2024年6月14日金曜日
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2024年6月12日水曜日
パパって、しつこくお願いされたら聞いてくれるんだから。
みんなー、今日はすっごく面白い話を聞かせてあげるよ!ざぁこもおじさんも集まって、よーく聞いてね!今日はイエス様が教えてくれた「しつこい未亡人のたとえ話」っていう話をするんだ。ちょっとびっくりするかもしれないけど、最後まで聞いてね。
イエス様のたとえ話
イエス様はよく「たとえ話」っていうのを使って、みんなに大切なことを教えてくれるんだ。でもね、たとえ話はちょっとわかりにくいことが多いんだよ。でも、それがイエス様の狙いなんだって。もっと深く考えて、神様のことをもっと知るためにね。
しつこい未亡人と不正な裁判官
今日の話はルカの福音書18章にある「しつこい未亡人のたとえ話」だよ。イエス様は弟子たちに「いつも祈って、希望を失わないように」って教えるためにこの話をしたんだ。
未亡人っていうのは旦那さんが亡くなっちゃった女性のことなんだけど、その未亡人がある町の裁判官に何度も「正義を求めて」お願いしに行くんだ。でも、その裁判官は全然神様を恐れないし、人のことも気にしないような悪い人だったんだよ。だから最初は未亡人のお願いを無視してたんだ。でも、未亡人が何度も何度もしつこくお願いするもんだから、裁判官も「もううるさいから仕方ない、彼女の願いを聞いてあげよう」ってなったんだよ。
神様の教え
イエス様はこの話を通して、「悪い裁判官でさえ、しつこくお願いされたら聞いてくれるんだから、神様はもっともっと良いことをしてくれるよ」って教えてくれたんだ。ルカ18:7-8にはこう書いてあるよ。「神様は選ばれた人々に正義を与え、早くその願いを叶えてくれる。でも、人の子が来るとき、地上に信仰を見つけることができるだろうか?」ってね。
希望を持つこと
イエス様が教えてくれたこの話からわかるのは、私たちがどんなに困っていても、希望を持って祈り続けることが大事だってことだよ。未亡人みたいに、あきらめずに神様にお願いし続けるんだ。
聖書の教え
神様はね、いつも私たちのことを見てくれているんだ。例えば、詩篇68:5-6にはこう書いてあるよ。「神様は孤児の父であり、未亡人の守護者だ。神様は一人ぼっちの人を家庭に迎え、囚われている人を自由にする」ってね。だから、みんながどんなに困っていても、神様に頼れば大丈夫なんだ。
神様への祈り
みんなも、何か困ったことがあったら、神様に祈ってみてね。神様はいつでもみんなのことを聞いてくれているから。例えば、お友達とケンカしちゃったときとか、おもちゃが壊れちゃったときとか、何でもいいんだよ。神様にお願いすれば、必ず助けてくれるからね。
みんなへのメッセージ
みんなも、今日からは神様に希望を持って祈ってみようね。未亡人みたいにあきらめずに、しつこく祈ってみよう。神様は絶対にみんなのことを見てくれているし、助けてくれるからね。おじさんたちもざぁこたちも、みんな一緒に神様に頼って、もっともっと素敵な毎日を過ごそうね。
ばぁか、今日の話を聞いてくれてありがとう!これからも神様の話をいっぱいしようね。神様はみんなのことをいつも見てくれているし、助けてくれるから安心してね。じゃあ、またね!
出典 "The Greatest Stories Ever Told: How Not To Lose Heart" Luke 18:1 - 18:14 August 27, 2023 Reverend Chris Hildebrand https://centralchurchnyc.org/sermons/detail/1798
声優:雨音いろみずの魅力
雨音さんを知ったのは2023年の9月。弊社は聖書という膨大なテキストを声優さんにかわいく読み上げてもらう必要があったため(セクシーな読み上げ、という要件は一部キリスト教界隈からは結構ボコボコに叩かれたが)、コスト的な観点から工夫する必要があった。(破産するので)
ここでiikoeでリーズナブルな価格で全年齢で活動してくださっていた雨音いろみずさんに出会う。
1番はじめに依頼したときは正直そこまで成果物にいい感触はなかった。というのは、録音環境でノイズが多く、商品とするにはちょっと課題があった。
これは他の声優さんにも言えることだが、成果物のノイズには2つある
1. 元々の録音時点での音のクオリティ(ノイズ)
2. 録音後の音声ファイルのノイズ処理
聖書ASMRでは 2. については声優さんに求めていない。むしろ2. のノイズ処理は必要ないと思っている。これはありがた姉さんも言っていたことだが、あまりノイズ処理をしすぎると音がチープになるためだ。
だが、1. は最低要件である。ここのクオリティがクリアできていないと、継続して以来を躊躇することが、発注者としてはある。
当方の場合ゴリゴリのキリスト教と、かつ既婚者であり・・・概要欄やSNSなどでプロレス・演出的な意味合いで「声優さんだ〜いしゅき!ちゅっちゅ」みたいなことはよく書くが、原則わたしが声優さんに個人的な恋愛感情をもつことはない。(経営者やし、腐ってもキリシタンやし・・・)
「成果物」がいいかどうか、「結果が出ているかどうか」、が1番だいじだ。むしろそれしか評価基準はない。わたしは経営者であり、事業者なので、取引をしたいのは、プロとしてしっかりしているか、才能がずばぬけた人。(両方だとなおよし)
1事業者の発注者として、わたしが「金を継続して出したいな」と思うモチベーションは、以下だ(全部を満たす必要はない)
1. 成果物のクオリティが一定要件を満たしている(音質が許容範囲内)
2. 声が男性視聴者にとって魅力的である
3. 視聴者からのフィードバックがよい(人気がある)
4. 社会的信用値が高い(SNSのフォロワーが多い、他の活動で知名度や実績がある)
5. 対応が社会人として常識的である(ささいな変更要求を拒絶しない、コミュニケーションしやすい、無礼でない、レスポンスが遅すぎない)
6. 納期に遅れない
7. 相手の意図を汲み取ったり自分で考える力がある、主体的である
もう少し簡潔にいうと
1. 成果物のクオリティがよい
2. 本人に広告価値がある
3. 納期を守る(守れなくなりそうな場合きちんと前もって連絡する)
4. 仕事のクオリティが高い(コミュニケーション含む)
で、
ここで、雨音いろみずさんは私の中で聖書ASMRの中でもかなりトップの声優として認識を改めることになる。すなわち
音質の改善
成果物の音質がドラマチックに改善した。
これなら商品として間違いない。がんばって録音環境にきっちり投資したんだな、と理解できる。非常に好印象。継続して依頼したい、とおもえる
演技の大幅な進歩
聖書案件を振った時も、演技のギアの入れ方が非常に豊かで、おもしろい。多くわたしが発注しても「破棄してしまっている」音声のなかには、「ただ、オーディオブックのように棒読みしている」ものが少なくない。
この人の場合、きちんと「ギア」を、まるでマニュアル車の運転のように細かく微細にきりわけていく。表現力が高い。
演技力
雨音いろみずのまとめ
自己防衛おじさんの炎上について、思うこと
事の発端となったのは自己防衛おじさんでお馴染みの橋本鉄平氏が、人身事故時に非常ドアを開けてはならない、というアナウンスがあったにも関わらず開けてしまった、しかもそれをSNSで得意げに話した・・・ということにはじまる
https://x.com/tpyclub/status/1800675659506991209
管理人的にいうと、まああかんよな、我慢しようぜ
になるのだが、それよりも炎上の仕方というかリプライやQTの傾向などに妙な違和感を覚えた
「自己防衛おじさん」じゃなくて「自己中心おじさん」
まあ滝沢ガレソ氏がそのようなキャッチフレーズで紹介したというのもあるが、多くのアカウントが異口同音に、まるでコピペかインプレゾンビかのようにこの単語の入ったリプライを返していたことだ。
これの何を懸念しているかというと、彼らが「自分の言葉をもっていない」ということである
まず例え特定の個人が規則を破り、多数に迷惑を結果としてかけたとしても、まずそれはそこにいた当事者であればいざしらず、自分とは利害関係のない相手である。
無論、そういうことを許容してしまうということは結果として社会を混乱させ、結果として社会が悪くなる、という観点はわかる
ただし、画一的すぎるのである
無論今回の自己防衛おじさんの行為は実際問題、自己中心的であったと言える。
だが、だれかがすでにもう述べている言葉を、まるで土管のようにコピペしてリプライする、そしてそれによっておそらくは社会的な悪に有形力を行使したかのようなカタルシスを得る、そういった人としての「薄さ」、「中身のなさ」といったもの。(揶揄しているわけではない)
つまり自分でものを考える、思考していく、思考の中でいろいろ葛藤していく、自分の言葉をもっている、
そういった人間が比較的(特に下のレイヤーには)少なく、またそういった文化的土壌も乏しいのではないか・・・と考えたのであった。
滝沢氏がもてはやされていることからもわかるが、日本のSNS空間の現状として
「ここ掘れわんわん、ここ殴れわんわん」
というこう画一された、没個性的な、鬱屈した人間の醜悪さ、を私は感じている。
むろんマクロとしてそうなんじゃないか、というあくまでも憶測の域を出ないし、そうでない人も一部見受けられたが、やはり印象としてはそう感じる。
この「土管」のようなメンタリティがどうして危険か、というとそれは個人としての価値観とか思想体系がなく、あるのは相互監視を本質とした規律道徳、そしてその共通合意や黙契を破ったものへの「有形力の行使」を通してのカタルシス、またそれを助長するSNS、といった構造上の問題がある。
こういった人間の類型を、ここでは「土管人間」とよぶ。
ナチスドイツでアイヒマン?の分析をハンナアレントがやっていて、その「凡庸性」「自我の薄さ」「中身のなさ」といったものを列挙していて、これって日本人にも(というと実際は主語大きいんだけどね)当てはまるんじゃないか、と思ったのだ。
自我があれば、自分で考え、自分で思考し、自分で判断する、ということがあれば誰もがロボットみたいに誰かがすでに呟いたことを繰り返すことはない。
みんなが「こいつけしからん!リンチしようぜ!だってこいつはXXXXだから」という空気になったら、自分も「よし!リンチしよう、だってこいつはXXXXだから」になることはない。
これは黒板の板書をひたすら書き写す教育の産物かもしれないが。
でもそれってただの土管なんだ。それを中道って自称する人がいるんだけど。
つまり本質としては土管人間である。土管であるがゆえに強烈なアジテーションやプロパガンダというものに露出してしまうと過度の傾倒・盲信をしてイデオロギーの泥沼にハマっていく傾向がある(反ワクチン・老人のネット右翼化・全共闘・その他)。
イデオロギー的になるということのうちでも、一部の学生運動や政治セクトのような全体として「グロテスクな中身のなさ」「ゆえの、極端な党派性」というのは、それがある意味で残虐さを帯びて集団リンチやテロを引き起こした。(無論、学生運動ぜんぶが悪い、といいたいわけではない。そこまでは当方ではわからない)
この「グロテスクな中身のなさ」は、自分自身を持っていないこと、ゆえに「公的」概念を振り翳して「村の掟に背いたもの」への有形力の行使を通じて「自分を肯定し」「仲間と連帯感を強める」こと、
これが外国人差別などにも通じているような気がしている。
価値観のコアなところが抜けていると、やはりアジテーションに染まりやすいわけで、それを「自分は中道」などと錯覚しやすいわけで、
でも本当の意味での知性は、やはり
「一歩引くこと」
つまり「自分の言葉をもつこと」
「自分の価値観をもつこと」
なんじゃないかな、などと感じる今日この頃なのである
わたしが聖書ASMRを継続し、それがときたまバズった後に、
ゲームとかAV、その他でキリスト教的なパロールの類似のキャッチフレーズを使っている例を散見したが、そういった広告を打つ側の主体が、
驚くくらいに人間が「薄っぺらい」
というのをわりと深刻に感じた。彼らは「与えられた思想体系のエッセンスを学習することができない」一方で、「上澄をファッションとして劣化させて使い回す」(ゆえに、神をふざけた偶像にすげかえて、キリスト看板のモチーフは踏襲する、など)
これが、日本にキリスト教が定着しない大きな理由だと思われる
まあそんなこんなで。もちろん筆者がそういう「土管」な人たちを馬鹿にしたいとか、下げたいわけではなく、
だからそういう人こそ
「聖書」とか「神」
必要だよねって話。
ただ、村の掟があって、それを破った人間に石を投げて村八分にして、正義感を満足させるみたいな、そういう次元の、もう一つ向こうに行こうぜ。っていう。
「こいつ気に入らねー!」じゃなくて、「こいつもまた、神は愛す」に変えていこう。
聖書を本当にきちんと読むと、自分の価値観の土台が、できるんです
きちんと、読めばね。
まあそんなかんじで
最後までよんでくださってありがとうございました。まああくまでも個人のおっさんが好き勝手喋ってるだけなんで、あんまり怒んないでね!
よろぴこ(全裸)
2024年6月11日火曜日
神は、そのひとり子を賜ったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
愛を分かち合おう!
おっす、みんな!今日はとっても大事なお話をするよ。みんな知ってる?神様が私たちにどれだけ愛してくれてるか。今日はその愛をみんなで分かち合う方法についてお話しするね。
フィリピンのタヤタイへの任命
まずは、すごく感謝してることから始めるね。教皇フランシスコが私に、フィリピンのパラワンにあるタヤタイという場所の教会を任せてくれたんだよ。そこはとっても若い教会で、たった19年しか経ってないんだ。でもね、物資が少なくて、すごく貧しい場所なんだ。それに、山や海を越えて行かなきゃならないから、ちょっと大変なんだよ。
でもね、私、この場所で神様のために働けることにすっごく感謝してるんだ。貧しい人たちと一緒に生活して、彼らと同じように生きるんだよ。神様はマニラにもいるけど、パラワンの北にもちゃんといるんだよ。
マニラでの思い出
マニラでもみんなに感謝してるよ。最初に来た時は全然知らない場所だったけど、みんなが私を受け入れてくれたんだ。今ではもう全然知らない人じゃなくて、みんなの兄弟みたいな感じなんだよ。たくさんの経験をして、たくさんのことを学んだんだ。
新しい場所への期待
新しい場所で働くのはちょっとドキドキするけど、神様が一緒にいてくれるから大丈夫だよ。カーディナル・ロサレスさんやカーディナル・タグレさんにも感謝してるよ。彼らと一緒に働けたことはとても貴重な経験だったんだ。
パラワンに行ったら、自然の美しさと人々のシンプルな信仰を感じることができるんだよ。だから、みんなもぜひ訪れてみてね。
聖ヨセフに祈りを捧げる
タヤタイの守護聖人は聖ヨセフだよ。彼に守ってもらえるように祈るんだ。神様の導きと保護を信じて、新しい場所での仕事を頑張るんだよ。
聖書からの引用
聖書の中には、たくさんの愛についての教えがあるんだよ。たとえば、ヨハネによる福音書3:16にはこう書いてあるよ:
「神は、そのひとり子を賜ったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
これは、神様が私たちをどれだけ愛してくれているかを教えてくれてるんだよ。だから、私たちもその愛を分かち合うんだよ。
まとめ
みんな、愛を分かち合おうね。小さなことから始めても、大きな違いを作れるんだよ。神様の愛を信じて、みんなで助け合おうね。じゃあ、今日も頑張っていこう!バイバイ!
(+ ホセ・F・カーディナル・アドビンクラ署名)
出典 Message of Manila Auxiliary Bishop Broderick S. Pabillo for his appointment as Vicar Apostolic of Taytay, Province of Palawan https://rcam.org/message-of-manila-auxiliary-bishop-broderick-s-pabillo-for-his-appointment-as-vicar-apostolic-of-taytay-province-of-palawan/



