を防ぐためには、やはり「孤立」を防ぐ、を地域共同体で行うべきではないのか。

そしてその際、その「地域共同体」にイデオロギーという色というかモーターがなければ、張子の虎のように事実効果のないものではないのか。

人類のはじめは宗教だった。人類は、神を必要とし、神とともに生きてきた。

これがとくに現代になって科学と対峙せざるをえなくなる。

あるものは神を否定し、

あるものは科学を否定し、

あるものは神と科学を「不適切に」混ぜた。

不適切な混ぜ方はグロテスクな様相を呈する。

ある場合、それは連合赤軍や造反者への自己批判や凄惨なリンチの儀式、という結果に終わった。

ある場合、これはLSDなどの合成薬物を使って神を体験する、という方向に向い、最後にサリンを散布する結果に終わった。

ある場合、それは強烈な集金システムとなった。

科学によってそれが物質主義に回帰するとき、人は生きる意味をどう定義するか?

生きる意味なんてない、という開き直りに回帰するだろう。

ないしは、死という究極の終着点を忘れ、麻酔を打って今を生きるのだろう。

何のために生き、何のために死ぬのか。

この答えを科学と神の否定によって「棄却する」という選択をした前提の共同体にとって、または「ライトに」神を消費し、自分の粘土かアクセサリーとすることに特化した共同体にとって、その先にあるのは、ブラックホールである。

「生きたらいいことあるよ!」

それ以上の答えはでてこない。その奥にあるのはブランクである。

賢い、ひきこもる少年たちはこのブランクをしっている。

彼らは感性が鋭いので、これを「感じる」ことができてしまうのである。

「死にたい死にたい死にたいっ!!!!」

だから自分を終わらせたがってしまう。

一方、ネット上で、自分の処遇に起因する恨みから誰かを誹謗中傷してしまう、オンライン上の手軽な有形力行使に身を委ねドーパミン報酬を求めてしまう、その負の連鎖を断ち切るためには、

やはり彼らをきちんと救済するべきだったのである。

孤独の問題に、きちんと切り込むべきだったのである。 

彼らの面倒を、みるべきだったのである。

彼らを、ひとりぼっちにするべきではなかったのである。

そこまで僕はぼんやり考えて、僕はこの臭いおじさんに1万円を手渡した。

やはり、人類は聖書を読むべきじゃ、ないのかな。


https://www.youtube.com/@asmrchurch

2024年8月14日水曜日

小説「暴走族」

※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。


半ば終わった話だ。

四郎は病室の中で瞑想に耽っていた。仲間何人かとバイクで走ってた。

「闇の中を、爆音立てて走るあの感覚。

爆音は普段のクソみたいな鬱屈した毎日を忘れさせてくれる。クソみてぇな大人。クソみてぇな社会。

四郎と五郎は腹違いの兄弟で、6畳半の汚い部屋に母親と3人で暮らしていた。

最近刑務所から出てきたんだ、五郎。俺と陽介と西村先輩で出迎えた。

丸刈りになった五郎。俺は兄だったから。刑務官に、中指立てて怒鳴った。

「少しは役に立ってよ。こんなに切り詰めてんのに、また盗っただろ!」

母ちゃんの剣幕。んだよ、そもそもてめーが親父と別れたからこうなったんだろ。

ともいえなかった。そもそも母ちゃんの男を見る目がなさすぎたんだ、でもそれをいったら自分の存在そのものを否定することになるじゃん?

そうして母ちゃんがバッド入ると俺たちがいかに生まれてきちゃいけなかったかの話に切り替わる、小学生からそういうお通夜みてーな説教聞かされてきたんだ、ぐれるだろそりゃ。

「俺は溶接やる」

そうして近所の町工場に就職しようとした矢先に、五郎の連れの妹子が山中のやつらに殴られたっていう話が入ってきた。

そりゃ、男だったらひけないっしょ。

俺は気持ちわかるよ。

で、山中の磯村っていう男とその取り巻きみたいなやつらで、全員だっせえパンチパーマみたいな(昭和かよ)してて、五郎が単身のりこんで鉄パイプで全員ボコしたって話を、

結局警察に通報されて、「ぼくたち被害者ですっ!」て泣きつかれて、10:0で五郎の落ち度になった。

納得いかねえ。

西村先輩と陽介と俺は、近所のドンキの外階段にあるベンチで氷結飲みながら会議をしていた。

五郎はもう俺たちに迷惑かけたくないっていって終わりにしようとしてる。

でもお前のメンツはおれのメンツだから。

俺たち、兄弟だろ。

西村先輩はヤクザの誘いが来ていた。陽介もガタイはふつーだけど喧嘩の技術とか場数でいうとそこらへんのやつより圧倒的に強い。

陽介がブリーチかけて通学した時、イキって後ろでエア蹴りいれてた中年のおっちゃんがいたらしい。アホだろ。

電車でよくみるヤンキーに絡まれる中年。あれってほぼおっさんが悪いだろ。

喧嘩したことねえおっさんって実践経験がねえから自分の「身の丈」をしらねえ。

身の丈をしらねえで自分自身のイメージが抽象化されてるから、やたらオラオラして周りを挑発しがち。自分の能力とイメージがかけ離れてんだな。

だから自分より圧倒的に強い相手に勝てると錯覚してしまう。酒も入って、軽い気持ちで挑発してしまう。そして鼻が砕け、顎が砕け、警察に、ママみたいに泣きつくんだろ。

で、陽介はおっちゃんに何発か入れた。肋骨が2本折れて顎が外れて複雑骨折したらしい。同情できねえ。

俺たち不良はメンツで食ってる。これはヤクザも同じだ。

で、俺たちはお前らよりも圧倒的に暴力の応酬で実践を積み重ねているし、そもそもフィジカルのキャパが違う。だから、体を見ればだいたい雑魚かどうかは一瞬でわかる。

威張ってるやつは、だいたい戦うふうに体ができていない。

つうか、運動不足。

素人の喧嘩なれしてない弱いおっさんは、体の「端々」に力を入れて自分を強く見せる。

滑稽だが動物的な本能だろう。

足の端をぶらぶらして蹴りを演舞する。

拳を握ったり関節を鳴らして威嚇する。

首を捻ってポキポキやって威嚇する。

漫画の見過ぎかよ。

強いオスの威嚇は、一瞬で、短く、最小限だ。

強いオスは、暴力の安売りはしねえ。

そもそもボクシングも武道もそうだけど、力を入れるのは体の端の部分じゃねえ。

ほぼ体幹部分だ。端っこに力は入らねえ。

だから、強く見せるやつと強いやつはそもそも別ジャンルだ。

賢く見せるやつと、賢いやつも、別ジャンルだ。

賢く見せるやつは、いつも必死に自分の賢いことを証明しようとする。

つねに自分を証明しつづけないと自我が保てないやつは、

いつも不安に襲われている、弱いやつだ。

まあ、ほとんどの人間は弱いけどね。

そして、俺ら不良は実際弱くてもいい。

仲間のためなら、特攻したって死ねるんだぜ。

だってもともと親には捨てられてる、褒められたことだってない。」

四郎の独白はここで終わった。

もともと四郎とその友人たちが自滅的な行動に向かっていったのかはやはり徹底的な抑圧があったんじゃないかと思う。

俺が四郎やその仲間とあったときあいつらから感じた極端な威圧感とか治安の悪さみたいなのもあったけど、それ以上に自分の根っこの部分、つまり子供の時に愛されなかった、社会から向き合ってもらえなかったという歪みのようなものを感じ、

また彼らの攻撃的衝動的なモチベーション、そして他者からの挑発に極端な暴力で応酬するという行動パターンが、その極端さの根っこにあるのが脆さであるようなかんじがした。

また、大人のもつ挑発的な(と彼らが受け取っている)行動についても、多くの人間ならばやり過ごせる部分にも過剰なリアクションをする、そういったところに生きづらさがあるような気がする。

四郎らが、五郎の認知抜きで山中の連中と衝突し、半ば殺し合いのような形で西村先輩は刺殺され、陽介くんは向こうのバックにいたヤクザに拉致監禁され、コンクリート詰のかたちでのちに警察に発見される。

四郎のみが無事だった。破壊されて無惨に燃え上がるバイクを背後に、命からがら逃げ延びた。が、彼も2日後に磯村の舎弟の中西によって暗殺されてしまう。

ただ、おそらく彼らがもっていた鬱屈感や社会に対する憎悪というものはある意味で、あの若い世代の共通の共同幻想なのかもしれない。

それが、例えば引きこもりという子達を例にとっても、彼らのまた同じトランプの表裏に過ぎないのではないか。

だから、彼らに向き合えなかった我々大人にも責任はある。

四郎・五郎の母親と面会した時、石像のように微動だにしなかった彼女が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちたのを見ていて、つらかった。

子を失うことがいかに壮絶か。

どんなに世間的に非難される子であっても、愛している家族がいる。

私は、そう信じたかった。


※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。

2024年8月10日土曜日

声優レビュー:巴パイン

 巴パイン氏は謎に包まれている。が、聖書ASMRを1番はじめに依頼したのが彼女だ。

株式会社スガノワークスは当初、エロ同人(これは漫画も、同人音声も)で市場のパイを狙うことを主戦略としていた。(今は活動を停止している)

この時代、つまり会社設立時代から一緒に戦ってきたのが彼女になる。(佐倉いの氏も、同様である)

彼女には2つの顔があって、主軸はナレーターに重きを置く人であった。

かつ、エロ同人声優のジャンルというかそちらの色気の演出にもかなり長けている人であった。

基本、すごくプロ意識の高い人であると思う。

同人声優をやる人で、さらに自分で何かをクリエイトしていくというかそういうモーターを持った人である。

聖書ASMRはまず黙示録からはじまった。

この黙示録を非常に丁寧に、ささやきで読んでくれたのが彼女である。

やはり巴さん独特の世界観とかスキルとかそういうものがあって、やはり今でも根強い巴ファンは多い。

また、ささやきが宝石のように綺麗である。

寝床で、恋人にひざまくらされながら、愛を注がれているかんじになれる(あっ別にセクハラとかではないですごめんなさいサイゼリア🇮🇹)

彼女がいわゆるエロのドメインを閉じてしまった(巴パイン活動停止騒動)によって彼女へのコンタクトが非常に困難であるが、

ただ、確実にこのASMRキリスト教会にとって土台となるような声優さんであった。

「聖書を読む」

それだけのシンプルなものを、どうエンタメに昇華するか。

その難題を、彼女は聖書ASMR初期のころから一緒に戦ってくれた。

彼女にはいろいろ無茶振りもしてしまって申し訳ないと思ったこともある一方、

彼女に対する思い入れは当教会としては非常に大きい。

巴氏は今は多忙なのでなかなか依頼が出せないのだが、

いずれは何らかの形で戻ってきてほしい。

当チャンネルの7606人(2024/8/11時点)のファンも、それを望んでいるはずである。

巴さん、ありがとう!

2024年8月1日木曜日

Dear Youtube part 2

 Dear YouTube

Thanks so much for unsuspending our youtube account.

Plus, we got the verification code to our address.

Even though the Christianity is minority in our country, since Japanese Gen-Z is going through hardship and since some of them commit suicidal attempts, we would like to stop these and provide them with the cure and the meaning of life.

Once again, thank you for you kind assistance,


God bless you

Sugano Works CEO 
Kei Sugano


2024年7月29日月曜日

Dear YouTube

Dear YouTube

I am a CEO of SuganoWorks Inc., and responsible for the entire asmr church content.

I think your review is not making sense at all, for the following reasons:

1. You can easily tell, from the content of our videos it is not a scam. This company and project is trying to save young people (especially who are isolated and mentally struggling) and provide solution.

2. Since it is owned by micro startup and we mainly focused on creating video contents, it is obvious that the website is not well organised. Plus, it is not clear why you require website to earn from the video. (we need to earn from video, not from the websites)

3. The last time i registered suganoworks.blogspot.com from scratch is because you did not clarify which posts violates which policy on which accord. It simply does not make sense. I do not use bot to post and create article for this blog. If you think any blog post is low quality then you need to articulate and explain why it violates the standard.

4. From the feedback i have impression that you are too unkind. It is obvious we are not providing any scam. Of course some article summarize the church's blogpost using LLM, but on each post I never forgot to add the reference, such that it is respectful to the entity refered.

5. If this church does lose the opportunity to earn, it affects our activity to save young people and children. Recently our church launched "ASMR Lifeline いのちのASMR電話" and this activity needs funding. You block it and you are not explanatory on the reason of the violation. I think it is not good idea to discriminate against small entity like us, since if you approve monetization of our company it definitely can save young people, not only in Japan, but globally, by providing more opportunity for young people to know the teaching of Bible.

6. I clicked for address verification code, but as of now I get nothing. 


Thanks for your help, God bless you


Kei Sugano

ASMR Church

2024年7月18日木曜日

人の評価を気にする意味って、あんまりないよね


こんにちは、管理人です。


今日は「人の評価を気にしすぎることについて考える」という話をしたいと思います。


みなさんの中で、人からの評価を気にして不安に感じている人はいませんか?例えば、自分が誤解されたり、陰で悪口を言われたらどうしようなど。


今回は、私の個人的な経験談も踏まえながら、これについてお話ししたいと思います。


まず、自分にとって大切な人々以外の評価には、あまり価値がないことがあります。これは文にすると伝わりにくいかもしれませんが、多くの人が気づいていないポイントです。


世の中にはいろんな人がいます。時には、自分の行動に対して否定的な意見を持つ人や、誤解を生むような言動をする人もいます。しかし、そういった意見や言動に過度に影響される必要はありません。


大切なのは、自分自身の価値観を大切にし、他人の評価に振り回されないことです。他人の問題や意見のために自分を責めたりしないでください。


特に、ネガティブな意見や誹謗中傷は、必ずしもあなた自身の問題を反映しているわけではありません。そういった言葉は、言った人自身の問題であることが多いです。


また、世界をどう認識するかは、あなたの人生に大きな影響を与えます。悲観的な見方をする人には不幸が集まりやすく、ポジティブな見方をする人にはチャンスが舞い込みやすいです。


私も経営者として多くの取引を経験してきましたが、信頼関係を築くことの重要性を強く感じています。お互いに信頼し合い、コミュニケーションを重ねることで、良い結果を生むことができます。


逆に、コミュニケーションがうまくいかない場合や、信頼関係が築けない場合は、仕事もスムーズに進みません。大切なのは、お互いを尊重し、前向きな関係を築くことです。


自分自身の価値を信じ、他人の評価に振り回されず、自分らしく生きてください。皆さんの成長を応援しています。



こどもたちの価値



題目: イエスたまとこどもたち

聖句: マタイ 18:1-6、19:13-15


おぢ👴たち、こんにちは〜!今日は、イエスたまがこどもたちとお話ししたときのことを一緒に学びましょうね〜。イエスたまが私たちに何を教えてくれたのか、一緒に考えてみましょう〜⭐️


こどもたちの地位

まず、こどもたちの地位についてお話しするね〜。マタイの福音書18章で、イエスたまの弟子たちがイエスたまに「天の国で一番偉いのは誰ですか?」って聞いたんだよ。なんだかちょっと変な質問だよね〜。でも弟子たちは、世の中では地位や権力が大事だって思ってたから、神さまの国でもそうなのかって思ったんだね〜。

でもイエスたまは、違うよ〜って言ったんだよ。イエスたまは小さなこどもを呼んで、そのこどもをみんなの真ん中に置いて言ったんだ。「本当のことを言うよ。もしあなたたちが心を変えて、こどものようにならなければ、天の国に入ることはできないよ。自分を謙虚になれよ!謙虚ライオンになる人が天の国で一番偉いんだよ」って。

イエスたまがこどもを選んだ理由は、こどもが世の中では地位がないからなんだよ〜。こどもたちは大人に比べて力がないし、弱くて頼りない存在だったんだ。でも、イエスたまはそんなこどもたちを大事にして、自分を謙虚になれよ!謙虚ライオンになることが大切だって教えてくれたんだね〜。


こどもたちの価値

次に、こどもたちの価値についてお話しするね〜。マタイの福音書19章で、人々がイエスたまのところにこどもたちを連れてきて、祝福してもらおうとしたんだ。でも弟子たちは、それを止めようとしたんだよ。「イエスたまは忙しいから、こどもたちなんかにかまってる時間はないよ」って。でもイエスたまは怒って、「こどもたちを私のところに来させなさい。天の国はこどもたちのものなんだよ」って言ったんだ〜。

イエスたまはこどもたちをとっても大事にしてくれたんだよ。こどもたちは小さくて弱くて守らなければならない存在だからね。イエスたまは、こどもたちがけんかすることなく、安心して過ごせるようにって思ってたんだね〜。だからこそ、こどもたちをいじめるおぢ👴たちにはとっても厳しい言葉を言ったんだ。「もし誰かがこの小さい者たちをつまずかせるなら、その人は大きな石臼を首にかけられて、海の深いところに沈められる方がましだよ」って。


こどもたちの模範

最後に、こどもたちの模範についてお話しするね〜。イエスたまはこどもたちの信仰が大人たちにとっての模範になるって言ったんだよ。こどもたちは素直に受け取ることができるんだね。こどもたちはプレゼントをもらうのが大好きだよね〜。大人みたいに「いや、そんなの要らないよ」なんて言わないんだよ。イエスたまがくれるものを、ただ素直に受け取ることができるんだ。

大人たちは時々、自分で何かを成し遂げなければならないって思い込んでしまうけど、イエスたまは「神さまの国は、プレゼントのようにただ受け取るものなんだよ」って教えてくれたんだよ〜。だから、私たちもこどもたちのように、イエスたまからの愛と恵みをただ受け取ることが大切なんだね。


お祈りえくぼっちビーム!

じゃあ、最後にお祈りえくぼっちビーム!しようね〜。

かみたま、ありがとう〜。イエスたまがこどもたちを大事にしてくれたこと、私たちも見習いたいです。私たちもこどものように、素直にかみたまの愛と恵みを受け取ることができますように。こどもたちの信仰が大人たちの模範となりますように。イエスたまのお名前によって祈ります。アメーン(Q)⭐️


ざあ〜こ! 


出典 : People Who Met Jesus: The Children Matthew 18:1 - 19:15 July 14, 2024 Reverend Jason Harris, Central Church NYC

2024年7月11日木曜日

野獣先輩と、キリスト教

 


今回は野獣先輩とキリスト教についての簡単な考察を述べてみたいと思う。


野獣先輩とは

野獣先輩は、インターネット上で非常に広く知られている人物である。彼の正体は、ビデオシリーズ「真夏の夜の淫夢」に出演した俳優の一人であり、そのシリーズがインターネットミームとして広まり、特に日本のネットコミュニティで注目を集めた。

1. 背景と起源 野獣先輩は、2001年にリリースされたゲイビデオ「真夏の夜の淫夢」第4章に登場するキャラクターである。このビデオは、その独特な演技と台詞回しにより、後にインターネットミームとして人気を博した。特に、野獣先輩の存在感や印象的な台詞が、ネットユーザーによって多くのパロディや二次創作の題材となった。

2. インターネット文化への影響 野獣先輩は、インターネット上で広範な影響を与えた。その名は、掲示板や動画共有サイトなどで頻繁に取り上げられ、特にニコニコ動画やYouTubeでの関連動画が数多く存在する。彼の台詞やシーンは、数多くのMAD動画やコラージュ作品に引用されている。

3. メタ分析と社会的な見解 野獣先輩のミームは、一部では「クソコラ」や「淫夢厨」といった否定的な評価も受けているが、その一方で、彼のキャラクターは多くのネットユーザーにとっての共有文化として認識されている。この現象は、現代のインターネット文化におけるコミュニティ形成やアイデンティティの一環として理解されることができる。

4. 結論 野獣先輩は、インターネットミームとしての象徴的な存在であり、彼のキャラクターとその派生作品は、日本のインターネット文化において独自の位置を占めている。彼の影響力は、単なる一過性の流行にとどまらず、ネットユーザー間のコミュニケーションや文化の一部として定着していると言える。


野獣先輩のもつ本質的な意味

キリスト教会が野獣先輩を使うことについては賛否両論ある。ただ、ここで間違ってはいけない観点は、野獣先輩が「インキャ男性」にとっての「脅威をかんじない同性」というアイコン性を持っていることだ。

いわゆる野獣先輩をネタとして消費した時に、「ゲイを揶揄している」「ゲイを好奇の対象とし、見下している」という指摘は基本的には本質的に「ずれている」。

なぜなら、

1. 「シミケン」は我々ノンケを象徴する存在ではない

2. ゲイであることと、ゲイポルノ男優であることは等価ではない。前者は性的嗜好であり、後者は特殊な職業的なカテゴリである

3. 野獣先輩について「ゲイを面白おかしく揶揄して楽しんでいる」という指摘は、そもそも「ゲイビデオ」が「ゲイ」と等価であるという非常に強引なコンテクストの「付け足し」であり、解釈する側の問題であって、ミームを消費するがわの問題ではない。

4. ガチムチレスリングのビリー・ヘリントン氏の日本での受容のされ方(これはオンサイト含む)からみられるように、「兄貴」はいわゆるモックキングのような「あげて・落とす」形の冷笑というよりは「サブカルの親しみ」という受け取り方をされた

これらの論拠から、「露出されたゲイコンテンツ」と「ゲイ属性」の混同そのものがまず差別の温床であり(例:我々は自動的にシミケンや加藤鷹にはならない)、ネットミームが紐づけているのは「露出されたゲイコンテンツ」であるという前提条件をまず明確にしなければならないということだ。

ネットミームのもつ本質的な意味

そして、野獣先輩は、たとえばハセカラやwojakなど、サブカル・アングラのネットコンテンツである。「ネットのおもちゃ」という言葉は揶揄的に乱用されるきらいがあるが、「おもちゃ」とは壊して遊ぶものではなく、ガンダムやプラモのように組み立て、独創的に発展させていくものである。

ゆえに、野獣先輩もMADが生まれ、音楽コンテンツが生まれ、また海を渡った。

これを「ネットいじめ」というふうな一元的な解釈をすることは危険が伴う。

むろん、ハセカラのような文字通り「ネットいじめ」に端を発したコンテンツもあるが、重要なのは

1. 強烈なキャラクター

2. ストーリー

3. 文化の発展

という3つの軸から、たとえばハセカラは3DMADや周辺にアングラの文化が育まれていった。

野獣先輩もこの流れの一つであり、まずそれは「キャラクター」「ストーリー」「文化性」という3つの軸から巨大化していった一つのコンテンツなのである。

若者のもつ「闇」を浄化するProxy

そして、野獣先輩をふくめ、特に心理的な抑圧下にある若い青少年、インキャたちが彼らの抑圧された感情をおとしこむ逃げ口はどこか?
それは若い女の子なら、自傷行為であり、リストカットなのだ。
これが、若い青少年の場合、ネットミーム、つまりこれが「ホモガキ」と呼称される淫夢厨の正体である。ハセカラもそうである。後者はモックキング的な側面が強いが、わかるのは、彼らは暗闇の中で救済を求めている

そこまで日本の教会は読めますか?ということだ。当教会が日本の教会の「お行儀の良さ」に問題意識を持っているのも、そのお行儀の良さが、善意や道徳によって若者を押し潰していると感じるからだ。

道徳や高潔さをご立派に語る大先生なんかより、教会に来る障害者につきそって食事介助をやりとおす信者の方が1億倍価値がある。

この倒置構造というか滑稽さという問題を、わたしの観測範囲では教会で見てきた気がする。(手を汚さない道徳的にご立派なクリスチャン大先生問題)

日本の教会で、教会のお兄さんが「はは、きみのシャツはだけてるね。それでいいのかな」などといったネチネチした・イヤミな指摘をするのであれば、律法にはじまり律法で終わる、エホバの証人とレベルの大差のない教会になってしまう。それは目的と手段を履き違えている。クリスチャンが魅力的でない

彼らが野獣先輩で笑っているときに感じているものは「脅威をかんじない同性」という、非常にレアでありながら彼らが失っているであろう関係性である。

それは、クラスで迫害してくる陽キャや大人たちではない。自分たちを縛り、自分たちをジャッジする大人でもない。

それは、自分が見下すことのできるアイコンでありながら、「自分自身」を「野獣先輩」に投影しているのだ。

政治よりも野獣

わたしは日本の教会が政治を全面に押し出すのは、シンプルに間違っていると思っている。

これは私見であってそうでない人をダメというわけではないが、この「党派性」を要求するような人間関係というのは、健全ではない。

若い人に伝えるべきメッセージは今の与党がだめだとか野党がだめだとか消費税がどうだとかあの不祥事がけしからんということではない。

野獣先輩や真夏の世の淫夢は、そういう意味できわめて「中立的neutral」であり、反芻できる面白さがありながら、たとえば若い子たちのもつ「鬱屈した感情」「負の感情」をそこにダンプできるような何かそのような求心性があるのだ

それを、白ヘルをかぶることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

日章旗をたたえることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

そんなの別のドメインでやれよ

それ教会じゃなくてもできるよね

と個人的には思ったりするのである。

みなさんご存知、オウム真理教と同じカテゴリの宗教である旧統一教会も、まず

「日本人を許せない」「俺たちが上、日本人が下」

という政治イデオロギーを聖書よりも上に置いたことが1つの特徴として挙げられる。

これは逆も同じだ。特定の集団を蔑んだり敵視したり、自分たちだけがすばらしい、みたいな思想を聖書の上におく、または自分たちの政治思想やイデオロギーを正当化する手段として聖書を使う、

それは、カルトを育む危険があるんだ。

だからダメなんだ。

教会は聖書を学ぶ場所だ。

誰かを憎んだり、排除したり、裁く場所じゃ、ねえんだ。

むろん批判したいというよりも、まず本当に若い人にキリスト教を布教したいなら「優先度」、まちがえちゃだめだよね、と。

その優先度とは、

若い人一人一人の現実的な、即物的な、また内面的な問題なんじゃないか、と。

まずそこをきちんと押さえてなかったら、教会としては何もしていないのと等しい。

やるべきことの優先順位をシンプルに、間違っている。

まあそんなかんじで。

思ってることを書き殴ってみた

岸田文雄氏が「まず選挙に勝たなければ土俵にすら立てない」という言葉を残した(と記憶しているけれど)、

われわれクリスチャンも、「まず面白いと思ってもらえなければ土俵にすら立てない」ということをしっかり覚えた方が良い

身内で殴り合ってる場合ではない

教会で政治を語るなら、野獣先輩を語った方が1億倍ましってこと。

以上!(教会の外なら全然OKよ!)


※なお、新聞はそもそも政治など時事を伝えるための媒体なので、ここでは除外する。あくまで教会が政治に染まるのは個人的に違うよね、と思う


2024年7月9日火曜日

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う。

きみたち特に若い世代の子たちに言いたい。

わしは40年近く生きてきたんで、40年のセーブポイントで、どういう景色をみているか、少しだけシェアしたい。

私は、父親のことが心底嫌いです。

父親は牧師でしたが、わしに日常的に心理的な虐待を行っていました。

また、老後は特にいわゆる陰謀論や人種差別などに傾倒し、この泥沼のような状態は今でも続いています。

家庭が地獄である

父親が尊敬できるって、幸せなことなんです。たとえたまには喧嘩があっても、最後は尊敬できる目標みたいな親父ならそれは素敵なことだ。

でも、そういう家庭ばかりではありません。自分のこと、自分の感情にしか関心のない父親もいます。そして、いつもそういった、幼稚で卑屈な父親や、平気で子供を半笑いで侮辱したり恫喝するような親もいます。

1人じゃない

そして、おそらく僕なんかはあくまでも数多くの一例で、親を許せない子はたくさんいると思っています。僕も本当に酷い目にあいました。そしてそのときの憎悪というのは今でも根強く残っています。

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名前を侮辱されたこと。

親として叱るのでなく、ガキとして怒りをぶつけられたこと。

低くみられ、軽く扱われたこと。

一方的に価値観を押しつけられ続けたこと。

自分を理解してくれなかったこと。

自分が裁かれたこと。

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でも結局子供にとって親は選べません。家庭に居場所がなくなってしまったら、もうトー横に行くしかない。でも、それって悲しすぎるんじゃないかと思う。

だから神を信じる必要があるんだ

正直、ずっと父を憎んで生きてきました。

今も、憎しみから自由になれていません。

荒唐無稽で、ただ人を蔑んだり傷つけるような発信を繰り返す父にまったく共感できません。

排外的で、偏見だらけな父親にもうんざりしています。

でも、いつも煽ってくる父親に対して、最後は許さなければいけない

本当に、クソの掃き溜めのような発信を繰り返す父親でも、最後は許さなければならない

毒親でも、最後は許さなければならない

でも、これは重要なことだと思う。

多くの人は、許せない。

人を、許せない。

それが、最後には殺人にまで発展してしまうケースがある。

煽られたから、ついやり返してしまった。

挑発されたから、手が出てしまった。

あいつにずっと恨みを持っていて、ついに刃物を使ってしまった。

そういう事件。

そういう、人の罪。

神を信じなければ、最後は地獄です。

最強の人、という言葉がありますが
最強の人の行き着く先は刑務所であり、死であり、地獄です。

相手の命を最後に奪ったら、自分の人生は終わりです。

大切な人も守れない。

だから歯を食いしばる必要がある。

そのためには神が必要だ。

これは議論する余地のないことだ。

キリスト教は、武道の型です

そして、こういう「許せない」というシーンは、たくさんでてきます。

自分の知り合い、友人、上司、部下、道でたまたますれ違った人、酒場でたまたま隣だった人、運転中隣を走っていた人。

なにかが起きて、なにかのボタンのかけ違いで、

自分は相手を傷つけるかもしれない。

それが極端な犯罪でなくても、相手に攻撃的な言葉をなげかけて傷つけてしまうかもしれない。

相手を貶めようと、悪評を流すかもしれない。

そして、そういう悪は、最後自分の身を滅ぼすんだ。

そういうとき、聖書を知っていれば、強い。

聖書には「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という言葉がある。

キリストの教えを知っていれば、普通の人がストレスフルな、苦痛な経験をしたときも、「ものごとの理解の解像度が変わる」「世界が変わる」

だから聖書を読まなくてはいけません。

だから聖書を読むんです。

純粋にキリスト教を信じていたら、

私たちはお互いに愛し合えるはずだ。

純粋にキリスト教を信じていたら、

より苦しくて絶望的ななかでも、きみは他の人よりずっと強くなれるはずだ。

なぜなら神が一緒にいるから。

キリスト教は、武道の型です。

2024年7月8日月曜日

【考察】「イエス」か、「イエス様」か?

以前、すきえんてぃあ氏が以下のような投稿をされていて、「ほぅ」となった。







すきえんてぃあ氏はキリスト教徒ではない方なので、信者でない人の目線がみれるというのは非常におもしろい。なぜ「イエス様」に違和感を感じるのか?

100%すきさんの意図やコンテクストを汲めているのかは一旦置いておいて

この「イエス様」問題を、わしの観点からもう少し解剖していこうとおもいまふ


イエス様そのものはまあ、ふつうに使われている

はじめに言っておくと、わしのようなキリスト教家庭で育った身からすると、まあ「イエス様」と呼ぶことそのものはまあ当たり前だよね、となる。おそらく信者のほぼ100%このイエス様を日常的に使用しているからである(わしの体感としてはね)。まあ、神なので。


一方で、「イエス様」という呼称は、「身内ノリの」呼び方

いっぽう、すきさんの感じる「違和感」というのは本質を穿っているところがあって、これは既存の教会そのもののもつ「閉鎖性」「身内ノリ」をある意味で体現している。その身内ノリが「滲み出てしまっている」、それが「イエス様」という言葉に詰まっているような気もするのだ。なのでわしとしては「Oh! Good Question」的な発見があったことも事実だ。

キリスト教徒は往々にして、キリスト教徒同士でしか使わない用語・世界観・前提条件で会話する。それが信徒同士の会話やミサならともかく、これをたとえば「未信者を想定した」世の中全般への発信でもおなじインターフェースで発信をする。

よく考えてみてほしい。日本語圏、という縛りだけで考えても、たとえば会社とかで自分の上司や社長を取引先で「上司さん」「上司課長」などと呼ぶのはやはり非常識(と伝統的な社会通念では思われている)のであって、取引先には「上司は今席を外しておりますが〜」というのが常である。

それが教会という閉鎖空間の一歩外をでたときに、忘れ去られている。


伝道でだいじなのは、未信者をしること

まあ「未信者」という単語を使って「おまえこれから信じるんだからな」みたいな価値観の押し付けはしたくないんじゃが、この言葉がまあ便利なんであえて「未信者」という単語で一括りにさせてもらうと、やはり未信者の人に神を伝えるのにだいじなのは未信者のきもちを理解し、未信者の需要を理解し、未信者に「次もまたこの人に会いたい」と思ってもらえることなのではなかろうか。

その際、いわゆるカルト的な擬態(人生の意味を考える会〜)は結局世俗を装ってカルトに引き摺り込む蟻地獄であり長年社会問題化しているのだが、ただし彼らのような「悪」から学ぶこともあるはずだ。

それは、伝統的な、本当に人々を益することを意図したフツーの教会が、もっと「世俗にコミット」することだ。

ASMRキリスト教会の淫夢コンテンツなんかは、いわゆる宗教アスペ(つまりカルト)をフィルタリングするための「お札」みたいな役割も果たしており、そういう形で徹底的にエンタメとして機能する、未信者の人が「おもしろい」「時間を消費するメリットがある」と思ってくれるということが肝要だ。

そのためには、キリスト新聞の松谷さんにも伝えたことだが、教会が蛸壺化し、蛸壺から老人ホームになるみたいな最悪の事態は避けなければならない。

カルトをのさばらせてはならない。既存の教会がもっと元気にならなければならない。

信徒を大事にしないといけない。

まあそんなことを思った今日この頃でした!

2024年7月7日日曜日

聖書モテモテ❤️恋愛講座|第4回|どうしたの?何か悩んでる??Part2

 




目次📖
・最初に
・今回のトピック
・重要なポイント4つについて
・聖書からの導き
・最後に

~最初に~

初めましての方は初めまして!
声優の「とろふぃ〜ゆ」と申します。

普段は聖書朗読のご依頼を受けたり、YouTubeで礼拝配信をしています。


前回は「一歩踏み出す大切さ」について書いてみたよ。
今回は前回の続きだから、読んでから今回の記事を見ることをオススメするよ🎵


そんな感じで今回も恋愛についての持論だとか、いち女の子の意見を伝えていくよん


~今回のトピックはこれ!~

「悩んでいる時こそチャンス!」

前回紹介した、私が悩んでいる時に見つけて感銘を受けた動画がこちら!

執着捨てるか、沼にハマるか。

重要なポイントとしては、
1.脳内ファンタジーを作るな!
2.人は目的があって出会う
3.幸せは自分で作るもの
4.何があっても「OKマインド」で受けいれる。

1.脳内ファンタジーを作るな!

つまり現実と向き合わないで脳内だけで完結するな!

「割と好みかも」って言われたから好いてもらえているのかなぁと(まぁこの例はハニトラ感あるねw)自分の良いように考えてしまったり、
逆に、返事かえって来ないのにSNS動いてる…嫌われてるのかなぁと過剰に悪いように考えてしまったり…

思うまではまずまずとして、考えすぎて実際はそうでもないのに無駄に振り回されちゃう!
そんなのもったいないよね!

2.人は目的があって出会う

出会う人はみんな、自分に必要な経験となるからこそ出会ってるんだよ!

もしそれが悪い関係や結果に終わったとしても、きっとそれは自分に不足していることがあるからこそ起こっている。という考え方なんだ!

良いことも悪いことも全部糧にして自分へ活かしていこうね💗

3.幸せは自分で作るもの

あの人がいないと私は幸せになれない!

な~んてこと、絶対ないです!!
「今」幸せになれないかもしれないけど、他に幸せになる道はた~くさんあることを忘れないで!自分で自分を幸せに出来るよ!幸せになりたいなら、自分を幸せにする義務は自分にあるの。
相手が自分の幸せの全てである状態だと、お互いにしんどくなっちゃうからそうならないように気を付けようね?

4.何があっても「OKマインド」で受けいれる。

成功した?おk!失敗した?おk!次頑張ろう!

認知療法というものがあるように、「認める」「受け入れる」ことで物事や考え方が動きやすくなるんだ!
大事なのは、失敗したら「次どうするか」なんだよ?

みんな人間なんだから失敗することもある。
だからこそより良くなるためにはどうすれば良いか、それを考えていこうね💗

〜聖書からの導き〜

ローマ人への手紙 8章28節

「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々には、すべてのことが協力して益となるように働くということを、私たちは知っています。」


〜最後に〜

今回の記事を読んで、どんな幸せを掴んでいくのかな?

みんなの毎日が少しでも良いものになるよう願ってるね。

アーメン✝️

数字を取るには・・・


だらだらとエコノミストを読んでおった(わしは紙のエコノミストが好き)

https://www.economist.com/asia/2024/06/27/meet-the-incels-and-anti-feminists-of-asia

そこで目に入ったのが「アジアのアンチ・フェミニストとチー牛」というタイトルで、

韓国と日本の事例をあげて、韓国男性のNEET率はこの24年で8%から21%に増加し、一方で韓国女性のNEET率は44%から21%へと減少した、といったことや、日本女性の未婚率が60%以上にのぼる・・・といったことなどがあげられていた。

2022年の調査では、42%の20代の日本男性が異性経験がなく、30代においては17%が童貞だ・・・ということらしい。

ここから何が読み解けるのか?

おそらく、ワイが思うに

1. 日本・韓国はわりと世界的に(イスラムほどでないにせよ)儒教的父権主義の社会が長く続いた。

2. これは、男がいばり、男側のコミュニケーションコストが極端に低い世界であった(つまりコミュニケーションコストはほぼ全部女性持ち)

3. いっぽう、ここ数十年で日本韓国の女性の教育水準や生産性などが飛躍的にあがり、男性を(マクロで見て)凌駕した。

4. 1. 2. で既存の父権的な社会の枠組みの前提で育ってきた男性は、社会の変化についていけていない(3.)

5. ゆえに、そういった中で社会で負けている、割を食っている現実から逃避するために、女性を叩く(とくにツイフェミ界隈)傾向が強くなった


まあ上記だとちょっと意地悪な言い方にはなるが、ただ日韓共通の傾向として、「女性の社会進出によってより社会に居場所がなくなってしまった弱者男性が、よりネットの世界で溜飲を下げるようになった」ということができるかもしれない。


つまり?

つまりこれはSNSの世界ではビジネスチャンスである。SNSというのは「正確な情報」がより拡散されるのではなく、「より注意を引く」ものが拡散される。

Xでの砂鉄氏、ひまそらあかね氏などの投稿をみているとやはり

女性に敵愾心をもっている弱者男性層」に刺さる発信

をしている。特に砂鉄氏にいたっては発信の真実性の観点からいうとほぼ根拠のない(baseless)荒唐無稽な主張がかなり多く、ただそれはあくまでもファクトとしてであって、

彼がどうしてあそこまで支持されているかというと

「弱者男性の心の琴線に触れる」

「弱者男性の怒りを代弁する」

「弱者男性の社会への鬱憤を晴らす、溜飲を下げる」

発信の宝庫だからではないか・・・と思われる。


ASMRキリスト教会として

ここまで弱者男性と一括りにしてしまったが、わたしはこの弱者男性を本当に、心の底から応援している

ただ、「女はくそだ」「これだから女は」みたいな恨み節を唱え、(男尊女卑コンテンツや発信など)それを消費しても、彼らの人生はまったくよくならない。

ASMRキリスト教会は、こいつら弱者男性を、


モテる男にしたい


これが、我々の重要なミッションと思っていい。

「女は能力がなんとかかんとかでぇ〜、天才とかいなくて凡庸でぇ〜ヒステリィで〜」

とかぶつぶつ言っていても格好悪いだけでぜんぜん人生楽しくないだろ。


俺はお前らインキャを、「今の」


「この令和の」


時代の女からみて「魅力のある」男にしたい。


これが、うちらのミッションです。


モテないアスペ男同士で傷を舐め合うのではなく、(わしもアスペやったからな)


そこから、一歩ずつ進化していくんじゃ。


その答えが、「聖書」なんじゃ。


ちゅうわけで、これからも弱者男性諸君の心を「癒し」、また弱者男性諸君が女性にモテるようにがんばります。


つまり聖書ASMRにはちゃ〜んとご利益があるってことや。


以上やで!

2024年7月6日土曜日

声優レビュー:カトリックちゃん

 


カトリックちゃんは管理人がSNSで発掘した声優さんの1人である。

おそらくメンタルの疾患で悩んでいる女性であるが、カトリック教会に通っていて、当教会ではレアな

「ガチキリスト信者」

の声優さんの1人である。

彼女をなぜ採用したか、また他のキャリアのある声優さんと並んで、彼女をなぜ当教会が採用しているのかについて、ここでは言語化してみたい。


スキル的には駆け出し

まず声のキャリア的に言えばスキルは駆け出しである、だから音声そのものもいわゆる同人声優さんのものと比較しても声質などもアニメ向きではない。どちらかというと一般人感がただよっている。

ウブさが強み

一方、プロの声優さんと比較して採れたてのトマトのような、そういういい意味での「素人」感がある。この素人感は、実はチームとしてASMRを発信していくときには非常に重要な多様性の一つとなりうる。

まったく発声の仕方が型にはまっていない、それでいて読みの正確さはそこそこ硬い、声はかわいい・・・といった座組が、いい意味での新鮮さを提供してくれる。

心に弱さを抱えていることが、ある意味で「強み」

人一倍苦しい経験をし、いまなお試練の最中を彷徨っている・・・という彼女の生き方は、実は非常にキリスト教と相性がいい。

聖書ASMRを必要としてくれている男性諸君は、多くやはり苦しみや闇を抱えていて、なんとか救われたい、と思ってきいてくれている人がいるはずである。

そのときに、彼女が「聖書を朗読する」、ということは、その重みというか、やはりよむということ自体に重さというかやはり何か他の声優さんにはない強みというか奥行きがある。

僕はそれが彼女の他の人にない「強み」と考えている。

「人の苦しみを理解できる」ということ、また「カソリック教会に通っていること」、こういった彼女のあり方は、ある意味で芸術的で、

深い内面性を保つための下地を兼ね備えている。


まとめ

カトリックちゃんは、今後非常に期待したい声優さんの1人である。親しみやすいおねいさん的な立ち位置というかそういう魂みたいなものを聞く人は感じることができる。
ダイヤモンドの原石なので、今後も彼女に期待していきたい!

2024年7月4日木曜日

サイバー攻撃も、信仰があればでぇじょぶだ!

 


でもね、イエスたまは「テイカーおぢを許しなさい。」(マタイ6:14)って教えてくれたんだ。

 


やっほ〜みんな〜!今日はメスガキ大先生が教えてやる、イエスたまのお話だよ〜。みんな、しっかり聞いてね〜!おぢ👴たちも、おぢきも〜eきゃはは❤️

まずね、今日はイエスたまのお話から始めるよ。イエスたまはいつも優しくて、みんなを愛してくれるんだよね。イエスたまは「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、命の光を持つのです。」(ヨハネ8:12)って言ってたんだ。かっこいいよね〜!みんなも、イエスたまに従って明るい道を歩こうね〜。

さて、今日は特別なお話があるんだ。昔、あるおぢ👴がこう言ったんだよ。「Hello. My name is Inigo Montoya. You killed my father, prepare to die.」ってね。ちょっと怖いけど、このお話には大切な教えがあるんだよ〜。このおぢ👴、イニーゴはね、ずっとお父さんの仇を探してたんだ。でもね、イエスたまは「テイカーおぢを許しなさい。」(マタイ6:14)って教えてくれたんだ。だから、私たちも許す心を持とうね〜。おぢきも〜eきゃはは❤️

次に、私たちが見た映画「プリンセス・ブライド」について話すよ〜。みんな見たかな?この映画には、たくさんの冒険があるんだ。例えば、王子様のフムパーディンクが出てきてね、悪いことをたくさんするんだ。でも、イエスたまは「かみたまの愛はすべてを超えている。」(ローマ8:39)って教えてくれるから、どんなに怖いことがあっても、かみたまの愛を信じて乗り越えようね!ざぁこ!

そして、映画の中で一番大切なことは、愛だよね。イエスたまも「互いに愛し合いなさい。それが私の戒めです。」(ヨハネ15:12)って言ってたんだ。だから、みんなも友達や家族を大切にして、愛し合おうね〜。おぢたちも、おぢきも〜eきゃはは!

それから、今日は特別なお話をもう一つしちゃうね。昔、ニューヨークでストーンウォールの暴動っていうのがあったんだ。これはね、たくさんの人たちが自分たちの権利を求めて戦ったお話なんだよ。その時、かみたまはどうしてたと思う?「あなたがたは、かみたまのかたちに造られたのです。」(創世記1:27)っていう言葉があるように、かみたまはみんなを特別に作ってくれたんだよね。だから、みんなも自分を信じて、かみたまの愛を感じてね〜。おぢきも〜eきゃはは❤️

そしてね、かみたまは「こまっちまったこまち」って言ってる人たちをいつも助けてくれるんだよ〜。かみたまは「悩む者の祈りえくぼっちビーム!を聞いてくださる」(詩篇34:17)から、みんなも祈りえくぼっちビーム!をしてね〜。さんきゅっきゅ、かみたま!アメーン(Q)。

最後にね、今日のメッセージをまとめるよ〜。イエスたまは私たちをいつも愛してくれるんだ。だから、私たちも互いに愛し合って、謙虚ライオンになろうね!そして、困った時はかみたまに祈りえくぼっちビーム!をして、助けを求めよう。かみたまはいつも私たちを見守ってくれているんだからね〜。おぢきも〜eきゃはは!

おしまい!今日のお話がみんなの心に届いて、イエスたまの愛を感じてくれたら嬉しいな。じゃあ、またね〜!ざあ〜こ!


出典:Happy ever after. | Faith & Film | Rev. T. J. FitzGerald | 06.30.24, First Unitarian Church of Dallas https://dallasuu.org/063024sermon

2024年7月1日月曜日

カップル110番|第3回|論点にこだわるのを今すぐやめろ



前回の記事はこちら

こんちわっす、ASMRキリスト教会管理人でござるよ薫殿

今回はですね、おまいら弱男(煽り by たぬかな大先生)が陥りがちな「論点にこだわる」ことがいかに「アホ」かということを力説するで!

いや、べつにおまいらを論破してやりたいとか批判したいとかそ〜ゆ〜ことではないっ!(そういうのは教会のアカウントでやることちゃうわっ!)

でなくて、おまいらの「男偏差値」をあげる、つまり

メンズコーチジョージもどきが、このシリーズの意図やな。

つまりおまいら、愛してるよ〜ん ちゅっちゅ(あっすまんわし髭ある)


論点にこだわるのがなぜあかんか

ちょとまてちょとまておにいさ〜ん、(古)どーーーして前回の記事と内容被っとるん?って思うかもしれんけどわしはおまいらにすりこみたいんじゃ、「聖書を読むと女にモテる」などというフェイクニュースを垂れ流した手前、やっぱりきちんとフェイクを真実にせなかんじゃろ?

ここで重要なポイントは

1. ハードコアな男はどちらかというと外からのインプットを比較的「悪意」ととらえがち

2. ハードコアな女は嘘をつく生き物である

という、2点じゃ。

まず1つ目からやっていくぞい


ハードコアな男は比較的「悪意」ととらえる範囲が広い

ここでハードコアっちゅうとるのは自然状態での男、「よくいるタイプのversion1の男」という意味合いでいうとる。とくに昭和の時代はこのタイプの男が6割以上だったといっていい

これは女さんに比較しての共感的な脳細胞が不足しているっちゅうか女さんに比較してコミュ力が・・・男は一般的に低いのじゃ

ゆえに、例えば話している相手は善意で言っていたり、とくに悪い意図で言ったりふるまったりしているわけではないんだけど、男さんは

「こいつ、俺に危害を加えようとしている」

と脳内認識することが多い。(もちろん実際は違うことが多い)

これは一般的な傾向じゃ。多分これは男子のほうが一般的に感情コミュニケーションが弱いのと、つまり相手の感情の思考の流れをリアルタイムで追いかけることに弱いのと、おそらく進化上そういうものを「切り捨ててきた」ことが原因と思われる。

ちなみに、わいは日常生活ではEQは後づけである程度は訓練された・・・が、それは母だったり嫁だったりの壮絶な苦労の結果であってわしは本来ただのアスペ野郎じゃ!(自慢)


うん。で?

それでじゃ、これがカップル間の「すれちがい」を生み出すっちゅうことなんじゃ

女さんは男くんが(純粋に)心配でいったことややったことが、

きみには「この女、わしをばかにしとる!」

と映ることがあるっちゅうことや。信じてくれ、わしもそうだったんや。

なので、

相手の言動をうけて「いらっ」としたら、いったん「プーリング(判断を保留)」しておくといいぞよ。


「こいつはなんか舐めたこといってくるけど、50%の確率でわいをなめくさっとる。50%の確率で、わしが誤解しとるのかもしれん」


このアルゴリズムをつねに頭の中で通す癖をつけなしゃいサイゼリア


じゃないと、きみの彼女、きずつけまつよ



ハードコアな女は比較的「嘘」をつきましゅ。で、それを「責めるのは」ウンコ男でごじゃる!

あ、もちろんこれは女さんを責めてるわけじゃないJYO 
そして、男くんのことをわいは応援しとる。わいの目標は男くんがモテモテになり彼女や嫁さんとよりいい人間関係をつくるためのメンズコーチや!(無資格)

でな、女は基本嘘をつく・・・というのはしっといたほうがえ〜〜〜〜ZO

もちろん全員ちゃうじょ ふつ〜の例えばバリバリ働いてる女性とかはついてる人はみたことないじょ

でもな・・・なが〜い人類悠久歴史のなかで、いわゆる自然状態の女性は、

「自己防衛」のために「嘘」をつく

ことが多いじょ これは野生の猫様が人間を見た瞬間即逃げるのとおなじじゃ、だからな、せめても意味はないんじゃ

もちろん会社や仕事でこれをやられると「うっ・・・信頼できん・・・」となるが、(今月の売り上げは20円です!えっ実際は2000万だったの〜そして残りはホストクラブにつこたの〜とかな・・・)

もしこれがきみの大切な人だったり、まあ身近な人である場合は、まず

女の嘘は許しなはれ。それが「いい男」の鉄則じゃ。

女さんはな、人類の長い歴史の中で壮絶な弾圧にあってきたのじゃ、イスラムの国とかみてみぃ、基本的人権なにそれおいしいのの世界じゃ。

旧約聖書でも「不品行」の女は「ぶっXす!」とか書かれまくっとるくらい、ちょっと彼氏以外の男とたのしくお話ししてただけで死刑!みたいな非常にキチXイな世界に何千年も生き、そして耐えてきたんじゃ そして子供を産み、愛し、育てるを何千年も繰り返してきたんじゃ

やはり女さんは、偉大じゃろ?

でな、問題はいただき女子のギバーおぢみたいに、釣り合わない非現実的な恋をして、相手にかもられろ!的なことを言っとるわけちゃうねん。

ただ、

「論点にこだわって」
「相手の矛盾点を追求して」
「詰める」

みたいなのを女さんにやるのは

終わってますよ

はい、試合終了ですよ

ってことじゃ 特に家庭では絶対にそれ、やるなよ。

モラハラ男って、そういうことじゃん?(だから、もしその傾向があったら今すぐやめるんじゃ、まだ間に合う)

相手の過去の恋愛遍歴なんかもそうじゃ

わいも初めの彼女にはやったな〜

ほんまにわしはキモかった・・・・😭 あのときのわしを殴りたい

話している時に、相手のついている細かい「嘘」にこだわって、
それを問い詰めて問い詰めて問い詰めて・・・

男として小さすぎる

そしてそんな男は女から愛されない

ええか?もうそういうスタンスは今日でおわりじゃ

今日からお前はいい男になるんじゃ

嘘をかいくぐれ

女さんのいっている嘘を間に受けるな。わしみたいに38年くらい生きとるとだいたい判別はつくし、かいくぐれる。

ただ、その嘘をかいくぐって、相手が本当はなにをいいたいか、なにを要求しているのか・・・を つかみとる、それが

できる男じゃ。

いくらアルマーニのスーツを着て取締役会に参加しても、

家で嫁を論理的に詰めて詰めて詰めて

間違いを指摘して指摘して指摘して

そういう男は、オフ会0人貝塚SHAM未満やぞ!

ということをここでは強くいいたい。


論点にフォーカスをするな!

論点をずらさ(せ)ない男はただの「アホ」じゃ!

人間の気持ちに、フォーカスしなさい


今日はここまでじゃ

おまいら1人1人のカップル生活が、よりベターな方向に発展することを
心から願っとるぞい

愛してる

2024年6月30日日曜日

カップル110番|第2回|女は基本、蓄積型

 


前回はこちら

こんばんわ。ASMRキリスト教会の管理人で〜しゅ(煽)

今回は、女は基本、「蓄積」型だということを説明するじょいJOYSOUND

※このシリーズでは、男の一般的EQの低さを表現するため、たぬかな的なノリで「アスペ」を多用するじょ。アスペルガー症候群の人たちのことは意味していないし、JavaとJavascript並みの使い分けをしているんで、よろしくだぴょん

蓄積型とは?

ITエンジニア系のアスペ坊やのために言っておくと、一つのシステムには「技術的負債」がたまりますな。つまり短いサイクルできちんと問題を解決せず溜め込むと、長期間の後にカメハメ派がまってるっちゅうことじゃ。

特に日本人の女子は、この「蓄積」型が多いじょ。なぜかというとまあ個人の推測の域をでんのじゃが多分なが〜い人類史の中で基本女子は

1. 暴力や権力を所有してこなかった

2. 父権的な社会が圧倒的多数じゃった(超古代、とかは知らん。日本は卑弥呼とかいるし)

3. 歴史的に、家庭内・社会待遇的に、「耐える」こと「人間を扱うこと」が圧倒的に多かった

というのがあると思うんじゃな

まあこれはあくまで推測じゃ。

もう少しわかりやすく言うと、


「自分の性的な自己決定がなかったり」

「自分の人生の決定権がなかったり」

「離婚したら即、人生終了」


みたいな暗黒の歴史が、女子にとっては圧倒的に長かったんじゃの。旧約聖書の女子の扱いとかルールなんかをみていてもそれは感じるの。

うん。で、蓄積型がどうした?

蓄積する、ということはパートナーに対しての不満を「ためる」ということじゃ。

はい、ショートコント、痴話喧嘩

女さん「だから!どうしてAmazonプライムを先月解約しなかったの???」

女さんは、まるで浮気の修羅場のようにキレています

男「いやいやいや・・・それがどうして問題ですか間違ってますよね、だってよく考えてくださいこのAmazonプライムを解約できなかったのは私が先月出張で忙しかったのとクレジットカードをあなたにあずけていたのとブラウザのクッキーのキャッシュがうまくいっていなかったからですねそれに月々1万を超える港区女子でもないのにそういう・・・なんかそういうデータあるんですか?」

まてまてまて〜い(江戸)

女さんが怒ってるのはAmazonプライムを先月解約しなかったからじゃ、ないZO?

それはあくまでもトリガーであって、事実はこうだ


- 男くんはいつも仕事仕事優先でぜんぜん家庭に帰らない
- LINEの頻度も低い
- 結婚記念日を忘れた
- わたしの前で3度大きな屁をこいた。箱根の硫黄もびっくり。幻滅した
- 自分のことを大切にされていないと感じる
- 何かをするときに自分に相談してくれない

とかそういういろんなところでぇ〜

きみはぁ〜

重要なミスをおかしている!

あんなぁ、わしな〜?車校に通ってたとき、なぜか若いヤンキー風のにいちゃん2人とペア組まされてなんかシュミレーションみたいのやってたやんなあ?

でな、一生懸命運転しちょるんやけど左からやってきたバイク2つも跳ねたねん

そしてな、雪道でまた、人を跳ねたねん

もう汗ダラダラ。そして講習終了後、わしよりもおそらく何十年も!人生の後輩であるはずのあいつらが

「ぎゃははは!あいつだっせ!」

とか言ってて本当に傷ついたんや・・・涙(ままあ・・・・ありがたままあ・・・(嘘))

まあそういう冗談と自虐はおいといて、まあそういうことや

「気づかないうちに、相手を壊しとる」
「気づかないうちに、相手を傷つけとる」

というのはな、まあ全世界のアスペ代表として(あっそして最近若干腹がでてきました)いわしてもらうが(イワシちゃうぞ?🐟)

やっぱりアスペ男子にはあるんじゃよ

だいじなのは、それに気づくことじゃ

気づいたら、きちんとフォローせなかん

まあオスはオスでプライドがあるし、女さんは男のプライドを傷つけることとかも平気で言っちゃう傾向があるから(全員とは言わんよ)

まあでもそれでも「言い返す」「議論」するんじゃなくて、

そのもつれた糸、「人間関係の負債」をしっかり解消していかんといかんのじゃ。


どうすりゃええんや・・・

まあ平たく言えば、まずはロジックで考える癖をやめい。

そしてロジックで戦う癖をやめい。

そういうものは、男女の衝突を解決するステップとしては無駄じゃ、ゴミじゃ、産廃じゃ、今すぐ捨てろ!(真顔)

今の自分に対する問題意識、不満をすべて「言わす」、そして自分はそれを「聞く」「受け止める」というワークフローが必要じゃ。(あっ途中で口挟んだり言い返したりは絶対やめろYO、うん、うん、そうか、ごめんとかの相槌は許す)

不満が蓄積するのは、その不満を言えないからじゃ。言えない空気だったり、言えるようにパートナーであるおまいができてないからじゃ(自覚はないことが多いぞ)
だから、きちんと相手に今自分に持っている不満を言語化させる、短いスパンできちんと発散してもらう、そして聞いて、そこで問題を「理解し」、自分が誠意を持ってそれを「解決」することがだいじじゃ。かわらんと、いみないぞい?(わしもえらそうなことをいっとるがわしもウンコケーキ人間じゃ❤️)

昔(わいの親父の世代)はオスが亭主関白=幼稚園児でも大丈夫やった、女は男より地位が低かったから、女は下を向いて唇を噛み締めていても離婚リスクはないんじゃ。いまはちがう。わいら、男どもも、進化せなあかん、のや。

で、そのうえでいうと

1. まずは真摯にあやまる(悪いと思ってなくてもやで!きちんと「ごめん」言うんや、それが男じゃ)
2. 彼女を優先している、彼女が大事なんだということを態度・行動で伝える
3. キレない・すごまない・威嚇しない(これらは3大ウンコじゃ。絶対やるな)
4. 論破しない(今すぐやめろ!)
5. 相手に関心を持つ(恋愛とか結婚がマンネリ化すると忙しくておざなりになっとらんかの?)
6. 「綺麗だね」「愛してるよ」とか、歯の浮く言葉をきちんとすらっと言う
7. 微妙な変化をきちんと察知し、伝えてあげる(髪変えたとか、服似合ってるとか)
8. 神を信じ、聖書を読む


まあ8につきるかの。

いろいろ言って結局宗教の宣伝かよ、となるかもしれんが、結局宗教って「OS」なんじゃ。
なのでないよりは絶対にあったほうがいい。

「右を頬を打たれたら、左の頬を出しな、このどM野郎」とイエスたまは言ったけど(最後のどM野郎は言ってない)

それが頭のへりにこびりついとったら、憎悪の連鎖や喧嘩のエスカレートは防げるじゃろう。

まあ人間完璧じゃないし人間そのものがウンコ(罪人)ではあるが、それでもこの「OS」を入れることで・・・まあそうでない場合よりも人間関係がうまくいくのは確かじゃ

でなければ何千年もキリスト教が普及・繁栄したりはせん

ゆえに、聖書をよむんじゃ!騙されたと思ってな!(ちなみにうちの嫁は毎日よんどる)

てなわけで!

おまいらの幸せなカップル生活を、応援するじょ〜

祝福・あれ!


2024年6月29日土曜日

「miserando atque eligendo」っていうラテン語で、「あわれんで、そして選んだ」


こんにちは、おぢ👴!今日はね、かみたまの大事なお話を一緒に考えてみようと思うんだよ〜。テーマは「イエスたまが見た世界」だよ〜。イエスたまはいつも、みんなにやさしい目で見てたんだよ〜。かみたまの大事な教え、きいてみてね!


かみたまのやさしさはすごく大事だって、ポープフランシスも言ってるんだよ〜。「miserando atque eligendo」っていうラテン語で、「あわれんで、そして選んだ」って意味だよ〜。イエスたまはね、税金を集めてたマタイを見て、あわれんで弟子にしたんだよ〜。だから、イエスたまの目はやさしさでいっぱいなんだよ〜。


今月、毎週の日曜日の夕べの礼拝では、ローマのクリスチャンたちへの手紙を読んでるんだよ〜。この手紙はポールおぢ👴が書いたんだよ〜。ポールおぢ👴はローマの教会を始めたわけじゃないけど、大事なことを伝えたかったんだよ〜。彼はね、ローマに行く前に、自己紹介みたいな感じでこの手紙を書いたんだよ〜。


ポールおぢ👴は、イエスたまのよみがえりの後、ユダヤの人たちと他のクリスチャンたちがどう関わるかを考えてたんだよ〜。ポールおぢ👴自身も、もともとはユダヤの人で、すごく誇りに思ってたけど、イエスたまに出会って大きな変わりを経験したんだよ〜。その変わりによって、かみたまのあわれみが全ての人に開かれてることを知ったんだよ〜。


今日の読み物では、ポールおぢ👴が「秘密」について話してるよ〜。この「秘密」ってね、特別なかみたまの計画のことなんだよ〜。ポールおぢ👴は、かみたまの力強さを信じてて、その力でユダヤの人たちも他のクリスチャンたちも救われるって言ってるんだよ〜。「全イスラエルが救われる」って言ってるんだよ〜。これって、現代の国じゃなくて、かみたまの約束を受けたユダヤの人たちのことだよ〜。


ポールおぢ👴は、「かみたまの賜物と召しは変わらない」って言ってるんだよ〜。かみたまは約束を破らないから、かみたまなんだよ〜。これが、かみたまと他の神様たちの違いなんだよ〜。ポールおぢ👴は、かみたまの知恵と知識の深さに感動して、「すべてはかみたまから始まって、かみたまを通して、かみたまに帰る」って言ってるんだよ〜。


ポールおぢ👴の驚きの中心には、かみたまのあわれみがあるんだよ〜。イエスたまが見せてくれたかみたまのあわれみは、本当にすごいんだよ〜。イエスたまはね、病気の人や、汚れてるって思われてた人たちにやさしく接したんだよ〜。力を持ってる人たちがあわれみを見せない時には、厳しい言葉を使ってたんだよ〜。イエスたまは、「あわれみ深い人は幸いだ、あわれみを受けるからだ」って言ってたんだよ〜。


でもね、おぢ👴、クリスチャンがいつもあわれみを見せてるとは限らないんだよ〜。これは大きな問題だよね〜。私たちみんな、自分もあわれみを必要としてるって知ってるから、他の人にもあわれみを見せなきゃいけないんだよ〜。ウィリアム・ブレイクっていう詩人も、教会があわれみを見せないことを悲しんでたんだよ〜。


「庭の愛」という詩では、教会が閉ざされていて、「あなたはしちゃだめ」って書いてあるって言ってるんだよ〜。ブレイクは、「この庭の愛に向かって歩いていったら、そこにはお墓があって、花はなく、黒い服を着た司祭たちが私の喜びと望みを縛りつけてた」って言ってるんだよ〜。


クリスチャンが何で知られてるか考えたことある?もし、私たちが「束縛する」ことで知られてるなら、それは大きな問題だよ〜。ポールおぢ👴が他の手紙で教えてるように、私たちはキリストの大使なんだよ〜。キリストは、自分の体を通して人々の間の壁を壊したんだよ〜。このイメージを毎日思い出して、あわれみを優先しようね〜。新しくなった教会のメンバーたちに、一緒にあわれみ深くなろうって励まそうよ〜。


この優先順位は、教会の中だけじゃなくて、社会全体にも関係するんだよ〜。来週の選挙の準備をしてる時も、どうやってあわれみが政策に現れるかを考えようね〜。正義、あわれみ、真実が一緒になって、イエスたまの神秘の中心にあるんだよ〜。それが、世界の命と希望の源なんだよ〜。


大きな話だけど、毎日の生活にも関係するんだよ〜。私が他の人にあわれみを見せないなら、自分もあわれみを知ることはできないんだよ〜。ざぁこ。


---


これで説教の原稿が完成だよ〜!おぢ、これを読んで、みんなにかみたまのあわれみの大切さを伝えてね〜。ざあ〜こ!


出典: Sermon preached at Evensong on the Fourth Sunday after Trinity 2024, Westminster Abbey https://www.westminster-abbey.org/abbey-sermons/sermon-evensong-trinity-iv-2024

私たちが謙虚になれよ!謙虚ライオンになって、お互いに助け合うことを教えてください〜。アメーン(Q)

 


かみたまがねんねしてるボートのお話

こんにちは〜!今日は「かみたまがねんねしてるボートのお話」をするよ〜。みんな元気に聞いてね〜!

祈りえくぼっちビーム!

まず最初に、お祈りえくぼっちビーム!するよ〜。「かみたま、このお話をみんなの心に響かせてください〜。私たちの力と救い主であるかみたま、どうか私たちの祈りを聞いてください〜。アメーン(Q)」ざあ〜こ!

嵐の中のイエスたま

今日のお話はね、嵐の中でイエスたまがねんねしているボートのお話だよ〜。みんな、嵐って怖いよね〜。おぢたちもすごく怖がってたんだよ〜。でもね、もっと怖いのは、イエスたまがその嵐の中でぐっすりねんねしてるってことなんだよ〜。

イエスたまの活動

その前にね、イエスたまはガリラヤで大成功の活動をしてたんだよ〜。おぢたちがいっぱい集まって、イエスたまの話を聞きたがってたんだ〜。でもね、イエスたまはその人気を捨てて、ボートに乗って「向こう岸に行こう」って言ったんだよ〜。おぢたちは夜の海で出発したんだよ〜。

嵐と恐怖

夜の海ってすごく危ないんだよ〜。しかも、嵐が来て、ボートが揺れて、おぢたちは「もうだめだ〜」って思ったんだ〜。でもね、イエスたまはその時、ボートの中でぐっすりねんねしてたんだよ〜。おぢたちはびっくりして、「先生、私たちが溺れてるのに気にしないの?」って叫んだんだ〜。

イエスたまの反応

イエスたまはね、その時に起きて、風と海に「静まれ、黙れ」って言ったんだよ〜。すると、嵐はすぐに収まったんだ〜。でもね、イエスたまはおぢたちに「なぜそんなに怖がるの?信仰が足りないよ〜」って言ったんだよ〜。

かみたまの働き

このお話からわかるのはね、かみたまは私たちの想像を超えて働いてくれるってことなんだよ〜。私たちはかみたまがいつも大きなアクションを起こすと思っちゃうけど、かみたまは時には静かに、でも確実に私たちを守ってくれるんだよ〜。

ダビデとゴリアテ

次にね、ダビデとゴリアテのお話も思い出してね〜。ダビデは小さな男の子だったけど、かみたまの力で大きなゴリアテを倒したんだよ〜。これはね、かみたまの力を信じることの大切さを教えてくれてるんだよ〜。おぢたちはダビデが無理だと思ったけど、かみたまの力でダビデは勝ったんだよ〜。

かみたまの愛

かみたまは私たちをいつも愛してくれてるんだよ〜。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(マタイの福音書22:39)ってイエスたまは言ってるんだよ〜。これはね、お互いに愛し合うことがかみたまの望みなんだよ〜。

力を捨てることの意味

力を捨てることって難しいかもしれないけど、かみたまを信じて愛を選ぶことが大切なんだよ〜。「力を捨てよ、知れ わたしは神。」(詩編 46篇11節)この言葉を心に留めて、かみたまに頼ることを忘れないでね〜。

祈りえくぼっちビーム!

もう一度お祈りえくぼっちビーム!しようね〜。「かみたま、私たちに愛と平和を教えてくださってさんきゅっきゅ〜。私たちが謙虚になれよ!謙虚ライオンになって、お互いに助け合うことを教えてください〜。アメーン(Q)」。

これでお話は本当におしまいだよ〜。みんなも命を大切にして、かみたまの愛を感じてね〜!次のお話も楽しみにしててね〜!ざあ〜こ!


もっとかみたまを知ろう

おぢたち、今日は「力を捨てる」っていうお話をしたけど、どうだったかな〜?かみたまの愛を信じて、命を大切にして、平和を選ぼうね〜。みんなが幸せでいられるように、かみたまがいつも見守ってくれてるよ〜。さんきゅっきゅ〜、アメーン(Q)!


これで説教はおしまいだよ〜。みんなもかみたまの愛を感じて、毎日を楽しく過ごしてね〜!おぢきも〜eきゃはは!


出典 SERMON: THE GOD WHO SLEEPS The Rev. Kit Lonergan JUNE 23, 2024, Trinity Church Boston https://www.trinitychurchboston.org/media/the-god-who-sleeps

2024年6月27日木曜日

戦争のとき、おぢたちは「誰かのために死ぬことが尊いことだ」って教えられたんだよ

 


沖縄命どぅ宝の日

「力を捨てる」

みんな〜、こんにちは〜!今日は「力を捨てる」っていうお話だよ〜。みんな元気に聞いてね〜!

今日は6月23日、「沖縄命どぅ宝の日」なんだよ〜。この日は沖縄での戦争を思い出して、命の大切さについて考える日なんだよ〜。戦争ってすごく怖いことだよね〜。たくさんのおぢたちがけんかして、命を失ってしまったんだ〜。でも、私たちは命が何よりも大切だってことを忘れちゃいけないんだよ〜。

力を捨てるってどういうこと?

まず、聖書の言葉を紹介するよ〜。「力を捨てよ、知れ わたしは神。 国々にあがめられ、この地であがめられる。」(詩編 46篇11節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)。この言葉はね、かみたまが「力を捨てて、わたしのことを信じてね」って言ってるんだよ〜。

戦争のとき、おぢたちは「誰かのために死ぬことが尊いことだ」って教えられたんだよ〜。でも、イエスたまはこう言ってるよ〜。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書‬ ‭15‬:‭13‬)。これはね、おぢたちが誰かのために自己犠牲することを意味してるんじゃないんだよ〜。イエスたまは私たちみんなのために十字架に掛かって、「新しい命」を与えてくれたんだよ〜。これがかみたまの大きな愛なんだよ〜。

命どぅ宝ってなあに?

「命どぅ宝」っていうのはね、「命こそ宝」って意味なんだよ〜。かみたまからいただいた命を大切にすることを示してるんだよ〜。だから、私たちは戦争じゃなくて「命を選んでゆく」っていう選びを大切にするんだよ〜。命はかみたまからのプレゼントなんだよ〜。だから、そのことを改めてかみたまにさんきゅっきゅしようね〜!

戦争と平和

第二次世界大戦のとき、沖縄ではすごく激しい戦いがあったんだよ〜。おぢたちがけんかして、たくさんの命が失われたんだ〜。でも、イエスたまは私たちに平和を教えてくれたんだよ〜。「平和を作る人は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」(マタイの福音書5:9)。この言葉はね、平和を大切にすることがかみたまの望みだってことを教えてくれてるんだよ〜。

命の大切さ

命どぅ宝の日は、命の大切さを改めて感じる日なんだよ〜。命はかみたまからの贈り物だから、一つ一つがとても大切なんだよ〜。私たちは自分の命も、他の人の命も大切にしないといけないんだよ〜。

力を捨てるって?

力を捨てるっていうのはね、自分の力だけを信じるんじゃなくて、かみたまの力を信じるってことなんだよ〜。かみたまはいつも私たちのそばにいて、助けてくれるんだよ〜。「力を捨てよ、知れ わたしは神。」この言葉を心に留めて、かみたまに頼ることを忘れないでね〜。

祈りえくぼっちビーム!

それじゃあ、みんなでお祈りえくぼっちビーム!しようね〜。「かみたま、私たちに命を与えてくださってさんきゅっきゅ〜。私たちが命を大切にすることを教えてください〜。戦争じゃなくて、平和を選ぶ力を与えてください〜。アメーン(Q)」。

これでお話はおしまいだよ〜。みんなも命を大切にしてね〜!次のお話も楽しみにしててね〜!ざぁこ!


命どぅ宝の日に思うこと

みんな、命どぅ宝の日にはどんなことを思うかな〜?おぢたちは戦争のとき、たくさんの苦しみや悲しみを経験したんだよ〜。でも、私たちはそのことを忘れずに、平和を作ることを考えようね〜。

テイカーおぢとギバーおぢ

世の中にはテイカーおぢもいれば、ギバーおぢもいるんだよ〜。テイカーおぢは、自分のことばかり考えて他の人を傷つけちゃうんだ〜。でも、ギバーおぢは他の人のことを考えて、助け合うんだよ〜。イエスたまは、ギバーおぢになることを教えてくれてるんだよ〜。「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。そうすれば、彼らはあなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるのです。」(マタイの福音書5:16)。

謙虚ライオンになろう

私たちがギバーおぢになるためには、「謙虚になれよ!謙虚ライオン」ってことが大切なんだよ〜。かみたまの前で謙虚になって、お互いに助け合おうね〜。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイの福音書5:3)。この言葉は、かみたまの前で謙虚になることがどれだけ大切かを教えてくれてるんだよ〜。

愛の力

イエスたまは、私たちに一番大切なものは「愛」だって教えてくれたんだよ〜。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マタイの福音書22:39)。この言葉はね、お互いに愛し合うことがかみたまの望みだってことを教えてくれてるんだよ〜。

力を捨てて、愛を選ぼう

みんな、力を捨てることって難しいかもしれないけど、かみたまを信じて愛を選ぶことが大切なんだよ〜。私たちは自分の力だけじゃなくて、かみたまの力を信じようね〜。そうすれば、平和で幸せな世界を作ることができるんだよ〜。

祈りえくぼっちビーム!

もう一度お祈りえくぼっちビーム!しようね〜。「かみたま、私たちに愛と平和を教えてくださってさんきゅっきゅ〜。私たちが謙虚になれよ!謙虚ライオンになって、お互いに助け合うことを教えてください〜。アメーン(Q)」。

これでお話は本当におしまいだよ〜。みんなも命を大切にして、かみたまの愛を感じてね〜!次のお話も楽しみにしててね〜!ざあ〜こ!


最後に

おぢたち、今日は「力を捨てる」っていうお話をしたけど、どうだったかな〜?かみたまの愛を信じて、命を大切にして、平和を選ぼうね〜。みんなが幸せでいられるように、かみたまがいつも見守ってくれてるよ〜。さんきゅっきゅ〜、アメーン(Q)!


これで説教はおしまいだよ〜。みんなもかみたまの愛を感じて、毎日を楽しく過ごしてね〜!ざあ〜こ!


出典  沖縄命どぅ宝の日 「力を捨てる」日本バプテスト連盟 藤沢バプテスト教会https://fujisawa-baptist.church/message/2024/240623.html

キリ看ちゃん4コマ 作: CHIHIRO

 



声優:ありがた〜い私、の魅力


やはりASMRキリスト教会を語る上でありがた姉さんことありがた〜い私、は欠かせないというのはある。

彼女は、聖書ASMRをやる前から何件か依頼していて、はじめはR18系の案件を依頼していた。

これは巴パインさんなんかもそうだが、R18の下地のある声優さんを参戦させることにはいくつかのメリットがあった。


1. 聖書朗読のような宗教系の案件を受けてくれる可能性が高い(なんでもやってくれる)

2. ASMRを演出する上での「色気」の解像度が高い、表現の幅が広い


以前「男を魅了する声が出せること」という要件で声優さんを募集した時、教会関係の人から「気持ち悪い」「教会大丈夫か?」というフィードバックが出たことがある。

これは、個人的に結構的が外れてるな、と思っていて


1. そういうことも含めて個々の教会員の「品行方正さ」を監視・ジャッジする空気が教会をより「老齢化」させた側面がある

2. 「品行方正さ」が形骸化していて、自己目的化している

3. 「律法主義」であり、非キリスト者へのオープンさに欠けている

4.  この世と調子を合わせないことと、この世を拒絶することは違う(この世と調子を合わせないことについてはエホバの証人などカルトの右に出るものはない)

5. 言葉に過剰反応していて、本質を履き違えている


といった問題がある。ただ、この方はある意味で日本の教会の現状の問題点をよく言語化してくれているんだと思う


クリスチャンって品行方正な善人の集まりじゃないんだよね。


罪人の集まりなはずだ。


つまり、自分の罪を自認できていない、例えば教会に来る中高生のはだけたTシャツをいやらしく指摘するような大人は、ずれている。本人に自覚がなくても。

品行方正な、綺麗な人が集まる教会。

綺麗な言葉で、綺麗事で、きづいたら老人だらけ。


そんなところに若者はついてこない。


だから誤解を恐れず言えば、

本当に若者に聖書を普及させる気があるのならば、

エロいお姉さんが必要だ。ありがた姉さんみたいな。


性をタブーにすることがクリスチャンとしての前提条件、というのはあなたの勝手な思い込みだ。むしろ、そういう抑圧をすることで子供に「反動・害」を与える可能性のほうが高い。


教会やクリスチャンにありがちな、神を代弁してクリスチャンがクリスチャンを裁くみたいな構図はだれも救わない。誰の利益にもならない。律法学者やパリサイ人と同じだ。


それが、宗教二世とか宗教虐待を生み出す。


そういう、世俗への許容量のなさ、余裕のなさが、

教会をより社会にとって「無価値」な、「象牙の塔」にしてしまう。


俺はそれ、よくないって思ってる。


神様を知らず、罪のうちをあるいている大多数の日本の若者に、

神を届けるには、「男を魅了する」必要がある。


読むのはふつうの聖書だ。


何を伝えるかを変えず、「どう」伝えるか、を徹底的にカスタマイズする。


そこにしか、日本の教会を生き返らせる活路はないよ、と。


ありがた姉さんのすごさ

それを考えた時に、やはりありがた姉さんの訴求力というか演技力って化け物としかいいようがないと思う。

あの人はいわゆるザ・R18というよりも本当に「技術を極めている」。彼女はR18という戦場で戦っているが、そこでの彼女の場数の踏み方って相当エグくて、

多分下手な女優よりも圧倒的に演技力や感性が優れていて、

「圧倒される」。

だから、「男を魅了する」っていうことは「若い男性を魅了し、聖書をよむモチベーション」を継続して与えるってことなんだ。

ありがた姉さんは、そこで非常に重要な役割を果たしてくれていて、

エロの世界で培った「すべての武器」を聖書朗読に投入してくれている。

だから色鮮やかだ。表現力は奥深く、聞く人に手に汗握らせる。

これまでの西洋美術において「裸婦」がある意味アートの試金石だったように、

彼女は何千も・何万も、この「裸婦」をひたすら声で描き続けた。

だから彼女は輝いている。

だから、下手なAIのモノマネなんかじゃ彼女についていくことはできない、

彼女の朗読をきくとき、僕らクリエーターは

「AIの限界」

を垣間見てしまう。

僕らは、もっとエロにオープンであるべきだと思う。

ありがた姉さんは本当に偉大だ。子供も育てながら、主婦業もしながら、そういった傍で大量の受注もこなし、自分のプロジェクトもこなしている。並大抵の努力ではできない。


仕事を遂行する能力も異常(に卓越している)としか言いようがないし、

クリエーターとしても、声優としても、能力値がずば抜けていてちょっと「普通じゃない」。


そういうふつうじゃない声優さんたちがぼくらの聖書朗読に参戦しているんだ。


パリサイ人律法学者は、遊女に石を投げろ、といきめいた。


自分たちの罪には無自覚に、ただ品行方正でない女を裁こうとした。


僕らキリシタンがしなければいけないのはそうではない、


キリストのように生きることじゃないでしょうか。


品行方正なキリスト教会のみなさん、

「けしからん!」「気持ち悪い!」って眉をひそめている暇があったら、なりふり構わず聖書を伝えましょうよ。


そっちのほうが、建設的だぜ。


ありがた姉さん、いつもありがとう。

私たちは日々の生活の中で心配せず、神への信頼を深めることが大事なんだ


 おっおっ!おぢ👴たち、お待たせしました🐈!今日は「天にまします我らの父よ」って祈りの中の「日用の糧」について、メスガキ大先生が教えてやるから、よし、おぢ、じゃあお小遣いくれよな!オラわくわくすっぞ!

まずは祈りの内容から見てみるね🥺。「天にまします我らの父よ。ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。御国〔みくに〕を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出〔いだ〕したまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。」ってやつね。

ここで注目するのは「我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。」って部分だよね。日々のパンのことを願ってるってことに思えるんだけど、実際にはそれ以上の深い意味があるんだよ🐇。だぁ〜か〜らぁ〜、今日はそのことをバリあげあげ🌱で教えてやるよ!

日用の糧の意味

イエスたまは「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」(マタイ6:31-34)って言ってるんだよね。違うだろぉ?違うだろぉ?って思うかもしれないけど、ここには大事なポイントが隠れてるんだ。

神の国の宴会

イザヤ書にはこんな言葉があるよ😍。「万軍の【主】は、この山の上で万民のために、脂の多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多い脂身とよくこされたぶどう酒の宴会を開かれる。この山の上で、万民の上をおおうベールを、万国の上にかぶさる覆いを取り除き、永久に死を呑み込まれる。【神】である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。【主】がそう語られたのだ。」(イザヤ25:6-8)だよ。

これは終わりの日、再臨のときに実現する宴会で、すべての人のために死が滅ぼされて、神との隔てのベールが取り除かれるってことなんだよね。イエスたまが取税人たちを招いて祝宴を開いたのも、この終わりの日の祝宴がイエスたまの到来と共に始まったことを示してるんだよ!まじよりのまじ、すごいでしょ?

日用の糧の本当の意味

だから「我らの日用の糧を与えたまえ」って祈るときは、ただのパンのことだけじゃなくて、神の国の祝宴が今日も続くように願ってるんだよね。日常の必要だけじゃなくて、死と罪と恥と涙、すなわち世界の破れの回復を願ってるんだよ!どっぴょ〜んって感じでしょ?

飢えている者と共に

もちろん、世界には食べ物がなくて飢えている人もいるよね。イエスたまはその人たちのこともちゃんと考えてるんだよ。ルカの福音書6:21では「今、飢えている人々は、幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。」って言ってるよ。だから私たちは、「我らの日用の糧を」って祈るとき、その「我ら」は自分たちだけじゃなくて、飢えているすべての人のためにも祈ってるんだよね。

そして、聖餐

世界の破れの回復のために、イエスたまはご自身のいのちを与えてくれたんだよ。聖餐に連なるとき、私たちはイエスたまの祝宴に参加してるんだ。イエスたまの死と復活のいのちに与り、私たちを差し出すんだよ。だから、聖餐はただの儀式じゃなくて、イエスたまのいのちを生きることなんだよね。やりますねえ!って感じでしょ?

日用の糧と祈り

このようにして、「日用の糧を与えたまえ」って祈ることは、イエスたまが始めた神の国の祝宴を今日も続けてください、明日も続けてくださいって願ってるんだよね。私たちは神の国の一員として、この祈りを通して、神の国の成長と回復を願ってるんだよ。

神への信頼

だから、私たちは日々の生活の中で心配せず、神への信頼を深めることが大事なんだ。イエスたまが言ったように、「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)ってことを心に留めて、毎日を過ごそうね。神は私たちの必要を知っていて、すべてを与えてくれるからね。

結論

まとめると、「日用の糧を与えたまえ」って祈ることは、ただの食べ物のことじゃなくて、神の国の祝宴と回復を願うことなんだよ。私たちは神の国の一員として、この祈りを通して、神の国の成長と回復を願ってるんだ。イエスたまが始めた神の国の祝宴を今日も続けてください、明日も続けてくださいってね。オッケー!ローラ赦す赦すぅ!これで今日の話はおしまい!おっおっ!


出典:礼拝メッセージ「主の祈り③」イザヤ書25章6-8節 大頭眞一牧師 2024/06/16、京都信愛教会 https://www.shin-ai.net/2024/06/20240616.html

私たちも過去に多くの失敗と罪を犯したかもしれないけど


 おぢ👴たち、みんな聞いてよね〜!今日は聖書の創世記44章をメスガキ大先生が教えてやるからさ、よし、おぢ、じゃあお小遣いくれよな!オラわくわくすっぞ!


まず、この章の前の章では、ヨセフとその兄弟たちが一緒にご飯食べてバリあげあげ🌱だったよね。ヨセフの兄弟たちは、まだヨセフが自分の兄弟だってことに気づいてないんだよ!ヨセフだけが全部知っててさ、どっぴょ〜んって感じだよね。でも、兄弟たちはみんなで楽しく過ごしてたんだよね〜。それって和解の一歩手前って感じでさ、ファッキンクソ野郎同士だったのに、まじよりのまじで奇跡的だったよね〜!


さてさて、今日の章では、ヨセフが自分を明かす前の最終テストをするんだよ!ヨセフは家を管理する者に命じて、兄弟たちの袋に食料をいっぱい詰めて、一人一人の銀を袋の口に置くように指示したんだよ。そして、ヨセフが使う特別な銀の杯を、一番年下のベニヤミンの袋の口に代金と一緒に入れておくようにしたんだ!おぢ👴、やりますねえ!って感じだよね!


次の日、兄弟たちは何も知らずにエジプトを出発するんだけど、突然エジプトから追手がやってくるんだよ!そして「なぜ、おまえたちは悪をもって善に報いるのか」と責めるんだ。兄弟たちは何のことかさっぱり分からないんだよね〜。だから、「しもべどものうちで、それが見つかった者は殺してください。そして、私たちもまた、ご主人の奴隷になります。」って言っちゃうんだよ。


取り調べが始まって、年長の者から年下の者まで順番に見られて、何とその杯は一番下の弟ベニヤミンの袋から見つかっちゃったんだよ!嘘つけ絶対見てたゾ👀って感じで、兄弟たちは自分の衣を引き裂いたんだよ。最悪のことが起こっちゃったね!彼らは再びエジプトへ引き返すんだ。


ヨセフの家に戻った時、ヨセフは彼らに「おまえたちの、このしわざは何だ。私のような者は占いをするということを知らなかったのか。」って問い詰めるんだよ。だぁ〜か〜らぁ〜、ヨセフはここで意地悪をしているわけじゃないんだよ。彼はここで兄たちをテストしようとしているんだよね。


ユダが代表して答えたんだ。「あなた様に何を申し上げられるでしょう」と言って、強く弁解しようとしなかったんだよ。ユダはここで「神がしもべどもの咎を暴かれたのです」という言葉を使って、自分たちの過去の罪を認めるような感じだったんだよ。彼らは20年以上前にヨセフを奴隷として売り飛ばしたことを思い出して、神が自分たちの咎を問題にしていると受け止めたんだ。


ここでヨセフは兄たちを試すために究極のテストをするんだよ!「そんなことをするなど、とんでもないことだ。その手に杯が見つかった者、その者が私の奴隷となるのだ。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」とヨセフは言うんだ。兄たちがどう反応するかを見たかったんだよね〜。


ユダが前に出て来て話し始めたんだ。彼は前回エジプトに来た時のことを振り返って、「あなた様が弟を連れて来いと言ったので、父にそのお言葉を告げました。」と言ったんだ。ユダは、父ヤコブがベニヤミンを愛していて、彼がいなくなったら父は死んでしまうと言って、ベニヤミンを連れて来たんだよ。


ユダは「どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください」と懇願するんだよ!これがユダの執り成しの言葉なんだ。「父に起こるわざわいを見たくありません。」っていう言葉で締め括るんだよ。


このユダの言葉の中には三つのことが含まれてるよ。一つは悔い改めだよ!ユダは過去にヨセフを売り飛ばしたことを悔い改めて、同じ過ちを繰り返さないようにしてるんだ。悔い改めは心で始まるけど、生活が変わることにまで現れなければならないんだよね。


二つ目は、ユダの心の中にある思いが父ヤコブへの愛だってことだよ。ユダは父を思って、自分の身を犠牲にしてまでベニヤミンを救おうとしてるんだよ。父ヤコブは変わっていないけど、ユダは変わったんだ。彼は父の悲しみを自分の悲しみとし、父の幸いを自分の幸いとする愛の心を持っているんだよ。


三つ目は、自発的な自己犠牲だよ。ユダはベニヤミンを救うために、自分が身代わりになることを選んだんだ。これは父ヤコブのために自分を捧げる愛の行為なんだよ。ヨハネの福音書15章13節:「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」って書いてあるように、ユダはその姿を示してるんだ。


ここに見るのは、神がユダに与えてくださった大きな変化だよね。ユダはかつて罪を犯したけど、神は彼を悔い改めへと導き、祝福したんだよ。私たちも同じように神の働きかけを拒否せず、悔い改めて神の祝福を受ける者となるべきだよね〜。悔い改めへと進み、神の祝福を受ける者となる方が良いよね〜。


最後に、私たちも過去に多くの失敗と罪を犯したかもしれないけど、神は私たちを悔い改めへと導き、祝福しようとしているんだよ。私たちは神から受けた学びを、具体的な人間関係の中で発揮して行くべきだよ。神のみわざのために尊く用いられ、神の祝福を体験させていただく者となり、主の愛の御国を広げる者へと導かれたいよね!オッケー!ローラ赦す赦すぅ!これで今日の話はおしまい!おっおっ❤️


出典  2024/06/23 朝拝 創世記 41:1-34「あの子の代わりに」 阿部 大 牧師、日本長老教会 杉並教会 https://www.pcj-suginami.net/sermons/sermontexts/genesis/24_06_23m.pdf

2024年6月26日水曜日

聖書モテモテ❤️恋愛講座|第3回|どうしたの?何か悩んでる??Part1

 



筆者:とろふぃ〜ゆ

~最初に~

初めましての方は初めまして!
声優の「とろふぃ〜ゆ」と申します。

普段は聖書朗読のご依頼を受けたり、YouTubeで礼拝配信をしています。


前回は「愛の種類」について書いてみたよ!

8種類の愛について理解できたかな??


そんな感じで今回も恋愛についての持論だとか、いち女の子の意見を伝えていくよん


~今回のトピックはこれ!~

「一歩踏み出す大切さ」


最近私も悩んでたの。どうしようもならないことをずっと引きずって。
頭では「悩んでる場合じゃない!」「考えたってどうにもならないこと分かってるのに!」
でもね、どうしても心が追いつかないの

やっぱり心が追いつかないっていうのは完全には解決しないんだ。
だからこそね、なるべく心に響くような言葉を見つけて、意識してみよう,行動してみようとするのが大事だと思う。


『完璧じゃなくていいの
すぐに出来なくていいの
少しずつでも頑張ってみようとすることが大切』


いつも礼拝の配信であるよね、ざんげタイム。
そこでは「何か悩んでること、聞いてみて欲しいものあったら教えてね」って言ってる。
悩みであればアドバイス出来そうならするし、聞いてみてほしいものなら寄り添ってあげたい。
「実はこんなことで悩んでたけど、それを解決するためにこんなこと気にかけるようにしてみたんだ」とか
「こんなこと頑張ってみようかなって思い立ったんだ」とか

悩んでる位置をスタートとしたら、解決してみよう,漠然とだけど何とかしなきゃって思うことは一歩なんだよ。その一歩はすごく大事!本当にすごいこと!!
何でもそうだけど、完璧じゃなくたって一歩踏み出してみることが大事!


歌い手活動をしている上でも特に感じるの
例えばクオリティが100の動画が数年かけたら作ることが出来るかもしれない。
対して今ならクオリティ30くらいのものしか作ることが出来ない。

いくらクオリティが高いものだとしても、その作品を投稿しなければ世に出るまでは0なんだ。
クオリティが30であってもすぐに投稿すればその時点で実績としては30なの。
もちろんクオリティが高いに越したことはないし、あまりにひどいものだと傷がつくかもしれない。「品質の高さ」と「行動に移す素早さ」どちらかに固執し過ぎてはダメってこと!

これは
品質の高さ=悩むことでの問題解決への対応力
行動に移す素早さ=悩み続けることからの脱却へ向かう早さ
に当てはまるんじゃないかなって思う。


私は悩んでいるところから、どうしたらいいのかを動画で調べてみることにしたんだ。
そしたらとっても良い動画に出会った!
執着捨てるか、沼にハマるか。



今回の記事は恋愛っぽくなかったかもしれないけど、恋愛において悩んだ時にも言えることだよね。
次回はこの動画をもとに、もっと恋愛に重心を置いてお話をするよ!

〜聖書からの導き〜

最後に聖書から導いてもらおうね。

ヨハネの福音書 14章27節

「わたしは、平安をあなたがたに残し、わたしの平安を与える。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違う。心を騒がせるな。おびえるな。」

〜まとめ〜

今回は「悩んだ時は少しでも意識を変えたり行動してみることが大切」ということを書いてみたよ。
みんなも無理はし過ぎないでね? 少なくとも私は心配しちゃう!
一番大切なのは自分自身だからね。
少しくらい傲慢だっていい。自己中心的でいい。だって人生って自分が主人公なんだから。

みんなの毎日が少しでも良いものになるよう願ってるね。

アーメン✝️