2024年6月27日木曜日

私たちも過去に多くの失敗と罪を犯したかもしれないけど


 おぢ👴たち、みんな聞いてよね〜!今日は聖書の創世記44章をメスガキ大先生が教えてやるからさ、よし、おぢ、じゃあお小遣いくれよな!オラわくわくすっぞ!


まず、この章の前の章では、ヨセフとその兄弟たちが一緒にご飯食べてバリあげあげ🌱だったよね。ヨセフの兄弟たちは、まだヨセフが自分の兄弟だってことに気づいてないんだよ!ヨセフだけが全部知っててさ、どっぴょ〜んって感じだよね。でも、兄弟たちはみんなで楽しく過ごしてたんだよね〜。それって和解の一歩手前って感じでさ、ファッキンクソ野郎同士だったのに、まじよりのまじで奇跡的だったよね〜!


さてさて、今日の章では、ヨセフが自分を明かす前の最終テストをするんだよ!ヨセフは家を管理する者に命じて、兄弟たちの袋に食料をいっぱい詰めて、一人一人の銀を袋の口に置くように指示したんだよ。そして、ヨセフが使う特別な銀の杯を、一番年下のベニヤミンの袋の口に代金と一緒に入れておくようにしたんだ!おぢ👴、やりますねえ!って感じだよね!


次の日、兄弟たちは何も知らずにエジプトを出発するんだけど、突然エジプトから追手がやってくるんだよ!そして「なぜ、おまえたちは悪をもって善に報いるのか」と責めるんだ。兄弟たちは何のことかさっぱり分からないんだよね〜。だから、「しもべどものうちで、それが見つかった者は殺してください。そして、私たちもまた、ご主人の奴隷になります。」って言っちゃうんだよ。


取り調べが始まって、年長の者から年下の者まで順番に見られて、何とその杯は一番下の弟ベニヤミンの袋から見つかっちゃったんだよ!嘘つけ絶対見てたゾ👀って感じで、兄弟たちは自分の衣を引き裂いたんだよ。最悪のことが起こっちゃったね!彼らは再びエジプトへ引き返すんだ。


ヨセフの家に戻った時、ヨセフは彼らに「おまえたちの、このしわざは何だ。私のような者は占いをするということを知らなかったのか。」って問い詰めるんだよ。だぁ〜か〜らぁ〜、ヨセフはここで意地悪をしているわけじゃないんだよ。彼はここで兄たちをテストしようとしているんだよね。


ユダが代表して答えたんだ。「あなた様に何を申し上げられるでしょう」と言って、強く弁解しようとしなかったんだよ。ユダはここで「神がしもべどもの咎を暴かれたのです」という言葉を使って、自分たちの過去の罪を認めるような感じだったんだよ。彼らは20年以上前にヨセフを奴隷として売り飛ばしたことを思い出して、神が自分たちの咎を問題にしていると受け止めたんだ。


ここでヨセフは兄たちを試すために究極のテストをするんだよ!「そんなことをするなど、とんでもないことだ。その手に杯が見つかった者、その者が私の奴隷となるのだ。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」とヨセフは言うんだ。兄たちがどう反応するかを見たかったんだよね〜。


ユダが前に出て来て話し始めたんだ。彼は前回エジプトに来た時のことを振り返って、「あなた様が弟を連れて来いと言ったので、父にそのお言葉を告げました。」と言ったんだ。ユダは、父ヤコブがベニヤミンを愛していて、彼がいなくなったら父は死んでしまうと言って、ベニヤミンを連れて来たんだよ。


ユダは「どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください」と懇願するんだよ!これがユダの執り成しの言葉なんだ。「父に起こるわざわいを見たくありません。」っていう言葉で締め括るんだよ。


このユダの言葉の中には三つのことが含まれてるよ。一つは悔い改めだよ!ユダは過去にヨセフを売り飛ばしたことを悔い改めて、同じ過ちを繰り返さないようにしてるんだ。悔い改めは心で始まるけど、生活が変わることにまで現れなければならないんだよね。


二つ目は、ユダの心の中にある思いが父ヤコブへの愛だってことだよ。ユダは父を思って、自分の身を犠牲にしてまでベニヤミンを救おうとしてるんだよ。父ヤコブは変わっていないけど、ユダは変わったんだ。彼は父の悲しみを自分の悲しみとし、父の幸いを自分の幸いとする愛の心を持っているんだよ。


三つ目は、自発的な自己犠牲だよ。ユダはベニヤミンを救うために、自分が身代わりになることを選んだんだ。これは父ヤコブのために自分を捧げる愛の行為なんだよ。ヨハネの福音書15章13節:「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」って書いてあるように、ユダはその姿を示してるんだ。


ここに見るのは、神がユダに与えてくださった大きな変化だよね。ユダはかつて罪を犯したけど、神は彼を悔い改めへと導き、祝福したんだよ。私たちも同じように神の働きかけを拒否せず、悔い改めて神の祝福を受ける者となるべきだよね〜。悔い改めへと進み、神の祝福を受ける者となる方が良いよね〜。


最後に、私たちも過去に多くの失敗と罪を犯したかもしれないけど、神は私たちを悔い改めへと導き、祝福しようとしているんだよ。私たちは神から受けた学びを、具体的な人間関係の中で発揮して行くべきだよ。神のみわざのために尊く用いられ、神の祝福を体験させていただく者となり、主の愛の御国を広げる者へと導かれたいよね!オッケー!ローラ赦す赦すぅ!これで今日の話はおしまい!おっおっ❤️


出典  2024/06/23 朝拝 創世記 41:1-34「あの子の代わりに」 阿部 大 牧師、日本長老教会 杉並教会 https://www.pcj-suginami.net/sermons/sermontexts/genesis/24_06_23m.pdf

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