2024年8月1日木曜日

Dear Youtube part 2

 Dear YouTube

Thanks so much for unsuspending our youtube account.

Plus, we got the verification code to our address.

Even though the Christianity is minority in our country, since Japanese Gen-Z is going through hardship and since some of them commit suicidal attempts, we would like to stop these and provide them with the cure and the meaning of life.

Once again, thank you for you kind assistance,


God bless you

Sugano Works CEO 
Kei Sugano


2024年7月29日月曜日

Dear YouTube

Dear YouTube

I am a CEO of SuganoWorks Inc., and responsible for the entire asmr church content.

I think your review is not making sense at all, for the following reasons:

1. You can easily tell, from the content of our videos it is not a scam. This company and project is trying to save young people (especially who are isolated and mentally struggling) and provide solution.

2. Since it is owned by micro startup and we mainly focused on creating video contents, it is obvious that the website is not well organised. Plus, it is not clear why you require website to earn from the video. (we need to earn from video, not from the websites)

3. The last time i registered suganoworks.blogspot.com from scratch is because you did not clarify which posts violates which policy on which accord. It simply does not make sense. I do not use bot to post and create article for this blog. If you think any blog post is low quality then you need to articulate and explain why it violates the standard.

4. From the feedback i have impression that you are too unkind. It is obvious we are not providing any scam. Of course some article summarize the church's blogpost using LLM, but on each post I never forgot to add the reference, such that it is respectful to the entity refered.

5. If this church does lose the opportunity to earn, it affects our activity to save young people and children. Recently our church launched "ASMR Lifeline いのちのASMR電話" and this activity needs funding. You block it and you are not explanatory on the reason of the violation. I think it is not good idea to discriminate against small entity like us, since if you approve monetization of our company it definitely can save young people, not only in Japan, but globally, by providing more opportunity for young people to know the teaching of Bible.

6. I clicked for address verification code, but as of now I get nothing. 


Thanks for your help, God bless you


Kei Sugano

ASMR Church

2024年7月18日木曜日

人の評価を気にする意味って、あんまりないよね


こんにちは、管理人です。


今日は「人の評価を気にしすぎることについて考える」という話をしたいと思います。


みなさんの中で、人からの評価を気にして不安に感じている人はいませんか?例えば、自分が誤解されたり、陰で悪口を言われたらどうしようなど。


今回は、私の個人的な経験談も踏まえながら、これについてお話ししたいと思います。


まず、自分にとって大切な人々以外の評価には、あまり価値がないことがあります。これは文にすると伝わりにくいかもしれませんが、多くの人が気づいていないポイントです。


世の中にはいろんな人がいます。時には、自分の行動に対して否定的な意見を持つ人や、誤解を生むような言動をする人もいます。しかし、そういった意見や言動に過度に影響される必要はありません。


大切なのは、自分自身の価値観を大切にし、他人の評価に振り回されないことです。他人の問題や意見のために自分を責めたりしないでください。


特に、ネガティブな意見や誹謗中傷は、必ずしもあなた自身の問題を反映しているわけではありません。そういった言葉は、言った人自身の問題であることが多いです。


また、世界をどう認識するかは、あなたの人生に大きな影響を与えます。悲観的な見方をする人には不幸が集まりやすく、ポジティブな見方をする人にはチャンスが舞い込みやすいです。


私も経営者として多くの取引を経験してきましたが、信頼関係を築くことの重要性を強く感じています。お互いに信頼し合い、コミュニケーションを重ねることで、良い結果を生むことができます。


逆に、コミュニケーションがうまくいかない場合や、信頼関係が築けない場合は、仕事もスムーズに進みません。大切なのは、お互いを尊重し、前向きな関係を築くことです。


自分自身の価値を信じ、他人の評価に振り回されず、自分らしく生きてください。皆さんの成長を応援しています。



こどもたちの価値



題目: イエスたまとこどもたち

聖句: マタイ 18:1-6、19:13-15


おぢ👴たち、こんにちは〜!今日は、イエスたまがこどもたちとお話ししたときのことを一緒に学びましょうね〜。イエスたまが私たちに何を教えてくれたのか、一緒に考えてみましょう〜⭐️


こどもたちの地位

まず、こどもたちの地位についてお話しするね〜。マタイの福音書18章で、イエスたまの弟子たちがイエスたまに「天の国で一番偉いのは誰ですか?」って聞いたんだよ。なんだかちょっと変な質問だよね〜。でも弟子たちは、世の中では地位や権力が大事だって思ってたから、神さまの国でもそうなのかって思ったんだね〜。

でもイエスたまは、違うよ〜って言ったんだよ。イエスたまは小さなこどもを呼んで、そのこどもをみんなの真ん中に置いて言ったんだ。「本当のことを言うよ。もしあなたたちが心を変えて、こどものようにならなければ、天の国に入ることはできないよ。自分を謙虚になれよ!謙虚ライオンになる人が天の国で一番偉いんだよ」って。

イエスたまがこどもを選んだ理由は、こどもが世の中では地位がないからなんだよ〜。こどもたちは大人に比べて力がないし、弱くて頼りない存在だったんだ。でも、イエスたまはそんなこどもたちを大事にして、自分を謙虚になれよ!謙虚ライオンになることが大切だって教えてくれたんだね〜。


こどもたちの価値

次に、こどもたちの価値についてお話しするね〜。マタイの福音書19章で、人々がイエスたまのところにこどもたちを連れてきて、祝福してもらおうとしたんだ。でも弟子たちは、それを止めようとしたんだよ。「イエスたまは忙しいから、こどもたちなんかにかまってる時間はないよ」って。でもイエスたまは怒って、「こどもたちを私のところに来させなさい。天の国はこどもたちのものなんだよ」って言ったんだ〜。

イエスたまはこどもたちをとっても大事にしてくれたんだよ。こどもたちは小さくて弱くて守らなければならない存在だからね。イエスたまは、こどもたちがけんかすることなく、安心して過ごせるようにって思ってたんだね〜。だからこそ、こどもたちをいじめるおぢ👴たちにはとっても厳しい言葉を言ったんだ。「もし誰かがこの小さい者たちをつまずかせるなら、その人は大きな石臼を首にかけられて、海の深いところに沈められる方がましだよ」って。


こどもたちの模範

最後に、こどもたちの模範についてお話しするね〜。イエスたまはこどもたちの信仰が大人たちにとっての模範になるって言ったんだよ。こどもたちは素直に受け取ることができるんだね。こどもたちはプレゼントをもらうのが大好きだよね〜。大人みたいに「いや、そんなの要らないよ」なんて言わないんだよ。イエスたまがくれるものを、ただ素直に受け取ることができるんだ。

大人たちは時々、自分で何かを成し遂げなければならないって思い込んでしまうけど、イエスたまは「神さまの国は、プレゼントのようにただ受け取るものなんだよ」って教えてくれたんだよ〜。だから、私たちもこどもたちのように、イエスたまからの愛と恵みをただ受け取ることが大切なんだね。


お祈りえくぼっちビーム!

じゃあ、最後にお祈りえくぼっちビーム!しようね〜。

かみたま、ありがとう〜。イエスたまがこどもたちを大事にしてくれたこと、私たちも見習いたいです。私たちもこどものように、素直にかみたまの愛と恵みを受け取ることができますように。こどもたちの信仰が大人たちの模範となりますように。イエスたまのお名前によって祈ります。アメーン(Q)⭐️


ざあ〜こ! 


出典 : People Who Met Jesus: The Children Matthew 18:1 - 19:15 July 14, 2024 Reverend Jason Harris, Central Church NYC

2024年7月11日木曜日

野獣先輩と、キリスト教

 


今回は野獣先輩とキリスト教についての簡単な考察を述べてみたいと思う。


野獣先輩とは

野獣先輩は、インターネット上で非常に広く知られている人物である。彼の正体は、ビデオシリーズ「真夏の夜の淫夢」に出演した俳優の一人であり、そのシリーズがインターネットミームとして広まり、特に日本のネットコミュニティで注目を集めた。

1. 背景と起源 野獣先輩は、2001年にリリースされたゲイビデオ「真夏の夜の淫夢」第4章に登場するキャラクターである。このビデオは、その独特な演技と台詞回しにより、後にインターネットミームとして人気を博した。特に、野獣先輩の存在感や印象的な台詞が、ネットユーザーによって多くのパロディや二次創作の題材となった。

2. インターネット文化への影響 野獣先輩は、インターネット上で広範な影響を与えた。その名は、掲示板や動画共有サイトなどで頻繁に取り上げられ、特にニコニコ動画やYouTubeでの関連動画が数多く存在する。彼の台詞やシーンは、数多くのMAD動画やコラージュ作品に引用されている。

3. メタ分析と社会的な見解 野獣先輩のミームは、一部では「クソコラ」や「淫夢厨」といった否定的な評価も受けているが、その一方で、彼のキャラクターは多くのネットユーザーにとっての共有文化として認識されている。この現象は、現代のインターネット文化におけるコミュニティ形成やアイデンティティの一環として理解されることができる。

4. 結論 野獣先輩は、インターネットミームとしての象徴的な存在であり、彼のキャラクターとその派生作品は、日本のインターネット文化において独自の位置を占めている。彼の影響力は、単なる一過性の流行にとどまらず、ネットユーザー間のコミュニケーションや文化の一部として定着していると言える。


野獣先輩のもつ本質的な意味

キリスト教会が野獣先輩を使うことについては賛否両論ある。ただ、ここで間違ってはいけない観点は、野獣先輩が「インキャ男性」にとっての「脅威をかんじない同性」というアイコン性を持っていることだ。

いわゆる野獣先輩をネタとして消費した時に、「ゲイを揶揄している」「ゲイを好奇の対象とし、見下している」という指摘は基本的には本質的に「ずれている」。

なぜなら、

1. 「シミケン」は我々ノンケを象徴する存在ではない

2. ゲイであることと、ゲイポルノ男優であることは等価ではない。前者は性的嗜好であり、後者は特殊な職業的なカテゴリである

3. 野獣先輩について「ゲイを面白おかしく揶揄して楽しんでいる」という指摘は、そもそも「ゲイビデオ」が「ゲイ」と等価であるという非常に強引なコンテクストの「付け足し」であり、解釈する側の問題であって、ミームを消費するがわの問題ではない。

4. ガチムチレスリングのビリー・ヘリントン氏の日本での受容のされ方(これはオンサイト含む)からみられるように、「兄貴」はいわゆるモックキングのような「あげて・落とす」形の冷笑というよりは「サブカルの親しみ」という受け取り方をされた

これらの論拠から、「露出されたゲイコンテンツ」と「ゲイ属性」の混同そのものがまず差別の温床であり(例:我々は自動的にシミケンや加藤鷹にはならない)、ネットミームが紐づけているのは「露出されたゲイコンテンツ」であるという前提条件をまず明確にしなければならないということだ。

ネットミームのもつ本質的な意味

そして、野獣先輩は、たとえばハセカラやwojakなど、サブカル・アングラのネットコンテンツである。「ネットのおもちゃ」という言葉は揶揄的に乱用されるきらいがあるが、「おもちゃ」とは壊して遊ぶものではなく、ガンダムやプラモのように組み立て、独創的に発展させていくものである。

ゆえに、野獣先輩もMADが生まれ、音楽コンテンツが生まれ、また海を渡った。

これを「ネットいじめ」というふうな一元的な解釈をすることは危険が伴う。

むろん、ハセカラのような文字通り「ネットいじめ」に端を発したコンテンツもあるが、重要なのは

1. 強烈なキャラクター

2. ストーリー

3. 文化の発展

という3つの軸から、たとえばハセカラは3DMADや周辺にアングラの文化が育まれていった。

野獣先輩もこの流れの一つであり、まずそれは「キャラクター」「ストーリー」「文化性」という3つの軸から巨大化していった一つのコンテンツなのである。

若者のもつ「闇」を浄化するProxy

そして、野獣先輩をふくめ、特に心理的な抑圧下にある若い青少年、インキャたちが彼らの抑圧された感情をおとしこむ逃げ口はどこか?
それは若い女の子なら、自傷行為であり、リストカットなのだ。
これが、若い青少年の場合、ネットミーム、つまりこれが「ホモガキ」と呼称される淫夢厨の正体である。ハセカラもそうである。後者はモックキング的な側面が強いが、わかるのは、彼らは暗闇の中で救済を求めている

そこまで日本の教会は読めますか?ということだ。当教会が日本の教会の「お行儀の良さ」に問題意識を持っているのも、そのお行儀の良さが、善意や道徳によって若者を押し潰していると感じるからだ。

道徳や高潔さをご立派に語る大先生なんかより、教会に来る障害者につきそって食事介助をやりとおす信者の方が1億倍価値がある。

この倒置構造というか滑稽さという問題を、わたしの観測範囲では教会で見てきた気がする。(手を汚さない道徳的にご立派なクリスチャン大先生問題)

日本の教会で、教会のお兄さんが「はは、きみのシャツはだけてるね。それでいいのかな」などといったネチネチした・イヤミな指摘をするのであれば、律法にはじまり律法で終わる、エホバの証人とレベルの大差のない教会になってしまう。それは目的と手段を履き違えている。クリスチャンが魅力的でない

彼らが野獣先輩で笑っているときに感じているものは「脅威をかんじない同性」という、非常にレアでありながら彼らが失っているであろう関係性である。

それは、クラスで迫害してくる陽キャや大人たちではない。自分たちを縛り、自分たちをジャッジする大人でもない。

それは、自分が見下すことのできるアイコンでありながら、「自分自身」を「野獣先輩」に投影しているのだ。

政治よりも野獣

わたしは日本の教会が政治を全面に押し出すのは、シンプルに間違っていると思っている。

これは私見であってそうでない人をダメというわけではないが、この「党派性」を要求するような人間関係というのは、健全ではない。

若い人に伝えるべきメッセージは今の与党がだめだとか野党がだめだとか消費税がどうだとかあの不祥事がけしからんということではない。

野獣先輩や真夏の世の淫夢は、そういう意味できわめて「中立的neutral」であり、反芻できる面白さがありながら、たとえば若い子たちのもつ「鬱屈した感情」「負の感情」をそこにダンプできるような何かそのような求心性があるのだ

それを、白ヘルをかぶることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

日章旗をたたえることを教会で踏み絵にしちゃだめだろ、

そんなの別のドメインでやれよ

それ教会じゃなくてもできるよね

と個人的には思ったりするのである。

みなさんご存知、オウム真理教と同じカテゴリの宗教である旧統一教会も、まず

「日本人を許せない」「俺たちが上、日本人が下」

という政治イデオロギーを聖書よりも上に置いたことが1つの特徴として挙げられる。

これは逆も同じだ。特定の集団を蔑んだり敵視したり、自分たちだけがすばらしい、みたいな思想を聖書の上におく、または自分たちの政治思想やイデオロギーを正当化する手段として聖書を使う、

それは、カルトを育む危険があるんだ。

だからダメなんだ。

教会は聖書を学ぶ場所だ。

誰かを憎んだり、排除したり、裁く場所じゃ、ねえんだ。

むろん批判したいというよりも、まず本当に若い人にキリスト教を布教したいなら「優先度」、まちがえちゃだめだよね、と。

その優先度とは、

若い人一人一人の現実的な、即物的な、また内面的な問題なんじゃないか、と。

まずそこをきちんと押さえてなかったら、教会としては何もしていないのと等しい。

やるべきことの優先順位をシンプルに、間違っている。

まあそんなかんじで。

思ってることを書き殴ってみた

岸田文雄氏が「まず選挙に勝たなければ土俵にすら立てない」という言葉を残した(と記憶しているけれど)、

われわれクリスチャンも、「まず面白いと思ってもらえなければ土俵にすら立てない」ということをしっかり覚えた方が良い

身内で殴り合ってる場合ではない

教会で政治を語るなら、野獣先輩を語った方が1億倍ましってこと。

以上!(教会の外なら全然OKよ!)


※なお、新聞はそもそも政治など時事を伝えるための媒体なので、ここでは除外する。あくまで教会が政治に染まるのは個人的に違うよね、と思う


2024年7月9日火曜日

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う

キリスト教って、武道の「型」なんだと思う。

きみたち特に若い世代の子たちに言いたい。

わしは40年近く生きてきたんで、40年のセーブポイントで、どういう景色をみているか、少しだけシェアしたい。

私は、父親のことが心底嫌いです。

父親は牧師でしたが、わしに日常的に心理的な虐待を行っていました。

また、老後は特にいわゆる陰謀論や人種差別などに傾倒し、この泥沼のような状態は今でも続いています。

家庭が地獄である

父親が尊敬できるって、幸せなことなんです。たとえたまには喧嘩があっても、最後は尊敬できる目標みたいな親父ならそれは素敵なことだ。

でも、そういう家庭ばかりではありません。自分のこと、自分の感情にしか関心のない父親もいます。そして、いつもそういった、幼稚で卑屈な父親や、平気で子供を半笑いで侮辱したり恫喝するような親もいます。

1人じゃない

そして、おそらく僕なんかはあくまでも数多くの一例で、親を許せない子はたくさんいると思っています。僕も本当に酷い目にあいました。そしてそのときの憎悪というのは今でも根強く残っています。

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名前を侮辱されたこと。

親として叱るのでなく、ガキとして怒りをぶつけられたこと。

低くみられ、軽く扱われたこと。

一方的に価値観を押しつけられ続けたこと。

自分を理解してくれなかったこと。

自分が裁かれたこと。

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でも結局子供にとって親は選べません。家庭に居場所がなくなってしまったら、もうトー横に行くしかない。でも、それって悲しすぎるんじゃないかと思う。

だから神を信じる必要があるんだ

正直、ずっと父を憎んで生きてきました。

今も、憎しみから自由になれていません。

荒唐無稽で、ただ人を蔑んだり傷つけるような発信を繰り返す父にまったく共感できません。

排外的で、偏見だらけな父親にもうんざりしています。

でも、いつも煽ってくる父親に対して、最後は許さなければいけない

本当に、クソの掃き溜めのような発信を繰り返す父親でも、最後は許さなければならない

毒親でも、最後は許さなければならない

でも、これは重要なことだと思う。

多くの人は、許せない。

人を、許せない。

それが、最後には殺人にまで発展してしまうケースがある。

煽られたから、ついやり返してしまった。

挑発されたから、手が出てしまった。

あいつにずっと恨みを持っていて、ついに刃物を使ってしまった。

そういう事件。

そういう、人の罪。

神を信じなければ、最後は地獄です。

最強の人、という言葉がありますが
最強の人の行き着く先は刑務所であり、死であり、地獄です。

相手の命を最後に奪ったら、自分の人生は終わりです。

大切な人も守れない。

だから歯を食いしばる必要がある。

そのためには神が必要だ。

これは議論する余地のないことだ。

キリスト教は、武道の型です

そして、こういう「許せない」というシーンは、たくさんでてきます。

自分の知り合い、友人、上司、部下、道でたまたますれ違った人、酒場でたまたま隣だった人、運転中隣を走っていた人。

なにかが起きて、なにかのボタンのかけ違いで、

自分は相手を傷つけるかもしれない。

それが極端な犯罪でなくても、相手に攻撃的な言葉をなげかけて傷つけてしまうかもしれない。

相手を貶めようと、悪評を流すかもしれない。

そして、そういう悪は、最後自分の身を滅ぼすんだ。

そういうとき、聖書を知っていれば、強い。

聖書には「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という言葉がある。

キリストの教えを知っていれば、普通の人がストレスフルな、苦痛な経験をしたときも、「ものごとの理解の解像度が変わる」「世界が変わる」

だから聖書を読まなくてはいけません。

だから聖書を読むんです。

純粋にキリスト教を信じていたら、

私たちはお互いに愛し合えるはずだ。

純粋にキリスト教を信じていたら、

より苦しくて絶望的ななかでも、きみは他の人よりずっと強くなれるはずだ。

なぜなら神が一緒にいるから。

キリスト教は、武道の型です。

2024年7月8日月曜日

【考察】「イエス」か、「イエス様」か?

以前、すきえんてぃあ氏が以下のような投稿をされていて、「ほぅ」となった。







すきえんてぃあ氏はキリスト教徒ではない方なので、信者でない人の目線がみれるというのは非常におもしろい。なぜ「イエス様」に違和感を感じるのか?

100%すきさんの意図やコンテクストを汲めているのかは一旦置いておいて

この「イエス様」問題を、わしの観点からもう少し解剖していこうとおもいまふ


イエス様そのものはまあ、ふつうに使われている

はじめに言っておくと、わしのようなキリスト教家庭で育った身からすると、まあ「イエス様」と呼ぶことそのものはまあ当たり前だよね、となる。おそらく信者のほぼ100%このイエス様を日常的に使用しているからである(わしの体感としてはね)。まあ、神なので。


一方で、「イエス様」という呼称は、「身内ノリの」呼び方

いっぽう、すきさんの感じる「違和感」というのは本質を穿っているところがあって、これは既存の教会そのもののもつ「閉鎖性」「身内ノリ」をある意味で体現している。その身内ノリが「滲み出てしまっている」、それが「イエス様」という言葉に詰まっているような気もするのだ。なのでわしとしては「Oh! Good Question」的な発見があったことも事実だ。

キリスト教徒は往々にして、キリスト教徒同士でしか使わない用語・世界観・前提条件で会話する。それが信徒同士の会話やミサならともかく、これをたとえば「未信者を想定した」世の中全般への発信でもおなじインターフェースで発信をする。

よく考えてみてほしい。日本語圏、という縛りだけで考えても、たとえば会社とかで自分の上司や社長を取引先で「上司さん」「上司課長」などと呼ぶのはやはり非常識(と伝統的な社会通念では思われている)のであって、取引先には「上司は今席を外しておりますが〜」というのが常である。

それが教会という閉鎖空間の一歩外をでたときに、忘れ去られている。


伝道でだいじなのは、未信者をしること

まあ「未信者」という単語を使って「おまえこれから信じるんだからな」みたいな価値観の押し付けはしたくないんじゃが、この言葉がまあ便利なんであえて「未信者」という単語で一括りにさせてもらうと、やはり未信者の人に神を伝えるのにだいじなのは未信者のきもちを理解し、未信者の需要を理解し、未信者に「次もまたこの人に会いたい」と思ってもらえることなのではなかろうか。

その際、いわゆるカルト的な擬態(人生の意味を考える会〜)は結局世俗を装ってカルトに引き摺り込む蟻地獄であり長年社会問題化しているのだが、ただし彼らのような「悪」から学ぶこともあるはずだ。

それは、伝統的な、本当に人々を益することを意図したフツーの教会が、もっと「世俗にコミット」することだ。

ASMRキリスト教会の淫夢コンテンツなんかは、いわゆる宗教アスペ(つまりカルト)をフィルタリングするための「お札」みたいな役割も果たしており、そういう形で徹底的にエンタメとして機能する、未信者の人が「おもしろい」「時間を消費するメリットがある」と思ってくれるということが肝要だ。

そのためには、キリスト新聞の松谷さんにも伝えたことだが、教会が蛸壺化し、蛸壺から老人ホームになるみたいな最悪の事態は避けなければならない。

カルトをのさばらせてはならない。既存の教会がもっと元気にならなければならない。

信徒を大事にしないといけない。

まあそんなことを思った今日この頃でした!