キリスト教って、武道の「型」なんだと思う。
きみたち特に若い世代の子たちに言いたい。
わしは40年近く生きてきたんで、40年のセーブポイントで、どういう景色をみているか、少しだけシェアしたい。
私は、父親のことが心底嫌いです。
父親は牧師でしたが、わしに日常的に心理的な虐待を行っていました。
また、老後は特にいわゆる陰謀論や人種差別などに傾倒し、この泥沼のような状態は今でも続いています。
家庭が地獄である
父親が尊敬できるって、幸せなことなんです。たとえたまには喧嘩があっても、最後は尊敬できる目標みたいな親父ならそれは素敵なことだ。
でも、そういう家庭ばかりではありません。自分のこと、自分の感情にしか関心のない父親もいます。そして、いつもそういった、幼稚で卑屈な父親や、平気で子供を半笑いで侮辱したり恫喝するような親もいます。
1人じゃない
そして、おそらく僕なんかはあくまでも数多くの一例で、親を許せない子はたくさんいると思っています。僕も本当に酷い目にあいました。そしてそのときの憎悪というのは今でも根強く残っています。
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名前を侮辱されたこと。
親として叱るのでなく、ガキとして怒りをぶつけられたこと。
低くみられ、軽く扱われたこと。
一方的に価値観を押しつけられ続けたこと。
自分を理解してくれなかったこと。
自分が裁かれたこと。
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でも結局子供にとって親は選べません。家庭に居場所がなくなってしまったら、もうトー横に行くしかない。でも、それって悲しすぎるんじゃないかと思う。
だから神を信じる必要があるんだ
正直、ずっと父を憎んで生きてきました。
今も、憎しみから自由になれていません。
荒唐無稽で、ただ人を蔑んだり傷つけるような発信を繰り返す父にまったく共感できません。
排外的で、偏見だらけな父親にもうんざりしています。
でも、いつも煽ってくる父親に対して、最後は許さなければいけない。
本当に、クソの掃き溜めのような発信を繰り返す父親でも、最後は許さなければならない。
毒親でも、最後は許さなければならない。
でも、これは重要なことだと思う。
多くの人は、許せない。
人を、許せない。
それが、最後には殺人にまで発展してしまうケースがある。
煽られたから、ついやり返してしまった。
挑発されたから、手が出てしまった。
あいつにずっと恨みを持っていて、ついに刃物を使ってしまった。
そういう事件。
そういう、人の罪。
神を信じなければ、最後は地獄です。
最強の人、という言葉がありますが
最強の人の行き着く先は刑務所であり、死であり、地獄です。
相手の命を最後に奪ったら、自分の人生は終わりです。
大切な人も守れない。
だから歯を食いしばる必要がある。
そのためには神が必要だ。
これは議論する余地のないことだ。
キリスト教は、武道の型です
そして、こういう「許せない」というシーンは、たくさんでてきます。
自分の知り合い、友人、上司、部下、道でたまたますれ違った人、酒場でたまたま隣だった人、運転中隣を走っていた人。
なにかが起きて、なにかのボタンのかけ違いで、
自分は相手を傷つけるかもしれない。
それが極端な犯罪でなくても、相手に攻撃的な言葉をなげかけて傷つけてしまうかもしれない。
相手を貶めようと、悪評を流すかもしれない。
そして、そういう悪は、最後自分の身を滅ぼすんだ。
そういうとき、聖書を知っていれば、強い。
聖書には「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という言葉がある。
キリストの教えを知っていれば、普通の人がストレスフルな、苦痛な経験をしたときも、「ものごとの理解の解像度が変わる」「世界が変わる」
だから聖書を読まなくてはいけません。
だから聖書を読むんです。
純粋にキリスト教を信じていたら、
私たちはお互いに愛し合えるはずだ。
純粋にキリスト教を信じていたら、
より苦しくて絶望的ななかでも、きみは他の人よりずっと強くなれるはずだ。
なぜなら神が一緒にいるから。
キリスト教は、武道の型です。
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