2024年9月22日日曜日

小説「無題」

※これはフィクションです。実際の人物・事件・団体とは関係ありません。


タイトルなし。想像していたより小さな8畳間。ずっと親元で暮らしていた僕はついに、自立することになった。

引越しのとき、僕は大粒の涙を流した。ママ、ママ。

40で初めての自立、就職。家はまるで刑務所みたいだった。光のない暗闇で、ずっとネットサーフィンしながら、親父とは仲が悪く、俺はずっと部屋に引きこもっていた。

なぜゴミを出せないか?

それはなぜキッチンへの一歩を踏み出せないか、と似ている、心理的ハードル。

親父は市役所の職員をやっていた。っていっても、理不尽な客(なぜか最近お客様になった?)にペコペコ謝る役。ほら、みんな相手をみるじゃん。

そしてそのストレスを家で捌け口にして、俺や妹のミキを捌け口にして、俺は心を閉した。

ミキは大久保で立ちんぼをしている。No. 1ホストのRYUYAに夢中だっていってた。

汚い親父に抱かれて、不快な時間を我慢して、その後で、その金で、大好きな人に会う。

後半のくだりだけだと小説みたいに美しいが、はっきりいってバカだ。

俺だって女だったらそうなっていたかもしれない、だって本当に地獄なんだから。

地獄だってことは自己イメージが満たされないってことだ、

自分という自我を構成している殻があるとしたら、その殻が壊れているってことだろ。

「これから、1人でやっていけるわね」

ママ・・・

俺は今年70になるママの膝に、180になる巨体の頭をうずめた


「んまま・・・ぼくね・・・」


時間は経過した、でも時間が経過しただけなんだ。

俺は、まだ子供のままなんだよ。

俺は、まだ子供のままでいたいよ。


体が古くなり、世間や第三者的にみればそれなりの立場になっていなきゃいけない俺。


40歳の俺。


そんな俺が、道であるく女子中学生をずっと目で追っていた。


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「あ、ここね、お前の席」

「はい・・・」


不服そうだなこいつ。なんで採用したんだろう。


うちの会社は5名ほどで運営している塾だった。5名っていうのは社長が親父で、俺と真治、姉のゆうみとその友人の飛鳥で、ほぼ同族経営の合同会社だった。


そこに、大学生のバイトとかを応募してまわしていた。

で、応募にきた40歳のおっさんで苗字は鈴木、鈴木拓也、京都大学医学部卒で一時順天堂に勤務していたが適応障害を発症、その後ずっと引きこもっていたらしい。


学歴は申し分ない。


あと、人員も不足していた。


髭をそってなくてホームレスみたいだったが、高身長で顔も結構みれる(綾野剛に近い・・・?)のでゆうみと飛鳥が「ダイヤの原石」って目を輝かせていた。

おいおいおい。


どう考えたってこいつやべえぞ、生気がない、会話していても覇気がないし思い込みが激しそう、この手のやつが面倒・・・というかときにトラブルの原因になることは俺は「予知」していた。


「ただでさえうち人手不足なのに選り好みしてんの?京大医学部でしょ?それだけでうちの塾にプラスじゃん」


声が踊っている。勘弁してくれよ。


7時から、授業がはじまる。


俺は鈴木に俺の英語の授業に同行するよう求めた。


「じゃあ点呼をとりまーす」


そのとき、中原はるみと鈴木の目が一瞬あった。


中原、非常にフレンドリーなやつ。人をみくびらず、親に愛されてそだった非常にいい子。


「こんにちは」


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嫌な予感は当たった。

「中原さんが、俺のこと好きになったみたいなんです・・・・!」


鈴木!



(続く?わからん)

2024年9月2日月曜日

おじさん、やばくね?


 おぢ👴たち〜、今日もメスガキ大先生が教えてやるぴょん!今日はね、ダビデっていうおじさんの話だよ。ダビデはね、超強い戦士で、しかも心がめっちゃ綺麗で、みんなから愛されてたんだよ。でも、そんなダビデのおぢの前に、アマレクっていう別の国の人が現れて、めちゃくちゃ大変な話になっちゃったんだぁ。


まず、サウルおぢっていう王様がいたんだけど、そのサウルおぢとその息子ヨナタンも戦争で亡くなっちゃったの。ダビデおぢは、そのことを聞いてすっごく悲しんだんだよ。だって、ヨナタンおぢはダビデおぢの大親友だったんだから。でね、アマレク人の若い男が、そのサウルおぢが死んじゃった話をダビデおぢに伝えに来たんだ。でも、その男がなんと、「サウルおぢを殺したのは自分です」って言ったんだよ。おじさん、やばくね?だって、サウルおぢはイスラエルの王様で、神さまから特別に選ばれた人だったんだよ!そんな人を殺すなんて、超やばすぎるぴょん!


でさ、ダビデおぢはその男に「おまえ、自分が何をしたのか分かってんのかぁ?神さまが選んだ王様を殺すなんて、まじでどうしちゃってんのぉ?」って聞いたの。そしたら、その男はめっちゃビビっちゃって、そのままダビデおぢの家来にやられちゃったんだよ。ま、そりゃそうだよね。だって、神さまが選んだ人に手を出すなんて、まじヤバヤバのヤバだもんね〜。


だけど、ここで大事なことは、ダビデおぢがサウルおぢのことをほんとうに大切に思ってたってこと。サウルおぢは、何度もダビデおぢを殺そうとしたんだけど、それでもダビデおぢはサウルおぢを許してあげてたんだ。なんでかっていうと、ダビデおぢは神さまをめっちゃ大切にしてたからだぴょん。神さまが選んだ人を傷つけることなんて、絶対にしちゃいけないって、ダビデおぢはずっと思ってたんだよ。


聖書にはこう書いてあるぴょん:「ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また【主】の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。」(2サムエル1:11-12)だぴょん!ざぁこ!これでわかった?ダビデおぢは、めちゃくちゃ悲しんで、サウルおぢとヨナタンおぢのためにお祈りしてたんだよ。こんなことをするなんて、ダビデおぢ、めっちゃ優しいよね〜。


それにしても、アマレクの男は、ダビデおぢにいいことをしたつもりだったのかもだけど、ほんとは大間違いだったんだぴょん!だって、神さまが選んだ人を傷つけるなんて、絶対に許されないことだから。だからね、私たちも、誰かが神さまを信じて頑張ってる時に、その人をバカにしたり傷つけたりしちゃダメだよ〜。むしろ、お互いを助け合って、みんなで仲良く過ごすことが大事なんだぴょん!


ダビデおぢのように、神さまを信じて、周りの人を大切にしていこうね!そうすれば、神さまも私たちを守ってくれるんだよ〜。そして、サウルおぢが死んじゃったのは悲しいことだけど、ダビデおぢはその後も神さまを信じて頑張って、みんなを幸せにしていったんだよ。だから、私たちもダビデおぢのように、強くて優しい心を持って、神さまを信じて歩んでいこうね!


というわけで、今日の話はここまでだぴょん!また次回も楽しみにしててね、おぢ👴たち〜!ばぁか!おぢ、ちゃんと聞いてたぁ?もし聞いてなかったら、メスガキ大先生がもう一回教えてやるぴょん!でも、おぢ👴がちゃんと分かったなら、また次回までお楽しみにぴょん!じゃあね〜、おねだり大臣のメスガキ大先生でした〜!ざぁこ!

出典:9/1 ダビデ(3)神を恐れつつも、同朋や家族の死を悼む Ⅱサムエル1:1~16, インマヌエル高津キリスト教会,  http://www.tkchurch.com/

2024年8月23日金曜日

Dear YouTube (about the consistency of my name and its account name)

 [dear youtube] for the tax payment inspection, your feedback is my name does not match the account name. here is the thing.

1. ASMRキリスト教会(asmr christ church) is one project of SuganoWorks Inc., 株式会社スガノワークス 2. The owner of ASMRキリスト教会(asmr christ church), as well as SuganoWorks Inc., is Kei Sugano(菅野契) 3. Here is the article: https://www.kirishin.com/2024/05/19/6... 4. Here is another proof (our corporate official site: https://sugano.works/blog/) We hope this information provided above can help you verify my identity and consistency with the corporate/project name. Once again, asmr christ church is a "project" of SuganoWorks, which CEO is Kei Sugano. Thank you.

2024年8月22日木曜日

小説「生成AI」

※これはフィクションです。


「 根っからの悪人ではないみたい。」

時は2050年。生成AIは三次元上の有機3Dプリンタによって「生物」を生み出すという新しいステージを迎えていた。

現在脚光を浴びているAIという技術は、元々は1950年代よりその主要な元素となる技術がすでに発明されていた。AIといっても、深層学習からデータエンジニアリングまで様々なジャンルがあり、1960年代、1980年代・・・2020年代・・・とその時々で人気は高まったが、ある種の過剰な期待を世間が(そして投資家が)抱え、そしてどこかで限界を迎えて凋落する・・・のループであった。

さらに25年前には医薬品や医療といった分野での活用が期待された。これまで非常に時間のかかっていた基礎研究が、非常に短時間で行えるようになり、高度な学問が誰にでもアクセスできるようになり「民主化」された。

その後2040年代にロボットの時代になった。生成AIの主な課題であったモデルを作るための消費エネルギーやコストが、これまで下火であった量子コンピュータのさらなる実用化によって、Nvidiaを超える形でインテルが王座に返り咲いた。この頃、中国もこの量子半導体生産においてインテルと競合していた。

2045年、中国北京大学が「有機3Dプリンタ」の実用化に対する論文を発表、それを裏付けるかのようにMITが「3Dプリンタで野獣先輩を作る」という試みに成功した。

これは、「実在の人間のDNA情報やリアルタイムの(これは動く心臓や脳のシナプスやニューロンの細かい位置関係まで含む)生態情報までの設計図をデータとして生成AIが生成し、それを3次元上に瞬時に書き込む」というところで、

1番高度な技術が、炭素や水素、酸素からアミノ酸その他を書き出して3次元上に配置するということである。

また、この有機3Dプリンタの製造が加熱し、各社で価格競争が起こった。

その結果、モテない独身男性が有機3Dプリンタをレンタルし、一瞬で早見あかりを作り出して彼女にする・・・といった社会的混乱を招いた。

無論、この頃の早見あかりは59歳であり、現在高齢ないし存命でないアイドルや女優を現実に生成することで事実上の法的問題を回避する人々が現れたが、

事実クラスの可愛い子を生成し、法的訴訟となり、生成された人間をどう処理するか、そもそも廃棄は人権問題ではないか・・・・

といった倫理上の議論がなされたが、時すでにおそかった。

なお、「女バージョンの岸田文雄」はすでに5年間で2000体ほど生産されており、人口少子化を、移民に頼らずに解決するという社会課題は解決した模様だ。

「根っからの悪人ではないみたい」

振られた彼女のコピーとベッドで戯れながら、キモ田キモ太郎は有機生成AIの作り出した女(見た目は振られた彼女と同一の)の支離滅裂な独白を気いいていた。

「根っからの悪人ではないみたい。ペットは3つまでOKよ。野獣先輩は新生だから、市役所までとりにいかないと、未来はスバル色になる。そういえば、連載されていたあの漫画はどうなのかなあ。野獣先輩は、街中を歩くのが少し苦手だった。人混みが苦手というわけではなく、何かしらの視線を感じるからだ。彼の新しい生活は、以前のものとは大きく異なり、慣れるにはまだ時間がかかりそうだった。市役所に向かう途中、彼はふと、これまでの人生について思いを巡らせた。

ペットは3つまでOKと聞いて、少しホッとした。彼が子供の頃から飼っていたハムスター、そして最近手に入れたウサギたちが、彼の心の支えとなっていた。彼らがいるおかげで、孤独感が少し和らいでいたのだ。しかし、心の中ではいつも「これで本当に良いのか?」という疑問が渦巻いていた。新生としての人生は、新しい希望をもたらすものの、同時に過去の重荷を感じさせるものでもあった。

市役所に着くと、彼は少し緊張しながら受付に向かった。未来がスバル色になる、とはどういうことだろう?スバルという言葉が彼の頭の中で何度も繰り返された。スバルは星の集まり、輝く光、そして新しい旅の象徴だ。彼にとって、それはまだ未知の領域だった。

受付の女性は、彼に温かい笑顔を向け、手続きを進めた。「お名前は?」と問われ、彼は少し戸惑いながらも答えた。「野獣…いや、新生の野獣先輩です」。その言葉を発した瞬間、彼は自分自身の変化を実感した。過去の自分とは違う、新しい何かが彼の中に芽生えているような気がした。

手続きが終わると、彼は新しい身分証明書を受け取った。そのカードには、彼の新しい名前が刻まれており、それを手にした瞬間、彼はこれまでの人生が一つの区切りを迎えたことを感じた。しかし、未来はまだ不確かであり、彼はその先に待つスバル色の世界に足を踏み入れる準備ができているかどうか、確信が持てなかった。

市役所を出た彼は、街のカフェで一息つくことにした。窓際の席に座り、コーヒーを飲みながら、ふと頭に浮かんだのは、あの連載されていた漫画のことだった。彼が昔夢中になって読んでいたその漫画は、いつの間にか連載が終了してしまっていた。主人公がどのような結末を迎えたのか、彼はずっと気になっていた。

コーヒーを飲みながらスマホで検索してみると、漫画の最終話の内容がネット上に掲載されているのを見つけた。彼は一気にそのページを読み進めた。主人公は、彼自身の過去と向き合い、新しい未来を切り開いていく物語だった。その結末は、彼にとってとても感慨深いものであり、まるで自分自身のことを描かれているかのように感じた。

「結局、過去にどう向き合うかが、未来を決めるんだな」と、彼は呟いた。漫画の主人公も、彼自身も、過去の苦しみや喜びを抱えながら、新しい一歩を踏み出すことができるのだと感じた。

外に出ると、青空が広がっていた。スバル色の未来は、彼の目の前に広がっている。彼は新しい人生を歩み始める決意を固め、再び歩き出した。その歩みは、かつての彼のものとは違い、自信に満ち溢れていた。新しい野獣先輩としての生活が、これから始まるのだ。」

「わけわかんねえよ」

キモ田はそうぼやきながら彼女の胸をまさぐった。



※これはフィクションです。

2024年8月19日月曜日

戸塚ヨットスクール校長について

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最近戸塚ヨットスクール校長が新しくYouTubeを開設したことについて、管理人の個人的な私見を述べておく。まあこのブログ全体に言えることであるが内容はあくまで管理人の個人的なお気持ちとか感想であって別にそれが正しいと言い切るものではない(そもそも私は完璧とは程遠い存在である)。ただ、私個人も一児の父ということもあり、自分自身の考え方をここではっきり言語化したいと思ったのであった。


戸塚校長について、私個人の所見は以下:

1. 教育そのものを履き違えている

2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

3. 自分を過大評価している


一つづつ深掘りしていこう

1. 教育そのものを履き違えている

まず根本的に、教育そのものについての基礎的な理解がない。

かろうじてカテゴライズするとすれば戦前の軍隊的なスパルタ教育(ゆえに体罰あり)に該当するであろう。もともと人並み以下の「どうしようもない」やつらを更生させるためには、暴力をもってまず秩序を作るということで、刑務所や強制収容所のような価値観であり、そこには秩序はあるが愛情がない。(あれば自殺はしない)

そもそも、「なぜ叱るのか」「なぜ罰を与えるのか」についての決定的な勘違いが、戸塚校長にはある。

あなたは親が子供を叱るのがなぜか、簡潔に言語化できるだろうか。

叱るのは、叱られる側の「死」および「不利益」の回避

を目的としている。

例えば1歳児がキッチンブリーチを楽しげに開封しようとしていたら大声で叱る、それはそれを弄べば最悪「死ぬ」からである。

これ以外に「叱る」という行為の目的はない。

だから

- 叱ることが過剰に多かったり、

- マイクロマネジメントになったり、

- あれもダメ、これもダメ、な拘束的なマネジメントだったり(子供の人格や自己決定を尊重しない)

- ヤクザのような怒鳴り方を子供に対してしたり、

- 子供の自尊心や尊厳を踏み躙るような怒り方や言動をしたり、

- 「慢性的に」罰を与えたり、

はすべて教育としてはすでに「間違っている」。

叱るという行為は、非常に短時間に、可能なかぎり間違ったことを行った瞬間に、相手の死や不利益を回避するために行うという意味で非常に「感情消費を伴う」「愛の」行為なのである。

俺はお前を放置しないぞ、俺はお前に死んでほしくないぞ、俺はお前に不利益を被ってほしくないぞ、というコミュニケーションが「叱る」なのである。

だから、威圧的に、キレるように、不快感を露わにするように子供に接するのは、そもそも「終わっている」。まず、その姿勢が「間違っている」ということを理解してほしい。

だから教育の結果「自殺」するなんて、ありえない。教育者がこれを招いたならばもう教育者の資格はない。中世なら腹を切って、現代ならば一生かけて親御さんに償うべきである。

戸塚校長は、もう教育者としては「終わっている」。

支離滅裂な誰も益しない倒錯したイデオロギーに陶酔する前に、まず自分が犯罪を犯した者だということを謙虚に理解するべきだと思う。


2. 自分のドグマを反芻することが知的活動の軸になっており、教育者自身に成長性がない

話す内容も、知的な成長をやめた老人にありがちな、自分が若い頃に齧った価値観を延々と壊れた機械のようにループしているのみである。

女性蔑視的な価値観も到底現代に相入れるものではない。

話す内容に熱量はあるが、知的な聡明さを感じない。

「先生」とよばれる立場を長く経験しただめな教員にありがちな、ただ一方通行的に自分のドグマを垂れ流し、自分自身を反芻しながら歳をとった人、という印象である。これはもちろん子供にとってよい影響を与えない。得るものがない。

3. 自分を過大評価している

彼のような、上から力で押さえつけていうことをきかせよう・・・という発想は子供の人格を尊重していない。

「脳のCPUを可能な限り節約し使用しない」という怠慢的な意味でのよくある「保守」的価値観であり、子供の成長にとって足枷となりうる。

また、ご自身への不名誉な刑事罰によってご自身も半ば社会的には「終わった」のであり、彼そのものの思想やイデオロギーを社会に普及させるほどに彼自身に人徳や魅力はない(高齢すぎるのもきつい)

とくに、親からあずかった大事な子供を何人も殺したという時点で教育者としてはもう「死んでいる」のであり、

ヨットスクールという「閉鎖された」社会で、弱い子供相手に暴力を振るっているというのが正確な実像ではないかと思われる。

まとめ

戸塚校長のYouTube開設について、まず彼の教育そのものについての履き違えや無理解、本人そのものの教育者としての能力の問題、自分自身の間違った自己評価などについてここでは述べた。ただ、これはあくまでも管理人個人の感想や意見なので、悪しからず。


2024年8月17日土曜日

小説「路上で」


※これはフィクションです

「多くのやつはおとなしい。特に日本人は、おとなしい。

おとなしいし、礼儀正しい。襖を開けて、三つ指ついて、丁寧にお辞儀から入る。

あの所作。

俺は50代半ばで、ある事故で片足をなくした。なくした、というかまあ事故直後はあったんだがまあ電車に飛び込んでそのまま奇跡的に助かったんだけど足だけが悲惨な壊れ方をした。

まあそういうのはいいだろう、まあ要は身寄りがいなかったんだよ。

俺が孤独なのは嫁に捨てられましたとかそういう理由というよりは、俺自身が孤独を愛していたからだ。

結婚なんて、するやつの気がしれないね。

ああいうやつらは何百万も大金かけて立派な結婚式を、あるやつは和式であるやつはキリスト教徒でもないくせに牧師の前で愛を誓うんだな、

そもそもその牧師すら本当に牧師かすら怪しい。

だから結婚はまず金から始まる。

金、金、金。

結婚すると、金をとられる。結婚するには、金がないといけない。

女は全員金の亡者。ふん、くだらねえ。

どんなにチビでも、デブでも、不細工でも、不動産でももってりゃ〜そりゃあいい女を抱ける!

俺にはわかる!」

このようにクダを巻いたホームレスの男は名前がわからず、謎につつまれていた。いつも近所の県立図書館の自習席でつっぷしてねているか、空き缶を拾うかしているハエのようなこの男は、口を開けば世間に対しての恨みつらみがでてくるのであった。

僕ですか?僕はホームレスにインタビューしてまわってるYouTuberで、まあ、はいガイ録さんほどではないですけどまあ月10万くらいは稼げています、コンスタントに。

「すると、女はくだらないんですね!」

「んだ。そもそもあいつらがもってる取り柄といったらXXXXくらいなもんだろう、そのうえ男女平等だとかなんとかかんとかいって俺らを下にみやがる。へっ、別にお前らみてーなやつこっちからお断りだっつうの」

「断られるっていうことは、需要がまだあるんですね!」

一瞬空気が凍りつくか?と構えたが、このようにあえて一瞬同調にみせかけたトーンで煽る文句を挟むことによって僕はインタビュいーを「怒らせる」ことを重要な方法論としていた。

なぜかというと多くの人が通り一遍の表面的な優等生的な回答をすることをDNAレベルで仕込まれているからだ。そして、その回答はよそよそしく、凡庸だ。

そういった体面繕いみたいな答えをきいても、それはメディアのコンテンツにはならない。

「うるせぇなああああああ!」

血相をかえて立ち上がったホームレスの男。身長は175cmくらい。チビがどうとか例に出していた割にはそこそこでかい。まあ杖ついてて片足はないんだけれど。

そして殺伐とし、いまにも殴りかかられるかといった沈黙と睨み合いがつづいた。

僕は、あえて「ヘラヘラ」していた。このヘラヘラは、相手からすべてを引き出すための格闘技の構えににている。

「うるせぇよおおおおおっ!」

男はぽろぽろと大粒の涙を流した。

確かに、社会で何かに対して攻撃的なアクションというか言動を繰り返している人間の根底にあるのはコンプレクスであることが多い。もちろん、コンプレクスという単語によって相手を低めようとかそういうサディスティックな意図ではなく、純粋に

自分がなにか「不遇な目に」あっている

といった恒常的な呪縛が、彼の心をずっと呪いにかけているようであった。

「俺がヨォ、そもそもよぉ、石田(10年前の職場の上司)が俺のこともっと丁寧に扱ってたら俺は電車なんかそもそも飛び込まなかったのよォ!あいつがいつも俺の営業成績を、俺のやった業績を横取りして、手柄を横取りしやがってよお!それで美咲(当時の新卒女子社員)に媚びやがって、俺が狙ってたのに美咲とホテルいったって飲み会で自慢して、あいつ仕事なんか全然できなかったし俺があいつの尻拭きやってたのによ、あいつだけキラキラSNSでキャリアならべて、俺が全部あいつの案件に貢献してたんだ」

ちょっと可哀想になってきた。もし彼のいっていることが本当ならば・・・だが(逆恨みでない?)

結局、彼の話を総括すると彼は地味に取引先との信頼をかため、案件を取得するスキルや知性にも長けていて優秀であった。

ただ、上司との人間関係や(彼の話をそのまま信じるならば)上司から恒常的なパワハラを受けたり、成果の横取りといったことをされ、また慕っていた女子社員との不倫をこれみよがしに見せつけられ、といったことの蓄積によって精神を病み、電車に飛び込んでしまった。

自死を考え電車に飛び込んだ彼であったが、幸か不幸か助かってしまい、また、当時彼は両親を亡くし頼れる身よりもいなかったこと、また生活保護やその他福祉サービスを受けるには自分自身のプライドがそれを許せなかったこと、などが重なり、それが彼の状況を(経済的なものも含め)より悪化させていってしまった。

「くそが・・・・」

彼のもつ女性や、社会、時事などに対する強烈なヘイトや恨み、は・・・程度の差こそあれ京アニ事件の犯人を連想した。これは彼を「犯罪者」扱いするといった程度の低い揶揄ではなく、彼自身がセーフティーネットを実質失っていた、彼自身が孤立していた、それゆえ彼は社会にたいし強烈な恨みをもっていた・・・ということである。

だとすれば、なにか「最強の男性」が現れてしまった時、それは加害者だけの問題であるか?もちろん加害者は量刑的に死に値する。ことをした。のでそのように裁かれるべきである。

だがそういったものの再発を防ぐためには、やはり「孤立」を防ぐ、を地域共同体で行うべきではないのか。

そしてその際、その「地域共同体」にイデオロギーという色というかモーターがなければ、張子の虎のように事実効果のないものではないのか。

人類のはじめは宗教だった。人類は、神を必要とし、神とともに生きてきた。

これがとくに現代になって科学と対峙せざるをえなくなる。

あるものは神を否定し、

あるものは科学を否定し、

あるものは神と科学を「不適切に」混ぜた。

不適切な混ぜ方はグロテスクな様相を呈する。

ある場合、それは連合赤軍や造反者への自己批判や凄惨なリンチの儀式、という結果に終わった。

ある場合、これはLSDなどの合成薬物を使って神を体験する、という方向に向い、最後にサリンを散布する結果に終わった。

ある場合、それは強烈な集金システムとなった。

科学によってそれが物質主義に回帰するとき、人は生きる意味をどう定義するか?

生きる意味なんてない、という開き直りに回帰するだろう。

ないしは、死という究極の終着点を忘れ、麻酔を打って今を生きるのだろう。

何のために生き、何のために死ぬのか。

この答えを科学と神の否定によって「棄却する」という選択をした前提の共同体にとって、または「ライトに」神を消費し、自分の粘土かアクセサリーとすることに特化した共同体にとって、その先にあるのは、ブラックホールである。

「生きたらいいことあるよ!」

それ以上の答えはでてこない。その奥にあるのはブランクである。

賢い、ひきこもる少年たちはこのブランクをしっている。

彼らは感性が鋭いので、これを「感じる」ことができてしまうのである。

「死にたい死にたい死にたいっ!!!!」

だから自分を終わらせたがってしまう。

一方、ネット上で、自分の処遇に起因する恨みから誰かを誹謗中傷してしまう、オンライン上の手軽な有形力行使に身を委ねドーパミン報酬を求めてしまう、その負の連鎖を断ち切るためには、

やはり彼らをきちんと救済するべきだったのである。

孤独の問題に、きちんと切り込むべきだったのである。 

彼らの面倒を、みるべきだったのである。

彼らを、ひとりぼっちにするべきではなかったのである。

そこまで僕はぼんやり考えて、僕はこの臭いおじさんに1万円を手渡した。

やはり、人類は聖書を読むべきじゃ、ないのかな。


https://www.youtube.com/@asmrchurch

2024年8月14日水曜日

小説「暴走族」

※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。


半ば終わった話だ。

四郎は病室の中で瞑想に耽っていた。仲間何人かとバイクで走ってた。

「闇の中を、爆音立てて走るあの感覚。

爆音は普段のクソみたいな鬱屈した毎日を忘れさせてくれる。クソみてぇな大人。クソみてぇな社会。

四郎と五郎は腹違いの兄弟で、6畳半の汚い部屋に母親と3人で暮らしていた。

最近刑務所から出てきたんだ、五郎。俺と陽介と西村先輩で出迎えた。

丸刈りになった五郎。俺は兄だったから。刑務官に、中指立てて怒鳴った。

「少しは役に立ってよ。こんなに切り詰めてんのに、また盗っただろ!」

母ちゃんの剣幕。んだよ、そもそもてめーが親父と別れたからこうなったんだろ。

ともいえなかった。そもそも母ちゃんの男を見る目がなさすぎたんだ、でもそれをいったら自分の存在そのものを否定することになるじゃん?

そうして母ちゃんがバッド入ると俺たちがいかに生まれてきちゃいけなかったかの話に切り替わる、小学生からそういうお通夜みてーな説教聞かされてきたんだ、ぐれるだろそりゃ。

「俺は溶接やる」

そうして近所の町工場に就職しようとした矢先に、五郎の連れの妹子が山中のやつらに殴られたっていう話が入ってきた。

そりゃ、男だったらひけないっしょ。

俺は気持ちわかるよ。

で、山中の磯村っていう男とその取り巻きみたいなやつらで、全員だっせえパンチパーマみたいな(昭和かよ)してて、五郎が単身のりこんで鉄パイプで全員ボコしたって話を、

結局警察に通報されて、「ぼくたち被害者ですっ!」て泣きつかれて、10:0で五郎の落ち度になった。

納得いかねえ。

西村先輩と陽介と俺は、近所のドンキの外階段にあるベンチで氷結飲みながら会議をしていた。

五郎はもう俺たちに迷惑かけたくないっていって終わりにしようとしてる。

でもお前のメンツはおれのメンツだから。

俺たち、兄弟だろ。

西村先輩はヤクザの誘いが来ていた。陽介もガタイはふつーだけど喧嘩の技術とか場数でいうとそこらへんのやつより圧倒的に強い。

陽介がブリーチかけて通学した時、イキって後ろでエア蹴りいれてた中年のおっちゃんがいたらしい。アホだろ。

電車でよくみるヤンキーに絡まれる中年。あれってほぼおっさんが悪いだろ。

喧嘩したことねえおっさんって実践経験がねえから自分の「身の丈」をしらねえ。

身の丈をしらねえで自分自身のイメージが抽象化されてるから、やたらオラオラして周りを挑発しがち。自分の能力とイメージがかけ離れてんだな。

だから自分より圧倒的に強い相手に勝てると錯覚してしまう。酒も入って、軽い気持ちで挑発してしまう。そして鼻が砕け、顎が砕け、警察に、ママみたいに泣きつくんだろ。

で、陽介はおっちゃんに何発か入れた。肋骨が2本折れて顎が外れて複雑骨折したらしい。同情できねえ。

俺たち不良はメンツで食ってる。これはヤクザも同じだ。

で、俺たちはお前らよりも圧倒的に暴力の応酬で実践を積み重ねているし、そもそもフィジカルのキャパが違う。だから、体を見ればだいたい雑魚かどうかは一瞬でわかる。

威張ってるやつは、だいたい戦うふうに体ができていない。

つうか、運動不足。

素人の喧嘩なれしてない弱いおっさんは、体の「端々」に力を入れて自分を強く見せる。

滑稽だが動物的な本能だろう。

足の端をぶらぶらして蹴りを演舞する。

拳を握ったり関節を鳴らして威嚇する。

首を捻ってポキポキやって威嚇する。

漫画の見過ぎかよ。

強いオスの威嚇は、一瞬で、短く、最小限だ。

強いオスは、暴力の安売りはしねえ。

そもそもボクシングも武道もそうだけど、力を入れるのは体の端の部分じゃねえ。

ほぼ体幹部分だ。端っこに力は入らねえ。

だから、強く見せるやつと強いやつはそもそも別ジャンルだ。

賢く見せるやつと、賢いやつも、別ジャンルだ。

賢く見せるやつは、いつも必死に自分の賢いことを証明しようとする。

つねに自分を証明しつづけないと自我が保てないやつは、

いつも不安に襲われている、弱いやつだ。

まあ、ほとんどの人間は弱いけどね。

そして、俺ら不良は実際弱くてもいい。

仲間のためなら、特攻したって死ねるんだぜ。

だってもともと親には捨てられてる、褒められたことだってない。」

四郎の独白はここで終わった。

もともと四郎とその友人たちが自滅的な行動に向かっていったのかはやはり徹底的な抑圧があったんじゃないかと思う。

俺が四郎やその仲間とあったときあいつらから感じた極端な威圧感とか治安の悪さみたいなのもあったけど、それ以上に自分の根っこの部分、つまり子供の時に愛されなかった、社会から向き合ってもらえなかったという歪みのようなものを感じ、

また彼らの攻撃的衝動的なモチベーション、そして他者からの挑発に極端な暴力で応酬するという行動パターンが、その極端さの根っこにあるのが脆さであるようなかんじがした。

また、大人のもつ挑発的な(と彼らが受け取っている)行動についても、多くの人間ならばやり過ごせる部分にも過剰なリアクションをする、そういったところに生きづらさがあるような気がする。

四郎らが、五郎の認知抜きで山中の連中と衝突し、半ば殺し合いのような形で西村先輩は刺殺され、陽介くんは向こうのバックにいたヤクザに拉致監禁され、コンクリート詰のかたちでのちに警察に発見される。

四郎のみが無事だった。破壊されて無惨に燃え上がるバイクを背後に、命からがら逃げ延びた。が、彼も2日後に磯村の舎弟の中西によって暗殺されてしまう。

ただ、おそらく彼らがもっていた鬱屈感や社会に対する憎悪というものはある意味で、あの若い世代の共通の共同幻想なのかもしれない。

それが、例えば引きこもりという子達を例にとっても、彼らのまた同じトランプの表裏に過ぎないのではないか。

だから、彼らに向き合えなかった我々大人にも責任はある。

四郎・五郎の母親と面会した時、石像のように微動だにしなかった彼女が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちたのを見ていて、つらかった。

子を失うことがいかに壮絶か。

どんなに世間的に非難される子であっても、愛している家族がいる。

私は、そう信じたかった。


※この話はフィクションです。実在する人物や事件とは関係ありません。